第17話:オモテ方

「……どう思いますか、荒牧あらまきさん」


「そうですね、双方とも、もう少し相手に気を遣えたはずですけど……。敢えて言うなら、言われた側に問題がある、というか」


「というと?」


「言った側の言葉って、一般的にはそんなに攻撃的でないと思うんです。でもそれで怒ってしまうということは、それが図星だったり、気にしてたり、負い目があることだからですよね」


「それを口に出してしまった側にこそ非があるのでは?」


「でも、その理屈を突き詰めてしまったら、誰も何も話せなくなっちゃいますよ」


「まあ、それは確かに」


「言われた側は、すぐにかっとなったりしないで、一旦落ち着くのが大事だと思います。それで、その後誰かに相談する。負い目をそのままにしないで、消してあげて下さい。心の傷みたいなものなんです。それは、治さないと。そして、周りをそれを助けてあげる。きれいごとですけど、そうするしかないです。穢れを生まないようにするには」


「……実感の籠った言葉は違いますね」


「まあ、長いですからね、生箭日女いくさひめしてきて」


「はい、という訳で、今回も生箭日女の荒牧百合阿あらまきゆりあさんとお送りしました。また来週!」


「――はいカット! お疲れさまでしたー」


 日女ひめ神社からほど近い、お台場の全国的にも有名なテレビ局内の、ある小さめのスタジオ。


 かいはどういうわけか、紫月しづきともえと共に、そのスタジオの片隅で番組の収録を眺めていた。


 撮られていたのは三十分枠の比較的真面目なバラエティ番組だ。放送時間も所謂ゴールデンタイムではなく、休日の昼頃らしい。


「先輩、終わりましたよー」


 そう言いながら、出演していたゲストの一人が駆け寄ってくる。ちなみに、先輩と呼ばれたのは巴である。


 そのゲストとは、いつぞや紫月の地稽古の相手をしてくれた百合阿だった。


 彼女はオモテ方の生箭日女であり、その中でもこうしてテレビへ出る機会の多い人間だ。


「じゃ、ちゃちゃっと帰ろっか。紫月ちゃんも」


「は、はいっ」


 巴が紫月へ声を掛ける。


 戒は全くもって気付かなかったのだが、二人はいつの間にか親しくなっていた。巴自身はその経歴から生箭日女との間に壁を作らないし、そもそも他人と距離が近い。どこかで接点があればこうなるのは当然な流れだったのだろう。


 因みに、今日は平日のうえ、紫月本人も制服姿だが、夏休み真っ最中である。既に初夏と呼べる時期は過ぎ、酷暑の真っ只中だった。


 四人はスタジオを出、割り当てられている楽屋へと向かう。近衛なんてものを帯同させている都合上、百合阿の楽屋は単独で用意されていた。


「……おっと、失礼」


 その途中、廊下の曲がり角で、巴が誰かにぶつかり掛けた。既視感があるようでない光景だ。


「あ、ごめんなさい」


 小さく飛び退いた巴の向こうに居たのは、髪をオールバックに撫でつけた男だった。皺ひとつないダークグレーのスーツに身を包み、そのジャケットの胸元には金のバッジが光っている。


 男は会釈して、戒たちの隣を通り過ぎていく。


 その際、戒はその男が、何らかの意図をもって紫月を見やった……ような気がした。


 事実、隣にいた紫月は、男からの視線に気づいたのか小さくお辞儀をしていた。


「戒さん。今のって……誰なんですか?」


 しかしこう訊いてくるのだから、知り合いなどではないのは確かだ。


 そも、あの金のバッジは国会議員に貸与されている議員バッジだ。そんなものを付けている男と中学生が知り合いであるなど、そうないだろう。


「確か、神々廻貴己ししばたかみ。衆議院議員だ」


 さっと名前は出てきたが、戒もそれ以上は知らない。名前が特徴的過ぎて憶えていただけだ。


 ニュース番組か何かにコメンテーターとして招かれている、といったところか。


「ほわ……。凄い名前ですね」


 感嘆する紫月をよそに、戒は後方へ去っていく神々廻の背を見ていた。彼が纏っていた雰囲気の方に、なぜか強烈な既視感を覚えたのだ。


 と、そんなことがありつつ、一行は百合阿の楽屋に着く。近衛の戒と巴は外で待機、百合阿と紫月は楽屋の中で帰り支度だ。本来ならば紫月も中に入る必要は無いのだが、そこはいオモテ方になって欲しいと言っていたとよの意向を、百合阿が汲み取っているのだろう。


 オモテ方の生箭日女である自分が何をしていて、何を思っているのか、伝えようとしてくれているのだ。


「結構活発だし明るいじゃん、紫月ちゃん」


 戒と巴が扉の脇で待っている際、巴の方がそう切り出した。


「聞いてた感じと全然違うね」


 今日の彼女は、動きやすいパンツスタイルの黒のスーツを着ており、肩には戒と同じく烏の描かれた近衛の腕章を付けている。


 彼女は護衛課ではないが、特別枠である。巴が元生箭日女、しかもオモテ方経験者であり、メディアに露出する際の振る舞いに慣れていることなどを鑑みて、その多忙さ故に複数人いる百合阿の専属護衛の一人に選ばれている。


「私たちに対しては、そうでしょうね」


 戒はそう返し、俯く。


 そして僅かな間の後、その返答に対し怪訝な視線を向けている巴の方を向いた。


「ご相談があります。今日、少しよろしいですか」


「え? いいけど……。紫月さんのこと?」


「当然」


 言い切る戒に巴はたじろいだ様子だったが、頷いた。


 その一方で、その紫月本人はというと、楽屋の中で借りてきた猫と化していた。


「緊張した?」


「えっと、緊張はあんまりしていないと思うんですけど……」


 百合阿は、その大人びた容姿からは想像もできない雑さで、収録用の濃いめのメイクをシートでごしごしと落としている。


「おおー、将来有望だね。民放って結構あれだから、わたしなんて初めて来たとき、変なプロデューサーかディレクターか何かに目付けられちゃって、それが怖くってさ……。あっでも、紫月ちゃんは怖ーいお付きの人いるから大丈夫なのか」


 機関銃にように喋り続ける百合阿。だが紫月は、それにたじろぐことはなかった。


 百合阿に付いて回るようになってもう二週間ほど。マシンガントークにはもう慣れていた。


 ――あの日、淡島の襲撃後の会議で大野が言った案とは、他の生箭日女と共に行動させることで、実質的に護衛として扱ってしまおうというものだった。


 淡島新あわしまあらた少彦名すくなひこなで、実動祭祀部と同じく穢れを祓うことを目的としているならば、実際に穢れを祓う任を負っている生箭日女に手を出すことはない。そう考えてのことだった。


 事実、あれから一度も、淡島は姿を現していない。


 ――というのが裏事情であるわけだが、紫月はそれを何も知らされていなかった。


 彼女本人の認識としては、生箭日女としての勉強になるから、と百合阿や他のオモテ方の生箭日女に同伴させられているだけだ。


「戒さんって、怖いですか?」


「おや、そこ気になる?」


「えっと、聞きたいのは、その……」


 紫月は再び言い淀む。だが、意を決したように、一息でその名を口にした。


佐城朝那さじょうあさなさんのこと、荒牧さんも知ってるんだ聞いて、えっと……」


 それは、日比谷から聞いたことだった。


 朝那の存在を知っているのは一部の人間だからくれぐれも口外しないように、と釘を刺された際のことだ。その一部の人間の中に、言ってきた張本人である日比谷の他、来栖巴くるすともえや荒牧百合阿も含まれている、と。


 ちなみに、仕方がなかったとは言え独断で朝那のことを話した戒は、日比谷には裏でお小言を言われていたのだが、それは紫月のあずかり知らぬことである。


「……まだ生きてた頃って、戒さん、どんなだったんだろ、って」


 たどたどしくも言い切った紫月に対し、百合阿は、好奇心と喜びと悪戯心いたずらごころが極まった、擬音で表せば『にまーっ』とした笑みを浮かべた。


「そっかー、そっちの方が気になっちゃうわけかー、紫月ちゃんは」


「え、えっ?」


「だってそうでしょ? 普通は朝那さんがどんな人だったのかとか、生箭日女してて怖くないか、とか。そういうことを訊かれるんだと思ってたよ」


「あ……、そっか。そうですよね。ごめんなさい」


「いや、謝ることないでしょ。それに、そもそも訊こうと思ってたんだよね、わたしも」


 笑みを消して、百合阿は訊く。


「祓をするの、怖くない? 朝那さんのことも聞いて、淡島って人と会っても」


「……荒牧さんは、どうだったんですか?」


「怖かったよ、もちろん。それに悲しくて、もう何がなんだか分かんなかった。その時、生箭日女になったばっかりで、朝那さんには優しくしてもらってたから」


 逆に訊き返された百合阿はあっけらかんと笑った。


「でも、他の人は、歯を食いしばって祓をしてたりしたの。巴さんとか。だから、居心地悪くなっちゃったの。何もしてないってことが。だからまた祓をやって……。それだけ」


 最後だけ自嘲気味に言って、百合阿は再度訊く。


「それで、紫月ちゃんはどうなの?」


「……怖い、です。最初から」


「あ、そっか。そうだったね」


 百合阿も、紫月の初陣の顛末を知っていたのだろう。


「でも、続けたいんです。戒さんの助けに……」


 と、紫月はそこで、百合阿が再び『にまーっ』という顔になっているのに気づき、顔の前で手をぶんぶん振り回しながら否定する。


「あ、あと、とよ様とか、他のみんなの助けにもなればいいなって……!」


「立派だね、紫月ちゃんは。わたしなんかより全然だよ」


 百合阿は笑みを収めてそう呟く。


「それは、言い過ぎですよ」


「そんなことないよ。立派だって」


 そして三度、百合阿が『にまーっ』という顔になる。


「じゃあ本題」


 百合阿は紫月の方へ身を乗り出す。


「十歳くらい離れてるわけでしょ? どこが好きなの? 顔? あ、雰囲気? 未亡人的な」


「いやあの、そういうのではなくって……!」


「だって、そういうことを訊くってことは、そういうことでしょ?」


「もう……!」


 少女と乙女の攻防は、二人が余りにも楽屋から出てこないので痺れを切らした巴が入ってくるまで続いていた。

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