第2話 ノンフィクション
◇◇◇◇◇
荒れた空き地を吹き抜けた風の肌寒さに、シュウはおもわず身震いする。反射的に、Tシャツの上に羽織った薄手のネルシャツの上から軽く腕をさすってみたものの、早朝の気温の低さの前では気休め程度にしかならなかった。
吐く息は白い。
もう少し厚着をしてくればよかったと後悔するも、どうせ陽が昇りきってしまえば、今度はそのことを後悔することになるのだろう。
「っあー、さむっ……。集合時間、早すぎんだろ」
指先は外気ですっかり冷えてしまった。
シュウはスンッ、と鼻を鳴らすと、両手のひらに息を吐きかける。体内であたためられた空気が、じんわりと熱を広げていった。
日中はせわしない町の中心地から少し離れれば、無人の家屋や空き地が多く目につく。その数は、ここ数年で一気に増えたように思う。
――この辺りも、すっかり人がいなくなっちまったな。
シャッターが閉まったままの商店街。
ポストに無理やりねじ込まれた、いつの日付かわからない数日分の新聞。
乗り捨てられた子ども用の三輪車。
平凡な日常の名残だけが、いまもこの場所に置き去りにされていた。
――戦争なんて、別の世界の話だと思ってたんだけどな。
人類とはあきらかに異なる生命体との戦いなんて、誰かが作り上げたフィクションにすぎないのだと。
たしかそう遠くない昔、そんなような内容の映画がいくつも作られていた覚えがある。
巨大な怪獣に、宇宙からの侵略者。急速に進化を遂げた類人猿との攻防。
当時はなんの気なしに、誰もが娯楽のひとつとして楽しんでいたはずだ。
――まさか現実になるなんて、誰も思わねぇじゃん。
未知なる生命体がどこから来たのか。地底人や宇宙人といった類いのものなのかはわからない。
それは侵略戦争とは名ばかりの、一方的な虐殺だった。
かといって、正直なところ自分には関係のない話だった。
名も知らぬ遠い国から始まったらしいその戦いを、みずから体験したわけでもない。実感しろというほうが無理なのだ。
もちろん当事者意識はない。
ただ漠然と、メディアから伝えられる情報を受けとるにすぎなかった。
乱れる映像。
人間ではない、『なにか』。
破壊された建物の残骸。
火の手から逃げ惑う人々の悲鳴。
母を求めて泣き叫ぶ幼子の姿。
それこそSF映画のワンシーンでも見ているかのような感覚に近かった。
いつも決まった時間に原稿を読みあげるアナウンサーの声も、日を追うごとにどこか機械的で事務的になっていき、それが余計に現実味を失わせていた。
ところが、他人事のように眺めていたその光景が、ついに海を越えてきたのだ。戦争というものが、急に身近なものとして目の前に迫ってくる。
逃げるか、戦うか。
シュウが選んだのは後者だった。
もちろん、逃げることを考えなかったわけではない。ほとんどの人間がこの非現実的な状況から逃れようと、少しでも安全な地へと避難している。『逃げる』という選択が、市民としてはごく自然な行動だろう。
――なんで逃げなかったんだろうな、オレ。
それが正義感からきているものなのか、なんなのかはわからない。もしかしたら、子ども時代に胸踊らせた戦隊ヒーローへの憧れも、少しは影響しているのだろうか。
――だけどオレは、ヒーローなんかじゃない。
ぼんやりと見つめていた手のひらを、シュウはグッ、と握りこんだ。
どんなに困難な状況でも常に勝利を手にするヒーローとは違い、なんの力もない自分に待つのは『死』のみだろう。
だが、なにもしないでただ殺されるのはまっぴら御免だった。
とはいえ、比較的安穏とした生活を送ってきた彼には特別秀でた知識や技術があるわけでもなく、闇雲に敵に向かっていったところで無駄死にするのが関の山だ。敵にとっては、それこそ人間が虫を殺すのと同じようにたやすいことなのである。
――オレも、バカな選択をしたよな。
そう自嘲気味に口角を上げたシュウは、ぐるりと周囲へ視線を泳がせた。
雑草も生えないほどに荒れ果てたむき出しの地面には、大きいとも小さいとも言えない石がいくつも転がり、踏み荒らされたぬかるみには大きな水たまりができていた。
つい最近まで近所の子どもたちの遊び場として使用されていたのだろう。広い空き地の隅に、泥だらけのサッカーボールがひとつ転がっていた。持ち主のいなくなったボールはすっかり空気が抜け、いびつにしぼんでしまっている。
――つーか、こいつら全員、オレと同じ入隊希望者か?
空き地には、シュウのほかにも数人の若者が集まっていた。大きなリュックやボストンバッグをかかえた彼らの目的も、シュウとさほど変わらないのだろう。
否、このタイミングでこの場所にいるということは、間違いなく同じ目的のはずだ。
所在なさげに辺りを行ったり来たりする者。小刻みに足を揺らす者。しきりに携帯端末を操作する者。
年齢や性別、服装などてんでバラバラであるが、みな緊張した面持ちでその瞬間を待っている。それだけが、彼らの唯一の共通点であった。
――やっぱ面接とかあんだろうな、めんどくせ。
そんなことを思いながら、くあっ、とあくびをひとつこぼしときだった。
「やだっ……! うっそ、最悪ぅー」
どこからか聞こえた甲高い女の声に、シュウもほかの若者たちも声のしたほうへと視線をやった。
海外旅行にでも行く気かと問いたくなるほど大きなスーツケースのすぐそばで、女がひとり騒いでいる。どうやらキャスターが地面のくぼみに落ちてしまったようだ。
「なんっで! こんなところに来なきゃいけないわけ!? 意味わかんない!」
女はそう吐き捨てると、スーツケースを押したり引いたりしていた。だが早々に諦めてしまったらしい。
肩で息を吐いた彼女は、今度はきょろきょろと周囲を見回している。
――入隊希望者、だよな? 普通あんな格好してくるか?
一〇センチ以上はあろうヒールのサンダル。細い肩を大胆に露出したオフショルダー。丈の短いタイトスカートは、少し前かがみになるだけで下着が見えそうである。
この場においてひどく不釣り合いなその出で立ちは、あきらかに周囲から浮いてしまっていた。
だが、シュウにはそのうしろ姿に見覚えがある。
「……あの女、もしかして……!」
「あ! シュウいたぁ!!」
見事なまでに勢いよく振り向いた女と目が合う。かと思えば次の瞬間には、彼女は満面の笑みでシュウに向かって大きく手を振った。
ピンク色のスーツケースをその場に残したまま、彼女はシュウのもとまで駆け寄ってくる。
パーマのかかった茶色いショートボブが跳ねるように揺れ、流れるような動作で彼女はシュウの腕に自分の腕を絡めた。
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