第19話 ニゲルガカチ
◇◇◇◇◇
「はぁ!? ルームメートぉ!?」
「ちょっ、ホノカ……! 声が大きいっ」
人もまばらな食堂内で、ホノカの驚愕に満ちた声が響く。
慌てるハルをよそに、彼女はぬるくなった食後のコーヒーを一気に飲み干した。
先ほど廊下の角で挙動不審に顔を覗かせては、こそこそと移動していたハルをつかまえて理由をたずねれば、とんでもない事態になっているではないか。
シュウがハルに執着しているのは戦場でもなんとなく気づいていたが、ルームメートとなると話は別である。
「なんだってそんなことになってんのよ」
「さぁ? わたしにもよく……」
ハルはさっぱりわからないとばかりに首をかしげた。
予想外の事態に困惑しているのはハルも同様である。医務室での療養を終え一日ぶりに部屋に戻ってみれば、無人だったはずの自分の部屋に他人がいたのだ。
それが三年前に別れたはずの男となれば、ハルでなくとも逃げて当然である。
「マリアってばなに考えてんのよ」
「所長の独断らしいよ?」
頭をかかえるホノカの横で、アキトが涼しい顔で言った。とたんにホノカの表情が引きつる。
「マリアも直前まで知らなかったみたいでさ」
いまにも憤慨しそうなホノカに、アキトは自分たちには非はないと言いたげである。
たしかに、マリアが知らなかったのであれば、ほかの誰も予測するのは難しいだろう。
「だからって、このままってわけにはいかないでしょ。どうすんのよ?」
眉間にしわを寄せたホノカが、目を細めて横目でアキトを一瞥する。なにか知っているなら吐けと言わんばかりである。
「ほら、トレーニングルームの横の、物置にしてるとこ。あそこを仕切って個室にするんだって。いまごろキョウヤたちが片づけに駆り出されてると思うけど?」
メガネのレンズをハンカチで拭きながらそう言うアキトに、ハルは一人で納得したように「あぁ……」と声を漏らした。たしかあの物置は、整備部と管理分析部の荷物が占拠していたはずである。
「で? あんたは行かなくていいわけ? 管理分析部の補佐官さん?」
ホノカは悠長に隣で朝食をともにしたアキトに向かって、わざとらしく肩書きで呼んでやる。
「僕、頭脳派だから」
「どうせめんどくさいだけでしょ」
ため息をつくホノカに、アキトは「ばれた?」と小さく笑った。
「ところでハル、そんなことになってるなら、あんた昨日どこにで寝たの?」
「……キョウヤのとこ」
ホノカの問いに声を落としてそう答えれば、彼女はどういうわけかハルを見て爽快に微笑んだ。
「なら問題ないわね! 新しい部屋ができるまで、あんたしばらくキョウヤのとこにいなさい」
「あぇ!? け、けど、キョウヤに迷惑が」
突拍子もないホノカの発案に、ハルはおもわず口に含んだミルクティーを吹き出しそうになる。
いくらなんでもキョウヤに迷惑をかけるわけにはいかないとうろたえるハルをよそに、ホノカは「大丈夫よ」とあっけらかんに言ってみせた。
「だいたい、あんたちょいちょいキョウヤんとこ遊びに行ってんでしょ?」
「うっ……」
そう言われてしまうと反論の余地がない。
とはいえたまに遊びに行くのと一緒に暮らすのとではわけが違うと訴えようとしたところで、ホノカに先手を打たれてしまう。
「アキト、このあと片づけしに行くんでしょ? キョウヤに聞いといてくれない?」
「オッケー。検査が終わってからでよければ」
「え、でもホノカっ」
「い、い、わ、ね?」
当人たちを無視して着々と手はずを整える二人の間に、ハルは慌てて割って入る。ところが、有無を言わせぬホノカの笑顔が、ハルがそれ以上なにかを言うのを抑えこんでしまった。
――これは逆らっちゃいけない笑顔だぁ……。
「さてと。じゃあとりあえず、ハルはあたしの部屋に行きましょ」
「さっきも言ったけど、ホノカはこれから検査だよ」
すかさず告げられたアキトの言葉に、ホノカは「……忘れてたわ」と言って頭をかかえた。
「あ、わたし、お散歩してるから大丈夫」
どうしたものかと思案をめぐらせているホノカにそう言えば、疑うようなまなざしが向けられる。
おおかた、ハルが部屋に戻る、もしくはシュウに見つかることを心配しているのだろう。
再度「大丈夫だよ」と伝えれば、ホノカはしぶしぶ納得してくれたようである。
「じゃあ終わったら連絡するわ。ちゃんと逃げきるのよ?」
「ははは……」
そう釘を刺すホノカに苦笑しつつ、ハルはそろって立ち上がった二人の背中を見送った。
――ああは言ったものの……。
どうやら新人研修が休みであるらしいシュウから、どうやって見つからないようにするかが問題である。
今朝の彼の様子を見れば、自分を捜しているだろうことは明白だった。当然、自分の部屋には戻れない。
――とりあえず、どっか移動しよう。
人の集まりやすい食堂にいるよりかは見つかりにくいだろうと、ハルはそそくさと食堂をあとにした。
「ユッキー? なにしてるの?」
ちょうど食堂横の通路から、オフィス棟へとつづく渡り廊下にさしかかったときである。
人工芝の敷かれた中庭で、ユキノリが大きな背中を丸めてしゃがみこんでいた。
ハルが声をかけると同時に振り返ったユキノリの陰から、一匹の柴犬がおずおずと鼻先を覗かせる。
「おはよう、ハル。聞いてよ~、ムサシってば、僕が近づくと逃げるんだよ~。ひどいと思わない?」
ハルの顔を見るなり、柴犬―ムサシは情けない声を出して地面に這いつくばっていた。
施設職員の誰かの飼い犬は、いつもならお気に入りの渡り廊下のそばで、通りかかる人に尻尾を振ってたわむれているはずである。
だが、誰にでも愛想を振りまくはずのムサシは、耳を垂れ、尻尾を脱力させて上目づかいにユキノリとハルを見比べていた。
「なーんできみは僕にだけなついてくれないんだい? ほーら、おやつだよー。こっちおいでー」
「くっふふっ、ムサシ超震えてんだけど」
おやつのジャーキーでおびき寄せようとするユキノリの奥で、ムサシがこの世の終わりに遭遇したかのような表情を見せていた。
とはいえ、ジリ、ジリ、とほふく前進をするムサシの視線は、ユキノリの目論見どおり犬用ジャーキーに釘づけである。
「ほぉーら、おいでー」
ところが、ムサシはユキノリのそばを大回りで通過して、ハルの足元にすり寄ってくる。
ハルがしゃがんで首の回りをなでてやれば、ムサシはうそのように尻尾を振ってよろこんでいた。
「ちょっと! なんでなにも持ってないハルのとこ行くの!? ほーらほら、ムサシ! こっちこっちー」
ユキノリの完敗である。
ムサシの大好物であるはずのジャーキーの当てがはずれたユキノリは、背中を丸めて本格的にいじけてしまったらしい。
ハルがムサシと遊んでいる間、彼はずっと恨めしそうにムサシを目で追っていた。
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