第18話 ブガイシャ

 すべてを拒絶するかのように、冷淡な声色がシュウの胸の高鳴りを打ち砕く。凍てつくような視線が、ハルに対する懐かしさも再会のよろこびもなにもかもを消し去ってしまいそうだった。


 望んでいたのはこんな再会じゃない。

 捜していたのは、あんな彼女じゃない。


 消化しきれないさまざまな感情が、ぐるぐるとシュウの体中を駆けめぐる。


「ここオレの部屋だから。そんなことより、ハルに聞きたいことあんだけど?」


 説明のつかない感情が、つい問い詰めるような口調にあらわれてしまう。「しまった」とは思いつつも、シュウの頭の隅では、彼女の態度からすればそれも仕方がないと開きなおる自分がいた。


 ハルは、ドアの前から一歩も動こうとはしなかった。


「話すことなんてないから」


 言うが早いか、体を反転させたハルが再度ドアノブに手をかける。

 その行動の意味を理解するより先に、反射的にシュウはベッドから身を離していた。


「待てよ! お前、いままでなにやってたんだよ! なんでこんなところにいんだよ! この三年、オレがっ! オレがどれだけ心配して、捜したと思ってんだ!!」


 シュウの手がハルの肩をつかみ、有無を言わせず自分のほうを向かせる。勢いのまま、シュウはその華奢な体を腕に抱きこもうと力を込めた。


「離して! さわらないで!」


 拒絶の言葉とともに、シュウの腕が力任せに振り払われる。

 呆然とするシュウを尻目に、ハルの指がドアロックを解除した。


「もう、わたしに関わらないで」


 一度もシュウと視線を合わせることなく、ハルは足早に部屋を出ていった。廊下を駆ける足音が、瞬く間に遠のいていく。

 静かに閉まったドアのオートロックの音だけが、むなしく部屋に響いた。



◇◇◇◇◇



「……戻ってくるわけない、よな……」


 主不在の右側のベッドは、朝になってももぬけの殻だった。

 寸分の乱れもないシーツにあらためて現実を突きつけられたようで、シュウは腹の底からため息をつく。


――たしかに、昨日はきつく当たりすぎたとは思うけど。


 だがシュウ自身もいろいろと混乱していたのだ。

 三年間捜しつづけていたハルと予期せぬ再会を果たしたかと思えば戦場へと駆り出され、予想だにしなかったハルのありさまを目の当たりにして。

 あまりにも目まぐるしく想定外のことが起こりすぎた。それらをすんなり受け入れろと言うほうが無理な話である。


「それにあいつだって……」


 ハルの、まるで自分とのことをなかったことにするかのような態度が気に入らなかった。

「こっちの気も知らねぇで」とぼやきながら、シュウは手早く身支度を整える。


――あいつ、昨日はどこで寝たんだろうな。


 おおかた、同じスペランツァであるホノカやツカサの部屋にでも行ったのだろうと思いながら、シュウは冷えきったベッドから視線をはずした。

 顔を合わせたくないという彼女の気持ちもわかるが、シュウとてハルと話さねばならないことがある。彼の中にくすぶりつづける疑問を説明されないかぎり、到底このわだかまりを解消などできようはずもない。


「……ったく、どこ行ったんだよ」


 幸いにも、本日の研修は休みである。ハルとじっくり話をするにはうってつけだろう。

 シュウは施設内にいるはずのハルを捜すべく、静かに部屋をあとにする。


 すると願いが通じたのか、廊下の向こうからこちらに向かってくるハルの姿がある。


「っハル……!」


 おもわず声をかけたシュウに対して、ハルは彼の言葉を待たずしてその場から走り去ってしまった。


「くそっ……!」


 追いかけた先の曲がり角にすでにハルの姿はなく、シュウはもどかしげに頭を掻いた。さすがにこうもあからさまに逃げられては、シュウもショックを隠しきれない。


「はぁ~……、なんだってんだよ、ったく」


 シュウは、朝から何度目になるかわからないため息を吐き出した。


「ねぇ!」


 不意に響いたソプラノに、シュウは反射的に顔を上げる。

 振り返った先、眉根を寄せたホノカがそこにいた。


「きみ、あの子のなんなの?」


 腕を組み、仁王立ちで視線を細める彼女の顔に笑みはない。全身から放たれる嫌悪感は、あきらかにシュウに向けられていた。


「あの子が嫌がってんのわかんないわけ? なんで不用意に関わろうとすんの?」

「……は?」

「嫌がってんだから関わるなって言ってんの」


 いらだちを隠そうともせず、ホノカはそう言い放った。

 一方のシュウも、こんな形で「はいそうですか」と引き下がるわけにもいかない。目の前の女に対抗するように、シュウもまっすぐに彼女を見遣る。


「それこそ関係ねぇだろ。これはオレたちの問題だ。余計な口出しすんな」


 迷惑だと言わんばかりの声色で紡がれた言葉は、ホノカの眉間のしわを増やすには十分だった。

 彼女は力を込めたヒールで床を踏み鳴らしながら、足早にシュウとの距離を縮める。


 次の瞬間、ひどく乾いた音が廊下に響き渡った。


 強烈な痛みを残す左頬と、強制的に右を向かされた視線。

 その状況に事態を理解したシュウは瞬時に、会って間もない女をにらみつけた。いきなりの仕打ちに文句のひとつでも言ってやろうと、口をひらきかける。


「あたしたちのことっ……!」


 少しも視線をそらさないホノカの瞳が、怒りに濡れていた。

 握りしめられた手が、わずかに震えている。


「あの子のことなんにも知らないくせに、勝手なことばっかり言ってんじゃないわよ!!」


 それだけを言い捨てて走り去っていくホノカのうしろ姿を見送ることなく、シュウはなにも言い返せずにただその場に立ちつくしていた。

 ピリピリと熱を帯びる左頬以上に、心が悲鳴を上げていた。


――んなこと、言われなくてもわかってんだよ……。


 ハルのことならすべて理解していると思っていた。それがただの思いこみであることなど、自分が一番よくわかっている。

 しかしあらためてそのことを他者に指摘されると、言いようのない感情に支配されるのだ。まさに痛いところを針で突かれたように、故意に目をそらしていた事実が急速に目の前に迫ってくる。


「……いてぇ……」


 口に出した言葉は、誰にも届かなかった。



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