第20話 コンフリクト
「さーてと。それじゃあ、マリアちゃんに見つかる前に、僕はそろそろ行こうかな」
ようやく立ち直ったらしいユキノリが、重たそうな体を左右に揺らしながら立ち上がる。
だが時すでに遅し。渡り廊下の反対側から、足早にヒールの音が近づいてきている。
その響きがどこかいらだちを感じさせるのは気のせいではないのだろう。
「あなた! こんなとこでなに遊んでるの! さっさと戻ってらっしゃい!」
「あらぁ、見つかっちゃった」
やはりユキノリは仕事場を抜け出してきていたらしい。もぬけの殻となった部屋を発見したマリアの様子が、目に浮かぶようである。
「ほら! さっさといらっしゃい!」
「ごめんって、マリアちゃ~ん」
足早に歩み寄ってきたマリアが、容赦なくユキノリの襟首をつかんだ。眉を下げ、引きずられていく司令官のなんと情けない姿か。
ハルが苦笑していれば、マリアが振り返って彼女に声をかけた。
「ハル、あなた暇なら、ついでだから検査にいらっしゃい」
マリアがここにいるということは、おおかたホノカの検査も終わったのだろう。
ポケットで震えた端末の画面を確認して、ハルはマリアとユキノリのあとを追いかけた。
◇◇◇◇◇
「やっば! まだなつかれてないじゃん! ウケる!」
ハルの差し出す端末の画面を覗きながら、ホノカはケタケタと笑い声を上げた。
そこに写っているのはもちろん、先ほど中庭でムサシと遊んでいたときに撮った写真である。満面の笑みではしゃぐムサシのうしろのほうで、ユキノリが大きな体を丸めて肩を落としてうなだれていた。
「あの子、ユッキーがクマにでも見えてんじゃない?」
目尻をぬぐうホノカの言葉に、ハルは「そうかも」と苦笑いで同意した。ただ避けているならまだしも、地面に這いつくばって逃げるのだから、よっぽどユキノリのことが苦手なのだろう。
「図体がでかいってだけなのにねー」
自分の端末に送ってもらった写真を眺め、ホノカは再度にやにやと口角を上げた。
「あたしこれ待ち受けにするわ。ハルもおそろいにしよー」
「え……、それは、なんかやだ」
「なんでよ。てゆーか、それはどっちに対しての?」
互いに薄っぺらい愛想笑いを浮かべて、二人は声もなく笑いあう。
「で? あんた、あのシュウってやつとどういう関係なわけ?」
唐突に、ホノカがハルに問う。
「どう、って、言われても……」とハルが返答に困っていれば、返ってきたのは小さなため息だった。
「元カレでしょ?」
そう言いきったホノカに、おもわずハルの表情が固まった。
ホノカの前ではそれらしい言動はなかったはずだが、こうもあっさりと見抜かれてしまうとは。
ハルが否定も肯定もできずにいると、ホノカから再びため息が聞こえた。
「その顔は図星ね。ほんっと、ユッキーってばなに考えてんのよ」
「いや、ユッキーは知らないんじゃ……」
「わかんないわよ? あいつああ見えて、けっこう腹黒いんだから」
そう言って、ホノカはローテーブルの上の菓子に手を伸ばす。
「……スペランツァになったから?」
「それもある、けど……」
ホノカの言葉に主語はない。だがハルには、彼女の聞きたいことがわかっていた。
少し間を置いて、ハルは紅茶をひと口飲む。
「……浮気、されてて……」
「はぁ!? もしかして、あの女とじゃないでしょうね!?」
ハルが気まずそうに視線を泳がせれば、とたんにホノカは音を立ててコーヒーカップをテーブルに置いた。
あいまいに笑うハルの表情に、ホノカは盛大にため息をつく。
「はぁ~……、こんなことなら、もう一発ひっぱたいとくんだったわ」
あさっての方向に向かって、ホノカが低い声でつぶやいた。
ハルが短く聞き返すと、彼女は「いいのいいの。こっちの話」と言って、乾いた笑みを浮かべる。
そのとき、テーブルの上でホノカの端末が震えた。ハルに断りを入れ、ホノカは端末を耳に当てる。
「はーい。……そう、わかったわ。…………うん、そうね」
ホノカが端末の向こうに相づちを打つのを眺めながら、ハルは残った紅茶を飲み干した。カップを置くと同時に、ホノカが端末を離す。
「キョウヤ、オッケーだって」
笑顔でそう告げたホノカに、ハルはおもわず「うそ……」と声を漏らした。
「ま、あいつなら引き受けるだろうとは思ってたけど」
「え、え? どうしよ……。え、ちょ、ホノカっ……」
「ふふっ、よかったわね、ハル」
「や、うん、よかった、けど。あーでも……!」
うろたえるハルをよそに、ホノカがテーブルに手をついて腰を上げる。
「さてと! んじゃ、部屋に荷物取りに行きましょ。着替えくらい置いとかないと不便だものね」
「うん。あ、でも……」
「あたしも一緒に行ってあげるわ。ハルになにかされたら堪らないもの」
不安そうに見上げるハルに向かって、ホノカはそう言って微笑んだ。
小さめのボストンバッグにとりあえず目についたものを詰めこんで、ハルは静かに部屋のドアを閉めた。
「もういいの?」
部屋の外で待ってくれていたホノカの視線が、ハルの荷物を追う。思った以上にハルの荷物が少ないことを心配するホノカに、「そんなに長い期間じゃないだろうし」と返せば、彼女の視線がなにかを言いたげな様子でハルを見た。
「まあ、あんたがいいならいいけど」「ハルっ!?」
言いたいことを飲みこんだホノカの言葉がさえぎられる。
廊下の角から現れたシュウが、足早にハルとホノカに向かってきていた。
「なにか用?」
ハルをかばうようにして前に出たホノカに、シュウの足が止まる。
「どけよ。オレはハルに話がある」
「話すことなんてないわ」
まさに一触即発。当事者のハルを置いて火花を散らす二人に、ハルもさすがにこのままだんまりを続けるわけにもいかないだろう。
けっしてシュウのためではない。事情を知って、かばってくれるホノカのためである。
「……ねぇホノカ」
ハルがホノカの背中をひかえめにつついたとき。二人の注意を引きつけたのは、廊下に響く甲高い女の声だった。
「あぁー! シュウやっと見つけたぁ! どぉして連絡しても出てくれないのぉ?」
「ちょ、エリカ……!」
すぐにシュウに駆け寄ってきたエリカが、当然のように彼の腕にまとわりつく。焦るシュウがハルとホノカを気にしているのを察したエリカは、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……シュウに、なにか用ですか?」
目の前のホノカとハルに、エリカは訝しむような視線を向ける。つい先日の戦場でのできごとは、エリカを警戒させるには十分だったようである。
「いいえ、あたしたちは用はないわ」
ホノカは取り繕った笑みではっきりと言い放つ。
「そぉですか……。シュウ、行こっ!」
年上の二人に対して猜疑心を隠そうともしないエリカが、強引にシュウの腕を引く。
遺憾の表情で視線を寄越すシュウの姿が廊下の角に消えていくのを、ハルとホノカは黙って見送った。
「ハル、大丈夫?」
振り返ったホノカが、眉間にしわを寄せてたずねた。おおかた、元カレとその浮気相手のありさまを見せつけられたことを心配しているのだろう。
だがハルはといえば、「別にもうなんとも思ってないし」と、実にあっけらかんとしている。
「あたしたちも行きましょ。アキトとキョウヤが待ってるわ」
気を取りなおしてそう言うホノカに、ハルも彼女に続いてきびすを返した。
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