第6話 ターゲットロックオン
「後方に敵影反応あり!」
「来やがったか……!」
助手席で小型のノートパソコンをひらく小畑の声につられて、シュウたちは反射的にうしろを振り返る。
静まり返る車内に、息を飲む音だけが響いた気がした。
鳴りやまない警報。
次第に早鐘を打ちはじめる鼓動。
ひんやりとしたものが背筋を伝い、手のひらにじんわりと汗がにじむ。
脳天からサッ、と血の気が引き、冷や水を浴びせられたかのように体中の体温が一気に下がった。
無意識に浅くなる呼吸に、こわばった全身が小さく震えた。
知らず知らずのうちに、体は警笛を鳴らしている。
ここにいてはダメだ。
危険だ。
本能がそう訴えていた。
「なっ、なんだよあれ!!」
「おいおいおいおいマジかよ!?」
「やべぇよ! やべぇって!!」
誰かの上げた声を皮切りに、車内は一瞬にして混乱に包まれる。
意味もなく叫び声を上げる者。運転席の真木に向かって、スピードを上げろとまくしたてる者。なにもできずにただ呆然と立ちすくむ者。
シュウ自身も、その目でとらえた状況を理解しきれずにいる。
「なんなんだよっ、あれ……!」
マイクロバスのはるか後方に、『それ』はいた。
道幅いっぱいにうごめく黒、黒、黒。
波打つように揺れる
無惨にも踏みにじられた地面が、低いうなりをあげていた。
「……やっこさんのお出ましか」
ミラー越しの光景に、キョウヤはぽつり、とそうこぼした。
『敵影、なおも接近中。本件は輸送を最優先に、プラン
「了解」
片耳に装着したインカムからは、状況報告と作戦指示を伝える小畑の声とともに、耳ざわりな警報が絶えず鳴り響いている。
その奥から聞こえる慌ただしい喧騒に、キョウヤはちらりと車内の様子を確認した。
「うーわ。あいつらパニックじゃん。……まぁ仕方ないか」
車内を右往左往する人影に、キョウヤはおもわず苦笑した。
組織に属するがゆえに見慣れてしまった光景も、つい先ほどまで一般人として生活してきた若者たちからすれば、未知の恐怖そのものである。
『あれ』はいったいなんなのか。
混乱をきわめている若者たちにたずねたところで、明確な答えは望めないだろう。
なにが起きているのか。
この先どうなるのか。
それはあまりにも想定外のできごとで、突如として突きつけられた現実に、若者たちはただ身を委ねるしかない。
漆黒の塊が、徐々にバスへと迫っていた。
「ハル、いけそうか?」
インカムのスイッチを切り替えて、キョウヤはハルに問いかける。
彼女からの返答はない。
ハルはバスから顔をそむけるようにして、キョウヤの背中に張りついていた。
うつむき加減でぼんやりとする彼女のゴーグルに反射する景色が、走るバイクのスピードに合わせて高速で流れていく。
「おーい、ハルさんやーい。そんなにぎゅってされると、俺、苦しーんだけど?」
軽い調子でそう言いながら、キョウヤは自身の腰にまわされた細い腕をぺちぺちとたたく。
ようやく、ハルが顔を上げた。するりとほどいた手を、今度はキョウヤの肩に乗せる。
彼の広い背中に押しつけていた体を離せば、二人の間を冷たい風が吹き抜けた。名残惜しさを感じる間もなく、それは一瞬で互いのぬくもりを吹き飛ばしてしまう。
ハルは静かに腰を上げると、まっすぐに前を見据えた。
「……プラン
ひとつにくくった髪の束が、風に乗ってうしろに流れる。
そこに、先ほどまでの不安げな彼女はいない。
「キョウヤ、あとで迎えにきてね」
「おう、任せとけ。気をつけてな」
「うん、いってきます」
プライベート回線を通して鼓膜を揺らすキョウヤの声に、ハルは小さくうなづき微笑みをこぼした。
そうして、体重を乗せていたステップからシートの上に右足を上げる。キョウヤの体を支えにして、ハルは軸足にぐんっ、と力を込めた。
全身をバネのようにしならせ、ハルの体が宙を舞う。
瞬く間に遠ざかっていくバスとキョウヤの背中。
ハルは空中で後方に一回転すると、すとん、と地面に着地した。
ゆっくりと体の向きを変える。ふわり、とワンピースの裾がひらめいた。
「ターゲット、捕捉……」
ゴーグルの奥、漆黒の瞳が、獲物を狙うかのように妖しくきらめく。
彼女は口元だけで妖艶に笑った。
一方バスの車内では、ハルの行動が若者たちの動揺をますます大きくしていた。
「バイクの女の子が落ちたぞ!?」
「うそだろ!? やべぇよ!!」
「どうすんだよ!! どうすんだよっ!?」
シュウ自身も、目の前で起こった光景に目を疑った。
「……落ちたんじゃねぇ。あいつ、自分から飛び降りたんだ……!」
なぜ彼女はそんな行動に出たのか。
考えてみてもまったく検討もつかないが、その先の未来は想像するにたやすい。あの場に一人残ったところで、彼女にいったい、なにができるというのか。
「なに考えてんだよ……! あのバカっ」
「シュウ……?」
シュウは腕にしがみつくエリカを振りほどく。弾みで座席に尻餅をつくエリカには目もくれず、彼は通路の若者たちを押しのけて運転席へと駆け寄った。
「いますぐ引き返せ! 見捨てる気か!?」
すべてを飲みこむ勢いで迫りくる闇黒の波。
個々の姿をとらえられずとも、あれがよくないものだということは、シュウでも本能的にわかる。
「あれが敵なんじゃねぇのかよ!? それなのに!」
それなのに、ハル一人を残して速度を上げたバスは、みるみる彼女から遠ざかっていく。彼女を乗せていたはずのバイクは、いつの間にか先導するようにマイクロバスの前方を走行していた。
自然とシュウは声を荒らげる。
「心配せんでも大丈夫だ」
「ハルさんは、『スペランツァ』ですから」
「……は?」
「全員座れー。黙ってシートベルトして、しっかりつかまっとけよー。でないと、ケガするぞ」
真木と小畑はこの状況がさも当たり前であるかのようにさらりとそう言って、さらにアクセルを踏みこんだ。
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