第46話 ブキヨウナオトコ
◇◇◇◇◇
整備場へと続く薄暗い廊下。昼休憩を終え午後の仕事へ向かうキョウヤの足取りは、ひどく重い。
――やってらんねー。
誰に向けるでもない深々としたため息がやけに鼓膜を揺らし、意味もなく自分を責め立てている気がした。
あの日以来、彼はどこにもぶつけようのない感情をもて余していた。体中をめぐるモヤモヤとした重たいなにかを、いつまでも消化しきれずにいる。
――くそっ……。
紺のつなぎのポケットに両手をつっこんだまま、キョウヤは行く手に見える人物の姿に舌打ちをした。
相手をするのも億劫で、気づかないふりをしてやり過ごそうとする。
「……だっさーい」
「あ"?」
すれ違いざま、壁にもたれて腕を組むホノカが、わざとらしく声をあげた。
発せられた声の蔑むような響きに、キョウヤは足を止める。振り向けば、ひどく冷めた視線が突き刺さった。
「『ださい』、って言ってんの。あんたいま、自分がどんな顔してんのかわかってんの? ほんと、情けない男」
ため息とともに容赦なく浴びせられる言葉に、ますますキョウヤのいらだちがつのる。
「いちいち言われなくても、んなこたぁ、わかってんだよ」
「だったら余計たちが悪いわね」
次の瞬間、キョウヤのこぶしが勢い任せにホノカへと向けられた。
風圧がホノカの髪を揺らし、微動だにしない彼女のすぐそばで背後の壁が鈍い音を響かせる。
「なにが言いてーんだよ……!」
同性でも怯んでしまいそうなほど鋭いキョウヤの視線。細められたまなざしが、いまにも射殺さんばかりに突き刺さる。
だが、ホノカは平然とその視線を受け流した。
「自分がハルに選ばれなかったからって、いつまで拗ねてんの?」
「……拗ねてねぇよ」
「嘘。拗ねてるじゃない」
躊躇なく核心をついてくるホノカに、キョウヤは再度舌打ちした。
ホノカから指摘される事柄がいちいち的を射ていて、それが余計に自身の未熟さを露呈されるようで居たたまれなかった。
これ以上は聞きたくないとばかりに、キョウヤは早々にその場を離れようときびすを返す。
図星を突かれた彼のあからさまな態度に、ホノカはあきれながら息を吐いた。
「契約、失敗したわ」
「っ!?」
背にかけられた言葉に、おもわずキョウヤの足が止まった。ホノカに背を向けたまま、彼は小さく息を飲む。
彼女はいま、なんと言ったのか。
自分が途中で退室してしまった契約の場で、いったいなにが起こったというのか。
予想すらもしていなかった単語に、嫌な汗が背を伝う。
「失敗って、どういうことだ」
「そのままの意味よ。失敗は失敗。キューブは彼を拒絶した。彼はハルのスペラーレにはなれなかった。ただそれだけのことよ」
「あいつは……! ハルは、大丈夫なのか?」
「そんなこと、自分で確かめに行きなさいよ」
キョウヤの背中を一瞥したホノカは、ヒールの音を鳴らしながらその場をあとにする。
捨て台詞のように吐かれた言葉に舌を鳴らし、キョウヤは無意識にこぶしを握っていた。
「っ……、ハル……!」
感情の整理がつかないまま仕事にとりかかったものの、一向に作業は進まない。たびたび考えこむように手が止まり、いつもは間違えないところでミスが発生する。見かねた同僚が整備長に早退の許可を取ってきてくれたが、それすらも反射的に返事をしただけである。
正直、なにも頭に入ってこなかった。キョウヤはぼんやりと、目の前の分解された機器を眺める。
すると突然、後頭部に激痛が走った。
「ってぇ! 誰だよ!」
カランと音を立てて転がったスパナを拾い上げ、キョウヤはそれが飛んできたであろう方向を振り返りながら叫んだ。
後頭部はずきずきと痛みを訴えている。幸いたんこぶ程度で済んでいるが、一歩間違えれば殺人未遂である。
「あたしだよ! なんだい。なんか文句でもあんのかい!?」
腰に手を当て仁王立ちした女は、当たり前だと言わんばかりにふんぞり返っていた。筋肉質でたくましい体を包む真っ赤なつなぎは、ところどころオイルの染みで黒くなっている。
「危ねぇだろーが! 殺す気か!」
「手加減してやっただろ! たんこぶくらいでガタガタ騒ぐんじゃないよ!」
「くそが……」
投げ返されたスパナを、整備長は片手でつかみ取った。どこからともなく部下たちの感嘆の声が聞こえる。いつもなら調子に乗って自慢してやるところだが、いまはそんなもの無視である。
「ったく、キョウヤ! お前さっきの指示聞こえなかったのか? んなうわの空でやられても迷惑なんだよ。今日はもう上がっちまえ!」
女の酒焼けした声は、広い場内に響き渡った。
辺りを見回せば、いつもと様子のおかしい彼を心配する視線にいくつもぶつかる。
「チッ、わーったよクソババア」
「誰がババアだって!?」
自分を取り巻く空気に居たたまれなくなって悪態をつけば、再び正面から凶器が飛んでくる。顔面に当たる寸前でつかみ取り、今度は下から投げ返した。
「酒でも飲んで、嫌なことはすっかり忘れちまいな!」
なかば追い出されるようにして、キョウヤは整備場の扉を後ろ手に閉める。
そのままなにをするわけでもなく、足は自然と屋上へ向かっていた。
――いるわけねーのに、……バカみてー。
心地いい木漏れ日の中、刈りそろえられたばかりの芝生の上で仰向けに寝転がる。
ささくれだった心をなでるように、見上げた青空をやわらかい風が流れていた。
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