第40話 ネクストステージ

 すべて思惑どおりに進むはずだった。否、思いどおりになっていた。

 それなのに一瞬ですべてをくつがえされ、自身の洗脳を破られたことがこの上なく腹立たしい。

 ミズホは奥歯が軋むほどに噛みしめる。


「先に仕掛けてきたのはそっちだ」


 再度ミズホに向かって駆けだしたハルは、間髪入れずに攻撃を繰り出した。

 体勢を立てなおしたミズホも負けじと応戦する。

 互いの力を巧みに受け流し、またはその反動を利用して相手の体に衝撃を与えていく。流れるような体さばきは、まるで優雅な舞いを見ているかのよう。


「あんたの動きなんて、お見通しなのよ!」


 そう言って、ミズホは強烈な蹴りを下段から繰り出す。

 いままでのペッカートとの戦いにおけるハルの身体能力、戦闘スタイルはすべて調査済みだ。


 しかしながらこれまで以上の速さを発揮するハルに、次第にミズホの顔にも焦りが見えはじめる。ぶつかりあうこぶしとすばやい足技の連携に、ミズホはなんとか対応するのがやっとだった。

 いつしか防戦を強いられるだけのミズホに、ハルの一方的な攻撃が打ちこまれる。


「わたしはっ! こんなところで負けるわけにはっ、いかないんだ!」

「くっ……! いったいどこからこんな力が……!?」


――この子、戦いの中で成長している!?


 ミズホが自分の思考に意識を持っていかれたそのときだった。

 一瞬の隙をついたハルがミズホの背後にまわり込む。身を低くして移動しながら、ハルの手の中に粒子が集まっていた。

 ミズホが咄嗟に振り返るより前に、ハルは躊躇なく彼女の背中に剣を突き刺した。


「ぐぅっ……!? っはぁっ……!」


 生暖かい鮮血が、じっとりと刃を伝ってハルの手を濡らす。

 胸を貫いた剣を見つめて、ミズホは無意識に口角を上げていた。


「なかなか、やるじゃないっ……。あの方がっ、欲しがるわけね……」


 口の端から血をあふれさせながら、それでもミズホは喋りつづけた。


「ねぇ……、あなたなら、あの方をっ……、救ってあげられる?」


 ハルはなにも答えない。

 ミズホの体は、突き刺さった剣を支えにしてゆっくりと傾いていく。


「あぁ……、レン様……、あたくしはっ……」


 ミズホは目を細めて天を仰ぐ。

 灰色の雲間から、光の筋が彼女の瞳に吸いこまれていく。

 剣を引き抜くと同時に力なく崩れ落ちたミズホを一瞥し、ハルは消えゆく亡骸に背を向けた。


「「ハル!!」」


 静けさを取り戻した丘に、シュウとホノカの声がこだまする。

 駆け寄ってくる二人と視線が交わった瞬間、ハルは弾かれたように走りだしていた。

 そうして目の前の腕をつかむと、揺さぶるようにしてシュウに詰め寄る。


「シュウ! ケガは!?」


 ハルの勢いに押されつつ、シュウはおもわず目を丸くした。二人の関係上、まさかこんなにも心配されるとは思ってもいなかったのである。

 不謹慎にもうれしいと思ってしまう心を落ち着かせ、シュウは濡れてひたいに張りついたハルの前髪をそっと払った。


「大丈夫だよ、ハル」

「幸いケガひとつないわよ。モルテにもふれてないしね」


 ミズホに投げ飛ばされたおかげで、図らずもシュウは戦場から離脱することができた。

 ハルとホノカが浴びたモルテも雨がきれいに流してしまい、発生したガスを吸わずに済んだシュウはしっかりと自分の足で立っている。


「よかった……」


 深々と息を吐いたハルのひどく安心しきったその表情に、自然とシュウの顔もほころぶ。


「ありがとう、ホノカ」

「どういたしまして。一時はどうなることかと思ったわよ。あたし、ハルを敵にしたくないからね」


 不満そうに眉を寄せて、ホノカはハルの両頬を左右にひっぱった。

 いらぬ心配をさせた罰だと言う彼女に、ハルは「ごめんって」と言って笑ってみせる。


「さてと、帰るわよ、二人とも」


 ハルの頬から手を離したホノカがきびすを返したときだった。

 ハルの体が、ゆっくりと前のめりに傾いていく。


「っと、ハル?」


 隣にいたシュウが咄嗟に彼女を支えるが、ハルからの返事はない。

 それどころか、ぐったりとシュウに寄りかかったままその場に倒れこんだ彼女は、完全に意識を失っていた。

 体は無意識に酸素を体内に取りこもうと、浅い呼吸を繰り返す。血の気が引いた肌の白さとは裏腹に、ハルの全身は燃えるように熱かった。


「ハル? おい、ハル!?」

「ハル!? 目を開けて! ハルっ!!」



 悲鳴にも似たホノカの声が、モニター越しに司令室に響き渡る。


「キョウヤ! ハルを回収してきなさい! 医療班! すぐに治療の準備を!! 急いでっ!!」


 マリアが最後まで言い終わらないうちに、キョウヤは司令室を飛び出していた。

 彼女の指示に、誰もがいっせいに動きだす。事態は一刻を争うかもしれなかった。



◇◇◇◇◇



 慌ただしく施設内を駆け回る人々をよそに、エリカはひとり自室にこもっていた。


「なんで、誰も教えてくれなかったの……?」


 シュウが拉致された。それを知ったのはつい先ほどのことで、そのときにはすでにスペランツァが彼の救出に向かっており、自分の出る幕は残されていなかった。

 どうして自分じゃ駄目なのか。

 シュウの恋人は自分であり、優先されるべきは恋人である自分ではないのか。


「シュウ……、なんで……」


 二人で朝を迎えたはずのベッドは、すっかり冷たくなってしまっていた。

 かすかに彼のにおいが残る布団を頭から被り、膝をかかえてうずくまる。


「あんなやつ、いなくなればいいのに……」


 エリカは膝に頭を沈めたまま、忌々しげにつぶやいた。



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