第60話 キョウメイ
「っく、はぁ、はぁ、はぁっ……!」
呼吸を乱しながらも、ハルは一向に減ることのない敵の群れに向かっていく。
おそらく全身あちこち傷だらけなのだろう。絶えず痛みを訴える肉体に、ハルはおもわず顔をしかめる。
まるで頭からバケツの水を被ったかのように全身を染める鮮やかな赤は、敵を斬り伏せたときに飛び散ったモルテなのか。それとも自分の体から流れ出たものなのか。いまとなってはもはや区別などつかない。
「そろそろ諦めたらどうだ? もう立ってるのもつらいんだろ?」
ふいに視界にとらえたレンは、うすら笑みを浮かべながらハルのことを見ていた。
彼が姿を見せた途端、敵の攻撃がピタリとやむ。
「……やっぱり、ペッカートはレンの命令で動いてる……」
いったいいつの間にそこまでの力を身につけたのか、はなはだ見当もつかなかった。
しかしながら、誰よりも優れたスペランツァであった彼ならばやりかねないと妙に納得してしまう。
「わたしは、ここで負けるわけにはいかないんだっ!!」
ハルはまっすぐにレンをにらみつけた。
互いの視線は絡み合ったまま離れることはない。
しかしレンの言うとおり、たしかにハル自身立っているのがやっとだった。
血を、流しすぎた。視界はかすみ、意識は朦朧としていた。
「くっ…、あんた、なんかにっ……!!」
踏ん張りがきかず一歩よろめいたときだった。
ハルの鼓動がひときわ大きく脈打つ。
おさまることのない激しい動悸に、彼女はおもわず胸元を握りしめた。
体中をめぐる血液が熱い。
呼吸のリズムが追いつかないほどに、体は酸素を欲している。
こんな異変は、いままでに感じたことがない。尋常ではない自身の体の変化に、ハルは焦りを感じていた。
しかし同時に、どこからか力がみなぎってくるような感覚に襲われる。ひたいが、焼けたロープを巻きつけられたように熱い。
――キューブ……?
異常を訴える体の変化がキューブによるものだと本能的に理解したハルは、再度目の前の男をにらみつける。
レンはまるで、こうなることを望んでいたかのように、満足そうに笑っていた。
◇◇◇◇◇
「ハルはどこ!?」
司令室内にマリアの声がこだまする。
戦場が映し出されたモニターでは、闇に飲まれた彼女の姿を確認することができない。
「生存、確認しました!」
サーモグラフィーのモニター上で、人型をかたどった影が飛ぶように敵に斬りかかっていく。
「敵が、多すぎる……!!」
「ハルさんっ……!!」
「シンクロ率上昇! 限界点、突破します!」
いたるところから現状の報告が飛び交う。
「一人じゃ無理だ! もうハルを下げてください!!」
祈るような気持ちでモニターを見守っていたシュウだったが、もはや我慢の限界だった。
いてもたってもいられなくなり、彼はユキノリに食ってかかる。
彼女一人が戦っていることが当たり前のようなまわりの人間も、それを止めることなく黙っているキョウヤにも腹が立った。
「ハルを下げたとして、それからどうしろと言うんだい?」
「そ、それは……」
モニターから目をそらすことなく発せられた言葉に、シュウは返す言葉が見つからない。
ペッカートと対等に戦えるのは、キューブの力を得たスペランツァだけである。
ホノカの意識はまだ戻ってはいない。たとえ意識が戻ったとしても、到底出撃できる状態ではないのは明白だった。
スペランツァ抜きでこの戦いを勝ち抜く勝算は、ないに等しい。
「我々にはもはや、ハルにすべてを託す以外、方法がないんだよ……」
奥歯を噛みしめしぼり出されたユキノリの言葉が、やけに室内に響いた。
その声色に、そのひと言に、さまざまな思いが込められていた。
一瞬の静寂が流れる。
それほど長い時間ではない。だがどうしてか、それは異様に長く感じた。
「っ、シンクロ率さらに上昇!! ……うそ……、そんなっ……!?」
突如として静寂を打ち破った女性オペレーターの甲高い声が震えに変わる。
尋常ではない彼女の様子に、次の言葉を誰もが固唾を飲んで待った。
「シンクロ率……、計測、不能です……!!」
「なんですって!?」
マリアの表情が一変する。彼女はすぐさま何台も並ぶパソコンに駆け寄り、複数のキーボードを指で弾く。
いくつものデータを映し出すディスプレイは赤く染まり、そのどれもが警告を発して点滅していた。
「そんなっ……!?」
「マリアちゃん? いったいどうしたんだい?」
ディスプレイを凝視していた彼女は、ゆっくりとした動作でユキノリを振り返る。
その唇は心なしか震え、瞳は不安げに揺れていた。
「シンクロ率、バイタル反応、すべてが計測不能よ」
「なっ…!?」
「ハルは!! ハルは無事なんだろーな!?」
それまで黙ったまま戦況を見守っていたキョウヤがマリアに詰め寄った。あまりの勢いに、彼女は数歩後ずさる。
「なぁ!! ハルは大丈夫なのかよ!?」
「キョウヤ! 落ち着け!!」
咄嗟に、シュウはキョウヤの腕をつかんだ。
多少なりとも理性を取り戻したのか、キョウヤは下唇を噛みしめたまま下を向く。握りしめられたこぶしからは、うっすらと血がにじんでいた。
「マリアちゃん、ハルの状況は?」
司令室全体が混乱しはじめる中、ユキノリの冷静なひと言にマリアは首を横に振った。
「わからない。こんなことは前例がないわ。正直、なにが起こっているのか……」
そう言って、マリアは頭をかかえた。
司令室内は、なんとも言えない空気に包まれた。誰もがモニターに映し出される映像から、目を離せなくなっていた。
キョウヤは必死に自分を落ち着かせ、祈るように彼女を見守っている。
いますぐにでもハルを迎えに行きたい。
その思いが、彼の表情から見てとれる。
先ほどから様子のおかしいハルの姿に、誰かが生唾を飲みこんだ。
そのときだった。
急に前かがみになったかと思うと、ハルは勢いよくレンに向かっていく。それはいままでに見たことのないほどの速さで、その姿をモニターで追うのもやっとだった。
驚異的な彼女のスピードに、レンの体は咄嗟に反応ができない。
案の定、真正面から彼女の攻撃を受ける羽目になってしまう。かろうじて攻撃を受け流し、彼はその場からそれほど離れていない場所に立つ。
レンの顔からは、笑みが消えていた。
「いったい、なにが……?」
マリアの声に、司令室にいた全員が顔を見合わせた。
「ハルは!?」
キョウヤの言葉に、全員がモニターの隅々まで彼女の姿を捜す。
そしてようやく砂煙が晴れ、その中にうっすらと人影が現れた。
「こ、これは……!?」
「どういう、ことだ……」
しかし現れたのは、みながよく知る彼女の姿ではなかった。
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