第61話 キオク

 ハルの体中に痛々しく刻まれていた無数の傷が、すべて完治していた。

 漆黒だったはずの髪は、色素が抜けてしまったかのようにキラキラと銀色に輝いている。

 ハルはゆっくりと、うつむいた状態から顔を上げる。

 風になびく前髪の下。

 赤色の聖痕が、鮮やかにその存在を主張していた。

 おもむろに胸元に手を当てたハルが、深く息を吸う。

 ひらかれた襟のすきまから、まばゆい光があふれ出していた。


「っまさか……! 完全融合……!?」


 それまでイスに座っていたユキノリが、身を乗り出すようにして腰を浮かせた。

 その表情は、まるで信じがたいものを目の当たりにしたかのように見開かれている。


 ハルの胸元で、ピジョンブラッドルビーのごとき深紅の宝石が輝いていた。それはまさしく、彼女の心臓に寄生していたはずのキュードロップである。


「完全、融合……?」


 聞き慣れない言葉にいち早く反応したのはキョウヤだった。彼はひたいに手を当てながら、じわりとユキノリに詰め寄った。


「キョウヤ……!? お前、そのひたいの……!」


 シュウはおもわず驚愕の声を上げた。

 キョウヤのひたいに、ハルと同じ聖痕が浮かび上がっている。


「そうか。キョウヤくんは、ハルのスペラーレだからね。おそらく共鳴だろう」

「そんなことはどうでもいい。ハルは、どうなっちまったんだ?」


 キョウヤの言葉に、ユキノリは大きくうなづいた。そうしてゆっくりと口をひらく。


「僕も初めて見る現象だ。おそらくハルは、キューブとのシンクロ以上のつながり、完全融合を果たしたんだと思う。いまのハルは、これまでと比べものにならないほどの力を秘めている。それこそキューブの力をすべて引き出せるほどに。ただ、これまでに実例がないからね。その影響がどう出るのかまったく見当がつかない。最悪の場合……」

「チッ……!!」

「キョウヤ!?」


 ユキノリの言葉を最後まで聞くことなく、キョウヤは司令室を飛び出した。ハルの鼓動を近くに感じながら、迷うことなく彼女だけを目指す。

 ひたいに浮かんだ聖痕は次第に色濃くなり、いまははっきりと認識できるまでになっていた。


「ハル……! 無事でいてくれっ……!!」


 無意識のうちに体の奥からあふれ出る力に戸惑いつつも、思いのほかすんなりと受け入れることができたのは、手に取るように感じるハルの存在がそうさせたのだろうか。

 咄嗟にあとを追いかけてきたシュウを瞬く間に引き離して、キョウヤは脇目もふらずにスピードを上げていく。


「くそっ……! どうなってんだよ……」


 シュウはキョウヤの走り去っていった廊下の向こうを見つめながら、苦い表情で下唇を噛みしめた。



◇◇◇◇◇



「さすがだな。やっぱり、俺の見込んだとおりだ」


 目の前に立つハルの姿に、レンは口角を上げた。

 それはハルがキューブとの融合に成功したことへのよろこびか。

 もしくは自身の思惑どおりに事が運んでいることへの充足感か。

 否、そのどちらもと言ったほうが正しいのだろう。

 周囲を取り囲むペッカートの群れの中で、そこだけが異質な空間のようにぽっかりと穴を開けていた。剣を交わらせる二人には目もくれずに、ペッカートは互いを貪り合っている。

 耳ざわりなほどの気味の悪い奇声は、フィルターがかかっているかのようにどこか遠くに感じられた。


「完全融合を果たしたってことは、お前も視たんだろ?」レンが悲しげな目をして小さく笑う。


「キューブの記憶を」


 熱く流れる血とともに体中を駆けめぐったのは、キューブの力だけではなかった。

 何百年、何千年、何億年にもおよぶキューブの記憶。

 それらがまるで走馬灯のように一気に脳内に流れこみ、無理やり押しこめられた情報量の膨大さと突きつけられた現実に、心が壊れてしまいそうだった。

 いままで信じてきたものが根底からくつがえされるような事実に、頭がおかしくなりそうだ。

 しかしながら、すんなりとそれを受け止めているのもまた事実で、妙に納得してしまっている自分がそこにいた。


「……クリミナーレは、闇に堕ちたわけじゃない。スペラーレの血を飲むのは、キューブと融合するための強硬手段。スペラーレは……、生け贄だったんだ……!」


 互いの攻撃をかわしながら、相手の剣を己のそれで受け止める。繰り広げられる応酬は、もはや常人の目でとらえることはできなくなっていた。


「正解だ。だから正確には、俺はまだ『スペランツァ』なんだよ!」


 レンはハルの言葉に満足そうに目を細めた。

 彼の胸元には、黒水晶のような深い闇色の宝石が埋まっている。

 それこそ彼がまだスペランツァであることの証で、人間の判断が間違っていたことを裏づける決定的な証拠だった。

 血を飲み干すという残虐な行為から、一方的に彼らを闇に堕ちた裏切り者だと決めつけ、排除したのは人間だ。彼らはただ己の運命に従ったまでのこと。

 それは、人間を守るための苦渋の決断だった。しかしそうした代償への仕打ちは、ひどく残酷なものである。


「ハル、お前もわかっただろ? 一番悪いのは誰なのか。俺たちが本当に戦うべきなのは、いままで守ってきた人間なんだよ」

「それはキューブが望んでることじゃない」

「そうだとしても、やつらが『はいそうですか』と、素直にキューブを還すと思うか? 思わないだろ? 仮に還したところで、どうせまた同じことの繰り返しだ。人間は、忘れる生き物なんだよ」

「キューブは、誰のものでもないよ」


 しいて言うなら世界の、この惑星ほしに生きとし生けるすべてのものの希望の結晶だ。

 人間によって破壊された自然や文明、生命の営みの中で生まれる怒りや憎しみ、哀しみといった負の感情が形となりペッカートが生まれ、彼らを鎮めるためにキューブはただそこに在りつづけ、とめどなく生まれる負の連鎖を浄化しつづけていた。

 スペランツァは希望の使徒だったのだ。負の連鎖を断ち切り、ペッカートに成り果てたものが再び希望あふれるせいを送れるように、導いてやるのが彼らの使命だった。


「だが人間は、まるで我が物のようにキューブを独占した。キューブが本来の役目を果たせないせいで、世界にはペッカートがあふれ、やつらは救いを求めてキューブに群がる。当然だ。いままではキューブが救ってくれたんだからな。だが人間どもはやつらを敵だと決めつけ攻撃した。このままじゃ、人間は世界に負のエネルギーを放出しつづける」


 それはこれまでにも幾度となく繰り返された、闇に葬られた歴史の一部である。何度繰り返しても学ぼうとはしない人間の身勝手なおこないが、とうとう抑えが効かないところまできてしまったのだ。


「だから、人間を滅ぼすの?」

「あぁそうだ。そうすれば、俺たちは平穏に生きられる。何者にも邪魔されず、静かに暮らすことができるんだ」


 やり直すためには、一度すべてをリセットしなくてはならない。

 そう言ってレンは、かつてと同じやわらかい表情でハルに手を差しのべる。


「おいで、ハル。一緒に行こう?」

「……」

「俺とお前がいれば問題ない。そうだろ?」



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