第62話 カタストロフィ
あのころのままの声色でそう言うレンの手を、ハルはじっと見つめていた。
手を伸ばせば簡単に届く距離。
レンはきっと、あの日の屋上の続きを望んでいるのだろう。
そらされることのない闇色の視線に、ハルはそっと目を伏せる。
「……わたしは、キューブを守るよ。いままでだってそうしてきたし、これからもきっとそう……」
「ならば」
「だけど、レンとは一緒に行けないよ」
悲しそうに笑ったハルに対して、レンの顔から笑みが消えた。それこそ裏切り者を見るかのようなまなざしは、怒りと憎しみにあふれている。
「お前も、俺を捨てるんだな……」
剣を両手で構えなおしたレンは、本気でハルを殺しにかかるつもりらしい。これまでと比べものにならないほどのスピードで、彼はハルとの距離を詰める。
ぶつかり合った
「たしかに人間はずるくて、自分勝手などうしようもない生きものだよ。だけどそれでもみんな、生きようと必死にもがいてる。わたしは人間に生まれてよかったと思ってるし、ここには大切なものがたくさんある」
ハルは眼前に振り下ろされた刃を受け止める。重たい一撃だった。男女の力の差では、やはりハルのほうが押し負けてしまう。
「わたしは、人間を守りたい!」
力ずくで押しきろうとするレンの力を利用して、ハルは後方に跳躍して距離を取る。体勢を立てなおし、まっすぐにレンの姿をその瞳にとらえた。
「お前に剣の扱い方を教えたのは、誰だかわかってるのか?」ハルの意志をあざ笑うように、レンは短く息を吐く。
「お前に、俺は殺せない」
「そんなの、やってみなくちゃわからないでしょ?」
なおも彼女を挑発するレンに、ハルは口元を歪ませた。
次の瞬間、ハルが動いた。
手にしていた剣を粒子に戻し、無防備な状態のまま真正面からレンに向かっていく。
「バカが! 気でも狂ったか!」
レンは勝利を確信した。つかんだ剣を両手で握りなおすと、なんの躊躇もなくまっすぐに向かってくるハルを見据える。
彼は手にした刃を、ひと思いにハルの体に突き立てた。切っ先は赤い液体を滴らせながら、ハルの腹部を貫通する。
「お前なら、わかってくれると思っていたんだがな。残念だ……」
最後のとどめとばかりに押しこまれた刃に、ハルの体はレンに寄りかかるようにして動かなくなる。
ハルの体を貫いた剣が、真っ黒な粒子となって散っていく。
噴き出した鮮血が、二人の体を赤く染めていた。
崩れ落ちそうになるハルの体を引き寄せて、レンは一瞬だけ表情に影を落とした。
だがそれもつかの間のことで、彼はゆっくりとハルの胸元に顔を近づける。キューブドロップに宿る彼女の力を取り込もうとでもいうのだろうか。
「……やっと、つかまえた……」
「っ!?」
深い吐息とともに吐き出されたつぶやきに、レンの動きが止まる。
瞬間的に身の危険を感じハルから離れようとするレンに手を伸ばし、ハルは彼の頭を腕の中に抱きこんだ。
「もう、いいよ。レンも、苦しかったんだよね? もう、がんばらなくてもいいんだよ?」
「っ……!」レンの呼吸が乱れる。
「ずっと、ひとりで寂しかったんだよね?」
ハルにはわかっていた。
彼が十年以上もの長い歳月を、たったひとりで孤独感に耐えていたことを。かかえていたものの大きさも苦しみも、すべてキューブを通して伝わってきていた。
それこそ自身でペッカートを無限に作り出せるほどに、彼はずっとひとりで、暗い闇の底でもがいていたのだ。
誰にも理解されず、人間を憎むことでしか自我を保っていられなかった。
彼もまたペッカートと同じように、キューブに救いを求めていたのかもしれない。
「もう、終わりにしよう?」
「くっ、やめろっ……! 離せ!!」
レンは必死にハルの腕から逃れようとするが、なぜだか力が入らない。言うことをきかない自身の体に、レンはこれまでに感じたことのないほどの恐怖感に見舞われた。
自身の中から憎悪が消えてしまうのが、怖くて怖くてたまらなかった。
「っ……! ハルっ……!」
「大丈夫だよ。レンは、ひとりじゃないから」
凍てついた心を溶かすかのように、レンの体をぬくもりが包みこむ。
相反する感情のせめぎ合いに、レンの表情が歪む。
「全部、わたしが連れていく」
そうハルがつぶいた瞬間、どこからともなく炎の龍が姿を現した。無数の龍は縦横無尽に宙を舞い、次々と無表情の黒い塊を飲みこんでいく。
「くっ……!!」
目の前のぬくもりにすがりつきたい思いを振り払って、レンはやっとの思いでハルの体を突き飛ばす。
少しでも彼女と距離を取ろうと、必死の形相を浮かべながら逃げ惑うレンのうしろ姿を、ハルはしっかりと見据えていた。
そうしてまっすぐに伸ばされた指先に従って、宙を舞っていた炎がレンに向かっていく。
「やめろっ……! やめてくれっ……!!」
天駆ける龍の速さにかなうはずもなく、レンの体は瞬く間に炎に包まれる。
そのまなざしが、一瞬安らぎにも似た色を浮かべたのは気のせいだろうか。
断末魔すらも飲みこんで、炎は辺り一面を焼き尽くし、一匹、また一匹と、ペッカートは七色の光となって姿を消していった。
「っ……!」
気づけば周囲に敵の姿はもはやない。
焼け野原となり荒廃した大地に一人たたずむハルは、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れるようにして座りこんだ。
辺りにはペッカートが死したことで発生した有毒ガスが漂っている。
ハルは、赤い水たまりに座りこんだまま動かない。
ぼんやりと、赤い水面を見つめるうつろな瞳になにを映しているのか。
全身血濡れのその姿は、いまにも消えてしまいそうなほどに儚く、危うい雰囲気をまとっていた。
ハルが静かに顔を上げる。
そうして安堵したようにふんわりと微笑むと、その体は本人の意思に反してゆっくりとうしろに傾いていった。
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