第29話 アカニソマル

 すっかり傷の癒えた腕で口元の血をぬぐいながら、ヒカルとマヒルはケタケタと嗤いつづける。

 うごめくペッカートが発する喧騒の中、双子の声が不協和音を奏でる管楽器のように鳴り響いていた。


「……う、そだ……、ツカサ……?」


 ぺたり、とその場に座りこんだハルは、うわ言のようにツカサの名を呼ぶ。

 だがその呼びかけに返事があるはずもなく。


「ツ、カサ……? ツカサ……、ツカサ、ツカサっ……!」


 ハルの視線は、闇に消えたツカサの姿を捜していた。

 目の前で起こった光景を受け入れられない脳はそのたびに、いつかの記憶を繰り返し再生する。

 子犬のようにうしろをついて回る姿も。

 からかわれて頬をふくらませるその仕草も。

 誰よりも懸命にトレーニングに励む横顔も。

 彼女の笑顔に、いったいどれだけ助けられただろうか。

 それゆえに、最期に見せた彼女のはじめての泣き顔が脳裏に焼きついて離れない。


「ハル、立って。ツカサの思い、無駄にすんの?」


 前を見据えたまま大鎌を構えるホノカの周囲を、龍の形をした氷の帯が渦巻いていた。

 全身をしならせる凍てついた龍は、荒々しく地面に尾を叩きつける。


「……ハル」


 それでもハルは応えない。地べたに座りこみ、うつむいた視線はいまだ地をさまよったまま。絶望に沈んだ肩が小刻みに震えていた。


「立ちなさい! ハル!!」


 ここはまだ戦場である。倒さなければならない敵が目の前にいる。いまこの場所で戦意を失うことはどういうことなのか。それは彼女たち自身が一番よく理解していた。

 泣いている暇はない。後悔している時間はない。まだ、やるべきことが残っている。

 袖口で目元をぬぐい、ハルはゆっくりと立ち上がった。手にはしっかりと、己の武器を握りしめて。

 まっすぐに鋭い視線を向けるハルに、ヒカルとマヒルはニヤニヤと歪んだ笑みを送った。


「いいね、その眼」

「おいでよ」

「「遊んであげる♪」」


 言うや否や、双子はそれぞれ腕を組むようにして自身の前腕を重ね合わせる。内側のやわらかい皮膚に己の爪を立てると、彼らはそのまますばやく両腕をひらいた。必然的に裂かれた腕から鮮血が飛び散る。


「これやるの久しぶりー」

「あのとき以来だね」


 重力を無視して双子の手の内に集まる血液が、深紅のナイフを形作っていく。

 次の瞬間、ハルとホノカが動いた。

 迷いなく一直線に向かってきた彼女たちに、ヒカルとマヒルは口角を上げる。何事もなかったように治癒した腕を掲げて、鏡あわせのように両手のナイフを構えた。


 ところが、ハルもホノカも双子には目もくれない。それどころか、彼女たちは颯爽と双子の脇を駆け抜けていく。

 拍子抜けするヒカルとマヒルの背後で、激しい血しぶきが上がった。

 響き渡る断末魔。次々と崩れ落ちる巨体。地響きが空気を震わせる。

 モルテの雨が降りしきる中、ハルとホノカは双子に相対する。

 氷と炎が大きなうねりとなって、彼女たちを取り巻いていた。


「これで邪魔者は片づいた」

「次は、あんたたちの番」


 忌々しそうに笑顔を歪ませたヒカルとマヒルは、そろって地面を強く蹴った。

 もはや数による優劣はない。それぞれが目の前の一人に集中し、力ある者が生き残る。

 剣技の応酬に比例して増えていく生傷が、絶えず痛みを訴えていた。

 下段から振り上げられたハルの剣が、競り合おうと交差したヒカルのナイフを弾く。

 がら空きになった腹部めがけて、ハルは勢いよく回し蹴りをお見舞いした。遠心力も加わって、ヒカルの体は折れ曲がるようにして簡単に弾き飛ばされる。


「ヒカルっ!?」


 視界から消えた片割れの姿を追って、マヒルの気が一瞬だけそれた。

 その隙をホノカが見逃すはずもなく、氷の龍が一直線に彼へと向かってつっこんでいく。

 鈍い衝撃とともにマヒルの体が宙を舞い、龍はそのままマヒルもろとも、瓦礫の上でうずくまるヒカルへと激突していった。

 砂煙を上げながら、瓦礫の山が崩れ落ちる。


「フフフッ」

「アハハハハッ」


 這い出てきた双子は、いままで以上にひどくいびつな笑顔を貼りつけていた。ひらいた瞳孔にスペランツァの姿を映して、彼らは長く鋭利に変化した真っ赤な爪を見せびらかす。


「さすがだなぁ」

「けどそれじゃ」

「「ボクらは殺せない」」


 次の瞬間、双子の姿はスペランツァの懐に入りこんでいた。まるで瞬間移動でもしたかと思うほどのスピードに、ハルもホノカも息を飲む。

 紙一重で一撃を防ぐも、寸分の狂いもない攻撃の連続に、彼女たちは防戦を強いられる。


「くっ……!!」


 競り負けたのはスペランツァのほうだった。

 強く背中を打ちつけたコンクリートの壁に、放射線状の亀裂がいくつも走る。


「もうおしまい?」

「つまんないなぁ」

「「もっと楽しませてよ」」


 ゆっくりと距離を詰めてくる敵の姿に、ハルとホノカは互いに視線を交差させた。


「ホノカ、いまのって」

「気づいた? さすが双子ってかんじ」


 口の中を切ったのか、ホノカは少量の血を吐き出しながら笑う。

 彼女の表情に、ハルも勝機を見いだしたかのように前を見据えた。そこに不安や焦りは一切ない。


「ハル、まだいけるわよね?」

「もちろん」


 ハルとホノカは、ゆっくりと呼吸を合わせる。



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