第35話 スペラーレ
「……限界が、近いんだと思う」
ユキノリは、シュウが否定したかった想像をいとも簡単に肯定してしまう。
できれば違う可能性を示してほしかった。
もしかしたら、そう遠くない未来にハルが消えてしまうかもしれない。それも、得体の知れない物質によって。
シュウは受け入れがたい真実に生唾を飲みこんだ。言葉が出てこない。
どうしてこんなことになってしまったのか。
いくら悔やめども、それこそあとの祭りである。どうしてハルじゃなきゃいけなかったんだと、できることなら叫びたかった。いまさらどうしようもないと頭では理解している。しかし到底すぐには受け入れられそうにない。
「くっ……!」シュウは下唇を噛みしめた。
世界は、なんて残酷なのだろう。
「………でもね、この状況を打破し、なおかつ彼女の寿命を少しでも長くする方法がある」
少しばかり躊躇しながらもそう口にしたユキノリの言葉に、シュウはうつむきかけていた顔を上げた。示されたわずかな希望にすがる思いだった。
「それが、『スペラーレ』とよばれる者の存在。スペランツァと運命をともにし、彼女たちを守護する者だと、僕たちは仮定している。お互いの魂をキューブを介してつなぐことで、スペランツァの足りない部分を補っているんだと思う。たしかに、科学では到底説明しきれない。妄想だと言われたら、もしかしたらそうなのかもしれない。それでも現実に、僕らの前には実例がある」
「実、例……?」
ぽつりと聞き返したシュウに、ユキノリはしっかりとうなづいた。
「ホノカと、アキトくんだよ。彼女もまた、過去にハルと同じような症状に見舞われた。いや、あのときはもっと深刻だったかな」
当時のことを思い出そうとしているのか、うなるユキノリの思考をさえぎり、シュウは先を促した。
ハルよりも先にスペランツァとして選ばれたホノカは、過去のデータを次々とくつがえすほどに順応力が高かった。物事の飲みこみも良く、早いうちからその能力を使いこなしていたのである。それこそ初回から弾き出したシンクロ率の高さには、研究者一同舌を巻いたほどだ。
だからこそ、体にかかる負担は誰よりも大きく、彼女は頻繁に意識を失ってしまうほどの代償を求められた。数日間眠りつづけることもしばしばあり、キューブとシンクロすればするほどホノカの健康状態は悪化していったのである。
しかし、研究を進めていくうちにあきらかとなったスペラーレの存在が、彼らに希望の光をもたらした。
命をかけて運命をともにする役目に名乗りを上げたのは、当時からユキノリやマリアの助手をつとめていたアキトだった。
「するとね、それまでの症状がパタリとやんだんだ。まぁ健康上の理由で体調不良になることはあったけど、以前の状態が嘘のように回復した。もちろん能力値も上昇。とはいえ原理がわからないのは、研究者として非常に悔しいとこなんだけどねー」
「……」
「でも、ホノカはいま、元気でしょ?」
突拍子もない話だと思った。まるで絵本の中の作り話だ。
だがシュウは、どういうわけかすんなりとその事実を受け入れることができた。目の前の彼が嘘を言っているような気がしない。
そして、これから告げられるであろう言葉に、少なからず感づいてしまったのも事実である。
「きみに、ハルのスペラーレになってもらいたい」
予想どおりの言葉だった。
この話は、きっとごく一部の人間しか知らないのだろう。そんな話を経験の浅い自分に聞かせるということは、つまりそういうことなのだ。
もしかしたら、この男は初めからわかっていたのだろう。ハルとシュウの以前の関係もなにもかも知り得たうえで、彼らをあえて同室にしたのかもしれないとさえ思った。
「すぐに答えを出せとは言わない。だがもし、きみがハルのことを本当に大切に思っているのなら、考えてみてほしい」
シュウは見上げた天井に向かって息を吐いた。
どのくらい時間が経ったのかはわからないが、シュウは一向にそこから動く気がしなかった。
体が、心が重たい。
部屋に響く時計の音が、やけに耳につく。指一本ですら動かすのが億劫で、天井の染みをにらみつけるように眺めていた。
ユキノリの言葉が何度も脳裏を駆けめぐる。
ハルのことはもちろん大切だ。だが、自分には彼女を守りきれるだけの力も覚悟もない。
――『なんにも知らないくせに』、か……。
いつだったかホノカに言われた言葉。
あのとき以上にいまのほうが胸に突き刺さるのは、すべてを知ってしまったからだろうか。
同時に脳裏をよぎったのは、ツカサの死の瞬間だった。ユキノリの話では、彼女にもスペラーレはいなかったらしい。戦場で敵に背後を取られた原因となった異変が、キューブとのシンクロの代償なのだとしたら。
――いつ、ハルの身に同じようなことが起こっても、おかしくないってことか。
いまはまだ戦場で症状は出ていない。だが、いつそれが起こるかわからない。
もし戦場で異変に見舞われたら。
もし意識を失うほどの代償を求められたら。
「っ……!」
ハルの背負うものの重さに、感情が、思考がついていかなかった。
「……そういや、笑ってねぇな……」
再会してから一度も、シュウはハルの笑顔を見ていない。キョウヤやホノカたちと楽しそうに笑っているところはよく目にするが、自分だけに向けられた笑顔はないことに気がついた。
――もしも、ハルがそれを望んでないんだとしたら……。
そうなればもう打つ手はない。
おそらく自分が断れば、ユキノリはキョウヤをスペラーレにするのだろう。彼女にとっては、心を許しているキョウヤのほうがふさわしいのかもしれない。
だが、どうにも釈然としない気分に陥った。自分の中の黒い部分がうずくのを感じる。
シュウはその黒い感情を吐き出そうと、大きく息を吸いこんだ。
◇◇◇◇◇
ベッドの上で、男は枕を背もたれ代わりに上体をわずかに起こした。
闇に包まれた部屋の中、月明かりだけが男女の肌を照らし出している。
男は口角を上げ、妖しい笑みを浮かべる。
「ますます、欲しくなった」
かたわらの女はいまだ熱の冷めやらぬ身体を男に預けると、その胸板に頬を寄せる。
しかしその表情はどこか嫉妬に駆られているようで、女はおもしろくなさそうに唇を尖らせていた。
「あたくしには、あの子にそれほどまでの価値があるとは思えませんが?」
再び熱を帯びはじめた身体に反して、女の声色は心なしか冷めたものだった。
女は緩慢な動きで、ねっとりと男の肌に舌を這わす。
「いずれわかるさ」
フッと鼻で笑った男の首元に顔をうずめ、女は素肌を惜しげもなくさらけ出したまま男に体重をかける。
どこかで、ぴちゃり、と水音がした。
「レン様の、思うままに」
そう耳元でささやいた女の声は、ひどく艶をまとっていた。
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