第49話 コール

◇◇◇◇◇



「……ふぅ~ん?」


 部屋のドアを開けるなり、ホノカは舐めるように目の前の二人を見遣った。オーバーサイズのパーカーの袖をまくって腰に手を当てた彼女は、なにか言いたげにしつつも、語るのは視線ばかりである。


「悪い。ちょっとハルのこと預かってくんね?」


 気まずそうに苦笑をこぼすハルの隣で、キョウヤが平然とした様子でそう言う。

 昨日までの態度から一転していつもどおりの雰囲気を醸し出す彼に、ホノカはますます視線を細めた。


「それは別にいいけど? あんた、ほかに言うことないわけ?」


 さんざん心配をかけておいてそれだけかと圧をかけるが、キョウヤはけろっとして小首をかしげている始末である。


「……おはよう?」

「違うわよ、バカ」

「いっ!? てっ……!」


 返された答えに、ホノカはおもわずキョウヤの脛を蹴った。

 いくら裏でけしかけたとはいえ、こうもあっさりと決着されるとそれはそれで複雑な心境である。

 とはいえ、つながれたままの二人の手に、ホノカは内心でほっと安堵の息をついた。


「ほら、用事があるんでしょ。ハルは預かっとくから行きなさいよ」


 シッシッ、と追い返すように手を払えば、キョウヤは「はいはい」と言って肩をすくめた。


「ハル、あとで迎えにくるから」

「うん、いってらっしゃい」


 ハルに向き直ったキョウヤが、下ろしたままの彼女の長い黒髪に指を通す。さらさらと揺れる髪をそっと耳にかけると、ハルが照れくさそうに少しうつむいてはにかむのが見えた。


――やっと、収まるべきところに収まった、ってかんじね。ほんと、世話が焼けるんだから。


 一連のやりとりをなんとも言いがたい笑みを浮かべて見ていれば、キョウヤが「じゃあ頼むわ」と言ってきびすを返した。

 小さく手を振るハルの横で、ホノカも彼の背を見送る。


「さっさと戻ってきなさいよ! あんたには山ほど説教してやるんだから!」

「へいへい」


 片手を上げて短く応えたキョウヤのうしろ姿におおげさにため息をついて、ホノカはハルの肩に手を回した。


「ハル? お姉さんと、ちょっとお話ししましょうか」

「は、はい……」


 逃がさないとでも言うように満面の笑みを向ければ、ハルも観念したのか苦笑いである。

 連行されるがごとく部屋に促されると、顔を見せなかったアキトが紅茶を淹れている最中だった。


「おはよう、ハル」


 どうやらアキトも非番らしい。ホノカと色違いのパーカーは、彼のほうがサイズが合っている。


「あれ? キョウヤは?」

「用事があるんですって。ほっときゃいいのよ、あんなやつ」


 ハルの代わりに、ホノカが悪態をつきながら答える。

 すると、玄関のほうへと視線を飛ばしていたアキトが困ったように手元を見遣った。

 トレーの上には、すでに紅茶が注がれたカップが四つ。


「冷めたのでも飲ませときなさいよ。どうせあとから来るんだから」


 パントリーからお菓子の入ったカゴを取り出して、ホノカがそっけなく言う。キョウヤに対してだいぶ根に持っているらしい。


「まぁ仕方ないね。捨てるのもったいないし」


 そう言って笑うアキトに、ハルも乾いた笑みを返すほかない。

 三人そろってリビングへ移動すると、それぞれ定位置へと腰を落ち着けた。


「で? キョウヤとは仲直りしたの?」

「あ、うん。もう大丈夫。というか、その……」


 ミルクたっぷりの紅茶にそうっと口をつけながら、ハルはあいまいに笑ってみせた。


「ちゃんと自分の気持ち、伝えられた?」


 やわらかい表情でそうたずねるホノカに、ハルは小さくうなづいてみせる。

 あらためて聞かれるとやけに気恥ずかしくて、二人の顔をまともに見られない。昨夜のことを思いだすだけで、恥ずかしさやらよろこびやらで胸が高鳴り、つい頬がゆるんでしまう。


「それでね、キョウヤが、その、スペラーレに、なってくれるって」

「よかったわね、ハル」


 ハルの表情にホノカは心底うれしそうに笑って、照れくさそうにはにかむ妹分の頭をなでた。


「契約、やり直さなきゃねー。マリアには僕から言っとくよ」

「うん。マリアさん、怒るかな?」

「小言くらいは言われるんじゃない?」

「えー」


 仁王立ちで腕を組み、あきれながら深々とため息をつくマリアの姿がたやすく目に浮かぶ。

 だがきっと彼女の小言の矛先は、能天気によろこぶであろうユキノリに向けられるはずだ。


「てゆーかほんと、男ってバカ」

「それは僕も入ってるのかな? ホノカ」


 ついポロリと出てしまった発言をアキトが聞き逃すはずがない。さすがと言うべきか、アキトは満面の笑顔でホノカの顔を覗きこむ。


「ややややだな。アキトのことじゃないわよ!」

「でも『男』って言ったよね? 僕も一応男なんだけど? あ、それとも男として見てないってことなのかな? ふーん、そっか、そーなんだー」


 不敵な笑みを浮かべるアキトから逃れようと、ホノカが楽しそうに笑うハルに助けを求めたときだった。

 急に動きを止めた彼女たちは、互いに目配せする。


「……ハル、聞こえた?」

「うん、でも……」

「なに? どうしたの、二人とも」


 唐突に静かになった二人の不審な行動に、アキトもただならぬものを察したらしい。彼の表情も瞬時に真剣なものに変わる。

 彼女たちの表情が、いささか緊張したようにこわばっていた。


「「キューブが呼んでる」」


 同時にアキトに向きなおった彼女たちは、口々にそう言った。



◇◇◇◇◇



 時を同じくしてシュウはひとけのない、せまい廊下に呼び出されていた。わざわざこんなところに呼んだからには、それなりの理由があるのだろう。

 たとえば人に聞かれてはまずいような内容だとか、そもそも話し合う気などないか。


「話ってなんだよ」


 訝しむような表情で問えば、目の前の男は平然として鼻で笑った。


「まぁそう気張んなよ。世間話のひとつでもしよーや」

「そういうんじゃないだろ」


 ため息まじりにそう言えば、図星だとばかりに鋭い視線とぶつかった。

 無言のまま、キョウヤは一歩シュウに近寄る。上部だけ脱いだつなぎのポケットに、両手はつっこんだままだ。


「俺、ハルと付き合うことになった」

「っ……!」


 薄々そんな予感はしていた。シュウが組織に入隊した当初から、二人の醸し出す雰囲気はあきらかに他者とは違っていたのだ。

 互いに自分の気持ちに気づいていないのか。はたまた相手に気づかせないようにしているのかは定かではなかったが、それでもそこに仲間以上の意識があるのは確実で、いずれはそうなるかもしれないとは思っていた。

 しかし確信に変わると、どうにも胃のあたりがキリキリと痛む。それが本人から告げられたとなれば余計にだ。

 ハルの幸せを願えども、シュウとしては、簡単には認めたくないのも事実である。


「なんでわざわざオレに言うんだよ」

「さぁな。自分で考えろよ」


 再度鼻で笑ったキョウヤが、少しばかり癇に障った。

 シュウはキョウヤから視線をはずす。


「ひとつ約束しろ」


 まっすぐに前を見据える。再び交わった彼の目は、真剣そのものだった。


「なにがあってもハルを守り抜け。万が一でもあいつを泣かせたりなんかしたら、そのときはオレが奪い返してやる」

「お前が奪い返すとか言えた口かよ」

「なに?」


 まさに一触即発。だが次の瞬間だった。

 キョウヤの携帯端末が、せまい廊下に呼び出し音を響かせる。


『キョウヤ! いまどこだ!? すぐ戻ってこいっ!』


 機械越しのアキトの声色が、ひどく緊迫していた。



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