鳥籠

「メルヴィ、もうよせ」


 夜の澄んだ空気をぴんと張ったような、清廉とした声が響く。

 御簾みすを上げて現れたのは、癖のない月白げっぱくの髪が特徴的な青年だった。髪色と同じ羽耳は先にかけて淡い朱鷺色ときいろに染まり、性別を超えた美しさを惜しみなく振りまく。

 純白の着物に濃藍色こあいいろ肩衣かたぎぬを合わせた彼の名はアタラと言う。メルヴィと同じく楽徒がくとを束ねる一人だ。


「連絡船が帰って来たのに姿が見えないと思ったら、またこんなことを……」

「よその楽徒がくとが、あたくしの教育に口を出さないでちょうだい」

雲雀ヒバリ様が君を探していた。夢喰採むしとりの成果報告も僕らの大切な役目だろう?」


 告鳥つげどりの一羽であるその名に、メルヴィの眉根がぴくりと動く。

 力なく平伏すオトを忌々し気に見下ろし、チッと舌を鳴らした。


「せいぜい雄に媚びて優しくしてもらいなさいな、この醜雌鳥しこめどり

「メルヴィ」

「フンッ」


 過言をたしなめるアタラにそっぽを向く。苛烈なくちばしをようやく閉ざしたメルヴィたちは、嵐のように去って行った。

 這いつくばるオトの下からサヨが抜け出し、彼女の肩を揺さぶる。


「オト姉様、大丈夫……?」


 叩かれた頬はみみず腫れが走り、唇を血が伝った。きっといつも以上に醜い顔だろう。

「大丈夫」と袖で顔を隠したオトの細腕を、アタラが引き寄せた。はっと顔を上げたが、すぐうつむいてしまう。赤い水引の髪飾りが彩る美しい顔に見惚れたのもあるが、それ以上に恥ずかしかった。彼とは正反対の惨めで醜い姿を晒していることが。


「こうなる前に呼んでって、いつも言ってるのに」

「だって、迷惑かけちゃうから……」

「僕がオトに一度でも迷惑だって言った?」


 優しい声色に問われ、弱々しく首を振る。

 アタラはオトと同い年の十九歳。片羽のせいで虐げられるオトを気にかけ、こうしてよく手を差し伸べてくれる。

 彼やサヨの心配りがあるから、オトはこの華やかで排他的な籠の中でも生きてこられた。


「サヨも、ありがとう。もう大丈夫だから、アタラと一緒にお帰り」

「……サヨも早く歌えるようになりたいです。そしたらオト姉様の分まで大きな声で歌います」


 優しい妹分と幼馴染のような青年が手を繋いで去る姿を見送り、息を細く吐いた。疲れ切って柱に背中を寄せた彼女の耳元へ「ガァ、ガァー」という鳴き声が届く。見ると、中庭に植えられた柳の木から、一羽のからすが飛び立った。

 夢喰むしを彷彿とさせる黒い鳥を、島民は「不吉だ」と煙たがる。だがオトは、月下を漆黒の翼で羽ばたく影に憧憬を覚えた。


「どこにでも飛んでいける羽があって、いいな……」


 セレニティから与えられた羽は、飛ぶことができない。むしろこの鳥籠に囚われる枷となって、命尽きるその時まで歌い、踊り、奏で――そうして外の世界を知らないまま、朽ちていく。



 月島クレセンティア神鳥セレニティ御座おわす神聖な島。

 雛鳥は普通の人間として生きることも、空を飛ぶ鳥として生きることもできはしない。この頃のオトはそう思っていた。に出会うまでは――。

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