ツツジ並木の出逢い

 大きな一枚板の立派な看板に、入り口から連なる上等な打掛、所作の行き届いた店員たち。一方で硝子棚ショーケースに映った自分の姿と言えば、みすぼらしい着物に飾り気のない顔。場違いにもほどがある。


「よ、用事があるんだった」


 目的の呉服屋を前にして尻込みしたオトの、精いっぱいの虚栄だった。驚くアタラに「すぐ戻るから」と嘘を重ね、今は街中をあてもなくさまよっている。


 慣れない人混みと喧騒に気疲れてしまったが、洒落た喫茶店カフェでお茶をする勇気もない。気がつけば、石畳で舗装された大陸人用の区画まで来てしまった。大きな馬車が行き交い、道端で煙菅パイプを吹かす紳士たちが異国の言葉で談笑している。オトにはさっぱり聞き取れなかったが、『新しい領事は変わり者だ』という、何てことはない世間話だった。


(どこか、落ち着いて休める場所は……)


 視線を彷徨わせていると、石造りの建物が並ぶ隙間から、白とピンクの群像に手招きされた。引き寄せられるようにそちらに足を向ける。猫が昼寝をしていた狭い路地を抜けた先には、川沿いに果てなく続くツツジ並木が広がっていた。


「綺麗……」


 土手から河川敷までを埋め尽くす見頃のツツジに出迎えられ、それまでの緊張感や言葉にできない心細さがすっとほぐれていく。

 花の甘い香りにいざなわれて河川敷へ降りた。人気がないのを確認して窮屈な菅笠を脱ぎ、胸の高さほどの低木の間をふらふらと歩く。


 大陸の建築様式を模した大きな建物の、裏手のせせらぎ。赤と白の煉瓦レンガが積み重ねられた色鮮やかな外壁の建物が何なのか、オトも心得ていた。


「総領事館の裏に、こんな場所があったなんて……」


 賑やかで忙しない街から突然違う世界に迷い込んだような、不思議な感覚だった。

 そんな風に心をうわつかせていたのが悪かったのかもしれない。不意に何かにつまずき、ツツジ並木の中へ転倒してしまった。


「きゃっ……」


 ドサッ、と派手な音を立てて、ぶつかった低木から花びらがいくつか舞う。

 愚図で鈍臭いと言われ続けてきたが、まさかここまでとは。ツツジの枝葉で擦った腕や汚れた袴を見られたら、また皆に笑われてしまう。アタラから逃げて、勝手に心細くなって。本当に何をしているのだろう。


 じんわりと滲んだ視界を瞬きで静め、服に着いた花びらや葉を払い落とす。泣いたら敏いアタラにすぐばれる。また無意識に下唇を噛み、気丈に立ち上がろうとしたその時。ふと後ろを振り返り、信じられない光景を目の当たりにした。


「ひ、人……!?」


 花が咲き乱れる低木の間に、男が倒れていた。どうやらオトがつまずいた正体は、上等な革靴に包まれた彼の足らしい。


 肩回りにケープがついた黒のインバネスコートを広げて仰向けに寝転がる男は、おそらく大陸人。日の光を透き通す淡い金髪と長い手足がそれを物語る。相貌は、よくわからない。というのも、寝息を立てる彼の顔面には、手のひらより大きな一頭の夢喰むしが留まっていたのだ。


 島民や駐在する大陸人は、夢喰むしを恐れて絶対に外では眠らない。島に来たばかりで夢喰むしのことを知らないのか、もしくは持病か何かで気絶してしまったのか。

 オトは雑草が生い茂る河川敷に再び膝を着いて、小声で呼びかけてみた。


「あの……」


 反応はない。その代わり、黒蝶のはねがわさわさと揺れる。


 夢喰採むしとりをするにはカージュの許可が必要だ。それに、大陸人のために歌うことは基本的に禁じられている。セレニティの信者ではないからだ。だがこのまま放置してしまったら、覚めない悪夢に囚われて命を吸い尽くされてしまう。


 赤煉瓦レンガの奥で背の高い旗竿はたざおひるがえる紋章旗を見上げ、オトは途方に暮れた。


「今はもいないのに……」


 倒れた男と膝をつくオトを、悠々と花開いたツツジがちょうど隠してくれる。オトは意を決して、背負っていた風呂敷からリラを取り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る