第二話 大陸の男

空と海の向こう

 昨夜助けてくれたお礼がしたい。そんな申し出を受け、アタラはオトを本島へ連れ出した。


 露店には島の名産である結晶硝子クリスタルガラスの工芸品が多く並ぶ。石英の純度が高く、他国の硝子と比べて硬度があるため、宝飾品や雑貨などに加工される。

 それと同じくらい店先に並んでいるのが、リュクスから輸入された外来品だ。服飾に加工食品、大陸の言葉で書かれた本などもある。


 リュクスとは、三日月が背を向けた西側に広がる大陸を統治する国だ。長らく港を閉ざしていたクレセンティアに開港をもちかけたかの大国によって、時が止まったままだった島の文明は一気に花開いたと言われている。


 羽耳を隠す三角の菅笠がきょろきょろと辺りを見渡した。雛鳥が夢喰採むしとり以外の用事でカージュの外へ出ることはほとんどない。島民や大陸の行商人が行き交う賑やかな街にオトの心が浮ついているのは明らかで、少し危なっかしい。

 あらゆるヒトモノにふらふらと引き寄せられそうな姿を見て、アタラは一回り小さい手を握った。


「っ……な、なに?」

「どこかへ行っちゃいそうだから」

「行かないわ、子どもじゃないんだから。サヨのお土産を探してただけ」


 そう言って、すぐに手を振り解いた。

 気恥ずかしい、なんて可愛らしい理由ではない。これはもっと醜くてみすぼらしい感情。港町を歩く乙女がアタラを熱のこもった目で見ていることに、オトは気がついていた。


(私なんかが、アタラと手を繋いでいいはずない)


 地味で器量も良くない、醜くて使えない片羽。長年刷り込まれた自己否定は根深い。早く用事を済ませてカージュに帰ろう。オトはそう決心して早足になる。


「そう言えば、アタラの用事って?」

「呉服屋。カージュの集落じゃ雌鳥めんどり用の生地ばかりだろ? 次の満月に幼鳥のお披露目があるから、雄鳥おんどり分の衣装をお願いしているんだ」


 カージュには圧倒的に雌鳥めんどりが多い。雄鳥おんどりがいないわけではないが、成長と共に高音域が出せなくなる彼らの立場は、どうしても弱くなる。

 そんな中、アタラは成鳥になった今でも美しい高音を歌い上げる逸材だ。自分の楽徒がくとを束ねる傍ら、雄鳥おんどりたちのまとめ役として、細かい部分の面倒を見ている。


 衣装の打ち合わせで本島の呉服屋に呼ばれたのだが、一人で行くのも気が引けるということで、オトに声をかけた……と言うのは建前で、本当は気晴らしにカージュの外へ連れ出したかっただけなのだが。


 あの小島は鳥籠だ。生きることに必要なものは十分なほど揃っているが、たまにとても息苦しくなる。多くの同胞から慕われるアタラでさえそう思うのだから、オトの心労はどれほどのものか。噛み癖でボロボロになった唇を横目に見て、朱鷺色ときいろの瞳を重苦し気に伏せた。


 付かず離れずの絶妙な距離感のまま並んで歩いていると、潮の匂いと一緒に大きな汽笛が響いた。驚いたオトは菅笠を上げ、高い防波堤の向こうを見上げる。

 本島には東西に一つずつ港がある。東がカージュ、西が大陸へ渡るための船の港。音がしたのはもちろん西側だ。


「何かしら……?」

「行ってみる?」


 漁船とも商船とも違う荘厳な音色に導かれるように、二人は防波堤を駆け上がった。


「わぁ……!」


 目下に広がる光景を前に、オトが感嘆の声を上げる。

 扇状に末広がる港を見下ろした先には、立派な蒸気船が海に浮かんでいた。煙突から煙を上げ、船首に掲げられた双頭の竜の紋章旗が風にひるがえる。


「リュクスの蒸気船だ。出航するところかな?」

「ねぇアタラ、あそこ……」


 船着場で出航を見送っていた一団を指さす。そこにいたのは紋付の羽織を着たクレセンティアの島主とうしゅだった。つまり、地位のある大陸人のお見送りに違いない。


「そう言えば近々リュクスから新しい領事が来るって、告鳥つげどり様が言ってたな」

「じゃあ、前の領事様があの船に乗って大陸へ帰るところ?」

「たぶん。新任もあれに乗って来たんじゃない?」


 島にいる大陸人の安全を守るのが総領事館の仕事で、その責任者が領事。クレセンティアには大使館がないため、外交の補助もしているとか。つまり領事はリュクスの代表。島主が見送るのも納得できる。


「すごいね……」

仰々ぎょうぎょうしいよ。島民も大陸人も同じ人間だろうに、こんな見送り……」

「ううん、そうじゃなくて……海は世界中に繋がってるって本に書いてあったの。羽がなくたって船さえあればどこにでも行けるんだって。すごいよね」

「……オトも、行きたい?」

「え……?」


 水平線と異国の船を見て輝度が増した金色の瞳が見開かれる。

 淀みのない真白の羽耳を持つ美しい青年の背後には、憎らしいほど澄んだ青空が広がっていた。


「私たちは、行けないもの……」

「……そうだね」


 行かないのではなく、行けない。その言い回しの裏側を察するには十分なほどの羨望を感じた。

 彼女の手を取って、あの船に飛び乗るような気概が自分にあれば――アタラはそんなもどかしい感傷を覚える。だが彼もまた神鳥かんどりの雛だ。羽耳を授かった者の責務を全うする義務がある。幼い頃からカージュでそう教え込まれてきた。


 雛鳥自分たちは、どこにも行けない。

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