門戸渡りの約束
「――それからグレイさんと弟さんが会いに来てくれてね、一緒に前の献上のお墓にお花をお供えしたの。二人のお兄さんのお墓にも今度連れて行ってくれるって」
流麗な目を細めたアタラは、眩しい横顔を眺めながら小さく頷く。彼女の微笑みを見たのはいつぶりだろうか。
「それでね、神獣の傷を癒す薬にノア様が心当たりがあるんだって。それを飲めば私の鳴官も治って、ちゃんと歌えるようになるかもしれないわ」
うつむいてばかりだったあの頃と違い、しゃんと伸びた背筋で前を向く金の瞳。アタラが与えられなかったものを、あの男が溢れるほど注いでいるのがわかる。
「あいつも一緒に来るのかと思った」
アタラの言う「あいつ」がノアを指すことに気づき、オトは困ったように笑う。
「私の看病につきっきりで、お仕事を溜めてしまったらしくて。今は執務室でサヨが見張ってるわ」
「俺も行く!」とアタラに負けず劣らずの駄々をこねた領事は、秘書官に
口元を手で隠して幸せそうに瞳を細める様子を、
「……オト、ごめん」
「え、何が?」
「今までのこと、全部。僕の弱さがオトを苦しめた」
結局、アタラはオトの手を引いて蒸気船に飛び乗ることはできなかった。中途半端に優しくて惨い自分の元を離れていったのは当然のこと。オトを本当の意味で鳥籠に閉じ込めていたのは、告鳥の圧力や雛鳥の責務ではなく、自分だ。
だがオトは歩みを止め、白い袖を引く。
「苦しめたって、どうして? いつも助けてくれたじゃない。それに私、アタラとサヨがいたからあそこで生きてこれたの」
「でもカージュの外に連れ出すことはできなかった」
「それは……」
仕方のないこと。そう言おうとしたオトを、アタラが正面から抱き締めた。
突然の抱擁で置き場に困った手が宙をさまよう。朝日に照らされた真白の髪が頬をくすぐった。これは、どういう状況なのだろう。
「アタラ……?」
「……オトは、カージュにはもう戻らないんだろう?」
震える声で問われ、戸惑いながらも小さく頷いた。すると抱き締める力がいっそう強くなる。いつも優しく気遣ってくれるアタラがまるで迷子の子どものように思えた。恐る恐る背中に回した手でトントン、とあやすように叩く。
ノアが一つずつ教えて、促して、助けてくれたおかげで、ようやく決心がついたのだ。ここで歌う。歌いたいのだと。だからもう、カージュには戻らない。
「ならあの約束も、もうだめか……?」
――かどわたりするときはいっしょにとぼうね。やくそくだよ。
アタラの肩越しに海の鳥居と島の影を見つめる。鳥籠への帰巣本能はもうない。オトは自らの意思で歌う場所を決めた。だがどれだけ外の世界を知ろうと、好きな場所で自由を謳歌しようと……羽耳を持って生まれた者の責務は、果たされなければならない。
「すごく自分勝手なことを言ってるのはわかってる。でも……」
「だめじゃないよ」
「……本当に?」
「うん。アタラと一緒に飛ぶ。約束したもの」
蔑視に罵倒、暴力。冷たく非道な鳥籠の中で、この約束が生きる希望だったことは間違いない。だが今は、どうしても脳裏に白金と群青色がちらつくのだ。
「だからそれまで時間をちょうだい。私、どうしてもここで歌いたいの」
生まれて初めて我がままを言った。許されるかわからないけれど、今はこの気持ちに素直に生きたい。ノアの隣でたくさんの未知を知って、もっともっと自分の目で世界を見てみたい。残された時間が許す限り。
「……わかった、ありがとう」
惜しむように抱きすくめていたアタラが抱擁を解く。帰る場所は違えど、向かう場所は同じなのだと互いに言い聞かせた。雛鳥の最後の役目を果たすその時までは、自分たちの心に従って生きよう、と。
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