第二章 歌うたえば音は笑む

第四話 運命

艶やかに熱く

 誰かに頬を撫でられ、オトの意識が浮上する。


 鉛のように重かった身体は、温かくて柔らかいものに包まれていた。羽毛布団だ。くたくたになった煎餅せんべいのような寝具しか知らないせいで、極楽浄土と勘違いしそうになる。

 見上げた天井は白く、壁も同様に漆喰の白。大きな上げ下げ窓の外には澄んだ夜空が広がっていたが、カージュの自室とは比べ物にならないほど明るい。天井からつり下がった大きな多灯の燭台シャンデリアのおかげだろう。


 見慣れぬ大陸様式の部屋を見渡すぼやけた視界に、金と青の美しいコントラストが映り込んだ。


「おはよう、俺の小鳥」


 雛鳥は耳が良い。それに一度聞いた音や声は忘れない。片羽のオトでさえ常人よりも遥かに優れた聴力を持つ。

 ツツジの香りと共に記憶に刻まれた声を聞いて、一気に視界が弾けた。


「ッ!?」


 頬を撫でる異国の美貌と一瞬だけ見つめ合う。驚いて飛び起きようとするが、肩を軽く押されてあっけなく枕へ舞い戻った。


「丸二日も寝たきりだったんだ。急に起き上がるんじゃない」

「な、なんで……!?」


 無音の扉が開き、ツツジ並木で出逢った彼が外へ連れ出してくれる夢を見た。でも、あれは夢だったはず。到底叶うはずのない夢だ。


 不安を隠すように鼻先まで布団を手繰り寄せて、忙しなく視線をさまよわせる。よく見れば鏡台や暖炉、上等な茶器が飾られた棚まである。夢にしては凝りすぎじゃないだろうか。


「安心しろ、現実だ」

「うそ……!」

「嘘じゃない。会いに行くって言ったじゃないか」

「あっ……」


 布団の隙間から入り込んだ手に白絹の浴衣がはだけた首元をなぞられ、肩を震わせた。ひやりとした指先がチェーンに繋がれた指輪を引っかける。


「お守り、効いたろ?」


 どこまでも自信に満ち溢れた微笑みを向けられ、心音が張り裂けそうなほどに高鳴った。頬に熱が集まるのを感じ、ふいっと視線を逸らす。


「お、お返しします……」

「いや、もう少し預けておく。俺の願掛けのようなものだからな」


 勝手に願いの当てにされても困る。眉を寄せるオトをよそに、男は思い出したように言った。


「そう言えば名前も言ってなかったな。俺のことはノアと呼んでくれ」

「ノア?」

「ああ。君はオトだろう?」

「名前、どうして……?」

「サヨから聞いた」

「サヨ!? あの子が何で……っ、ひゃあ!?」


 指輪から離れた手で急に羽耳の付け根を撫でられ、悲鳴が上がる。そこは猫の尻尾のように繊細なのだ。無遠慮に触られるとゾワゾワするし、優しくされてもゾクゾクする。とにかく、簡単に他人に触らせるような場所じゃない。それになぜだろう、絶世の美男ノアの息遣いが不穏だ。


「ハァハァ……なぁ、もういいよな?」

「な、何が……? あぅッ」

「我慢の限界なんだ。顔色も良いし、問題ないよな? なっ!?」


 震える羽耳に熱い吐息が当たる。いったい何の許可を求められているのだろう。

 オトに覆い被さる挙動に合わせて、寝具ベッドの木枠が軋んだ音を立てる。敏感な羽耳で拾うその全てが生々しく感じて、早まる鼓動で内側から破裂しそう。


「待って」と、白い襯衣シャツの胸元を押し返す。だが弱々しい手を取られ、そのまま枕元へ縫いつけられてしまった。


 興奮で煮えたぎった青の宝石に見つめられ、拒絶の言葉を焼き尽くされる。メルヴィの憎悪の視線とは全く違うが、どうしてか拒めない。


「酷いことはしない。ただ身を任せてくれたらいい」

「あ……」


 されるがまま、という言葉が一番しっくりくる。

 悩まし気に眉を寄せた視界の隅で、彼の手が下へと動いた。その一挙一動に反応して脈動する心臓。これ以上この美しい人を見ていたら自分が壊れてしまいそうで、ぎゅっと目を瞑る。


「では、さっそく……」


 視覚が断たれると聴力が過敏になる。服が擦れる音に想像力が刺激されて、羽耳がうずいた。これでは逆効果じゃないか。


 観念してうっすら目を開けると、そこには思いもよらない光景が広がっていた。

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