片羽のオト

 クレセンティアは三日月の形をした島。

 月で言う欠けた部分に、鳥籠カージュという離れ小島があった。セレニティの巣と呼ばれ、羽耳を持つ者たちが暮らしている。


 月が天辺まで昇った頃、本島と繋ぐ連絡船で海に建つ大鳥居おおとりいをくぐった。

 波打ち際の桟橋から寝殿造しんでんづくりの大きな建物へ、朱塗りの回廊が繋ぐ。

 ほとんどの雛鳥たちは、船を降りてすぐ東の居住区へ向かった。巻き込まれては堪ったものではないからだ。


 居住区とは反対側の練習場に、鼓膜を引き裂くような金切声が鳴り響く。


「本っ当に憎らしい片羽かたばねだわ! あたくしの舞台で耳障りな音を立てないでちょうだい!」

「申し訳ありま、」

「誰が喋っていいって言ったのよ、この愚図!」


 歌姫ことメルヴィは、薄桃色のたっぷりとした髪を逆立て、畳んだ扇子でオトの横面を思いきり殴打した。

 衝撃で硬い板間に倒れ込んだ無様な姿を見て、数人の熱心な取り巻きが嘲笑する。


 彼女たちが見下ろすオトと言えば、飾り気のない藍色の着物は慎ましやかで、言葉を選ばなければ地味で古臭い。茶色がかった黒髪は少し癖があって、栄養不足で艶もなく、玉蜀黍とうもろこしのひげのようだとよく笑われる。着飾られることに幸せを見出す他の雛鳥たちとは比べ物にならないほどの芋娘だ。黒い蝶の方がまだ華やかに見えるだろう。


「醜い片羽はそうやって地べたに這いつくばってるのがお似合いよ」

「歌えない雛鳥なんて、メルヴィ様の楽徒がくとに必要ないわ」

告鳥つげどり様もどうしてさっさと追い出さないのかしら、こんな出来損ない……」


 セレニティの眷属である三羽の告鳥つげどりが率いるカージュは、楽徒がくとと呼ばれる三つの歌劇団を持つ。島に蔓延はびこるの悪夢を祓うため、本島で日夜夢喰採むしとりの歌を奏でる。


 夢喰採むしとりは集団芸能。一人の失態は楽徒がくとの失態。演奏中に雑音を立てたオトにも非がある。だからどんな罵詈雑言を浴びせられようとも仕方がない。そう自分に言い聞かせて、降り注ぐ硝子片がらすへんのような言葉に切り刻まれながら、ただひたすらに耐えて、耐えて、耐えた。


「右の羽耳もお揃いになるように切り落としてあげましょうか」

「本島の花街にでも置き去りにしたら、こんなのでも雄が引っかかるんじゃない?」

「歌えないなら要らないわよね、こんな醜い片羽」

「それ、は……」


 いやです、その一言がか細い喉から出てこない。

 セレニティは純潔と癒しを司る神獣。雛鳥は純潔を失うと、夢喰採むしとりに必要な神通力を喪失してしまう。穢れてセレニティの子でなくなった者たちは、両の羽耳を切り落とされて鳥籠の外へ放たれる。


 オトは誓って清い身体だったが、訳あって左の羽耳を失っていた。

 過去のトラウマで歌うことができず、不揃いな片羽であるオトを、周囲は簡単に軽んじた。男に純潔を奪わせて残された羽耳を切ってしまおうと、そんな恐ろしい提案を平気でするくらい。


 するとそこへ、小柄な影が俊敏に舞い込んだ。


「やめて! オト姉様をいじめないで!」


 それは夢喰採むしとりの籠を抱える役目を持った幼鳥の一人、サヨだった。

 利発な少女は結んだ前髪をぴょんと揺らして立ち塞がると、年の離れた姉鳥たちを果敢に睨み上げる。

 取り巻きたちは子どもに見られて罰が悪くなったのか、扇子で口元を隠し一歩退しりぞく。だがメルヴィだけは違った。


「幼鳥のくせに、いつあたくしが舞台に上がって良いと言ったの? 勝手をするやからは誰であろうと害鳥よ」


 オトの時と同じように、畳んだ扇子が振り上げられる。子どもだろうが容赦なく駆除しようと言うのだ、この冷酷な歌姫は。


「――だめ!」


 扇子が振り切られる瞬間。オトがとっさにサヨを抱き込み、背中をぶたれた。着物の上からでも素肌に鞭打ちされたような痛みが突き抜け、サヨを抱えたまま力なく倒れ込む。


「オト姉様……!」

「サヨ、じっとして、喋っちゃだめ……!」


 一度では済まない。今までの経験から痛いほど理解している。

 せめてサヨが傷を負わないように、オトはひりつく背中を差し出すことしかできなかった。


「弱いくせにそうやって正義ぶるところが、本当に気に食わないのよ」


 氷点下の声色と無情な手の平を鉄扇で叩く冷たい音に、四肢が震える。

 次に襲って来るであろう痛みを想像して目をつむった、その時――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る