第六話 大陸人の歌姫
悪夢の襲来
個室で無事元の姿へ戻ったアルベルトが、怒気を隠しもせず出てくる。
「一発ぶち込んでもいいか?」
「いいぞ、軍法会議の真っただ中へ連れてってやる」
腰の拳銃へ手を伸ばす幼馴染を鼻で笑うノア。私情の発砲は一発だろうと重罪だ。どうせできないと高を括った
「ブフッッッ!!」
「アルベルト様! それはもしや、わたくしが現役時代に女だからとナメられた時に使っていたバレットナックル……!?」
「勇退した英傑の置き土産だ。大事に使わせてもらっている」
「はうぅっ……う、嬉しいですぅ……!」
歴代の返り血が染みついたアルベルトの
うっとりと瞳を蕩けさせた秘書官の足元で、ノアが腹を抱えてうずくまった。
「クソッ、ゴリラが二体に……!」
「ノア様! 大丈夫ですか?」
膝をついたオトが心配そうにのぞき込む。純粋に身を案ずる姿はまるで礼拝室に飾られた乙女像のよう。感極まって淑やかな胸へひしと抱きついたノアを、軍靴とハイヒールが容赦なく叩きのめした。
∞
用事が済み、一人だけボロボロになった領事を連れて門へ向かう最中。
坂の脇道にある船着場が騒がしいことに気づき、四人は足を向けた。
『キース! しっかりしろ!!』
人だかりの中心にいたのは、ノアとオトに険悪な態度を見せていた門番だった。余裕のない大陸語で声で呼びかける人影には、隙間なく黒い
『――ッ、全員退避! 警報発令、急げ!』
『いつ
『海洋巡視中の仮眠時かと……』
『所属不明船に気を取られて見張りを怠ったな? 始末書は後で貰おう』
アルベルトよりも年高な艦長は、青い顔を苦々しく歪めた。
クレセンティアの海域を数日間に渡り巡視する隊員たちは、浅い眠りの中で厳しい船上生活を送っている。少しでも気を抜いて欠伸でもしようものなら、どこからともなく現れた黒い蝶に覆われてしまうから。先日命を落とした隊員もそうだった。
『グレイ、キースを離すんだ。規定に則り海へ送り出す』
『ッ……!』
アルベルトにグレイと呼ばれた門番は、大柄な身体をビクつかせて首を横に振る。
『お前の兄が亡くなった時に皆で決めただろう。初期症状を過ぎてしまうと献上一人では助けられない。これ以上被害を広げないために、海へ還すんだ』
『でもっ……キースは俺の弟だ……! 兄に続いて弟まで失うなんて、納得できません! それに、こいつはまだ生きてるんですよ!?』
『キースの命を吸い終わればまた別の者を襲う。そうなる前になるべく遠くへ送り出すしかない。艦長、小船の準備を』
『そんなっ……嫌です! ……っ、嫌だ!!』
助からない者のために献上まで失うわけにはいかない。助かるはずの命まで助からなくなってしまう。前回の悲劇でそれを学んだ彼らは、手遅れになった仲間を小船に一人乗せて海へ放つと決めていた。
取り乱すグレイの目の前で、艦隊から小船が降ろされる。
「――ッ、献上ォ!!」
「っ!?」
グレイの喉が張り裂けんばかりのクレセンティア語で呼ばれ、身体を強張らせた。
話している内容はわからなかったが、グレイの悲痛な表情から大体の状況は察することができる。そして、彼が自分へ向ける憎悪の意味も。
「歌え! 歌えよ! それがお前らの存在意義だろうが!!」
「っ、ぁ……」
「オト様、聞かなくて良いです」
青褪めた表情で震え上がったオトをハンナがとっさに抱き寄せる。羽耳を手で塞ぎ、抑えの利かない悲しみと怒りの暴言を遠ざけた。だが、言葉の刃はその切れ味を増すばかり。
「何でお前らはそんなに無力なんだ! 何がセレニティの雛鳥だ! どうして俺たちを助けてくれない! 助けろよ、なぁ!! 歌え、歌えって!!!」
――鳴け、
ぶわりと蘇った記憶に、歯がかちりと音を立てる。呼吸が浅く速いものへと変わり、心音が鼓膜を包んだ。
(やっぱり、私じゃ――……!)
過去のトラウマに屈服しそうになった、その時……。
「オトはどうしたい?」
小刻みに震える手を握ったノアが問う。やけに明瞭な声は、オトの視線を釘付けにする。
「わ、私、やっぱりできな――」
「できるかできないかではなく、本当はどうしたい? 自分にできることしかしてはいけないなんてことはないはずだ」
指の間を固く握り込み、優しくも力強い視線でオトを見つめる。彼に導かれるように、命を吸い取られる家族を抱いて泣き喚くグレイを見た。
彼らが何のために島へ来て、何と戦っているのか。大陸人がクレセンティアの開国を支援するためにどれほど尽力してくれているか。何も知らなったオトへ、ノアが一つずつ教えてくれた。彼らを救うことが島を守ることにも繋がると。
弟と引き離そうとする仲間へ激しく抵抗する彼を嘲笑うように、黒い
「――助けたい、です」
胸の
「そう言ってくれると、信じていた」
微笑んだノアは、グレイを取り囲む集団へ足を向ける。
「いい加減にしろ、グレイ! お前だけが辛いなどと思うな!!」
悲痛に顔を歪めたアルベルトが振り上げた拳をノアが掴む。驚いて振り返った幼馴染へ、珍しく真剣な眼差しで告げた。
「彼を海へ送るのは延期だ。総領事館へ移送する準備をしろ。俺の小鳥が歌うそうだ」
「歌うって、この量を一人でなんて……!」
前任の献上が命と引き換えに歌っても、祓いきることはできなかったのに。アルベルトが凛々しい眉をひそめる。
「大陸人の命を守るのが領事の務め。彼女はそのことをよく理解してくれている。つまり、これは俺たちの仕事だ」
一心不乱に抵抗して泣いてばかりだったグレイが顔を上げる。いけ好かない領事の隣に片羽の少女が寄り添った。今にも倒れそうなほど血の気の引いた顔で、それでも目の前の命をしっかりと見据えて。
「私が献上だからではなく、あなたが大陸人だからでもなく……たった一つの尊い命のために、どうか歌わせてください」
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