終幕 清らかなまま愛して

愛し愛される者たち

 大陸人のために命を賭して歌った最後の献上は、その献身から広く愛されたと言われている。

 中でも彼女をいっとう寵愛したのが当時の領事であることは、言わずもがな――……。




 ∞




 総領事館は左右対称な造りをしている。理路整然と並ぶ扉はまるで鏡写しのよう。端的に言ってしまえば、ちょっとした迷路だ。


「また迷っちゃた……」


 人気のない廊下でオトが立ち呆ける。

 仕方なく来た道を引き返そうとしたら、見覚えのある赤毛が廊下を横切るのが見えた。あれは間違いなくハンナだ。

 道を聞こうと後を追うが、廊下の突き当りに彼女の姿はなかった。その代わり、一室の扉がわずかに開いている。中にいるのだろうか。ドアノブに指をかける直前、室内からガタッと物音が聞こえた。


「――ん……ハンナッ……」


 熱っぽい男の声にぎくりと身体が強張る。しかもこれはノアの親友、アルベルトではないか。一度聞いた声や音を忘れない羽耳がぴくぴくとはためく。


 見てはいけないような気がしたが、それに勝ったのが好奇心。オトは意外と知りたがりだ。扉の隙間から生唾を飲み込んで覗いた先に、案の定の二人がいた。ただ、秘書官の清廉な青の制服を纏った背中を本棚に押し当て、なし崩すようにもたれる二人の距離はとても近い。近いと言うかくっついている。主に、唇が――。


(……えっ???)


 大量の疑問符を浮かべるオトをよそに、二人の逢瀬はどんどん情熱的なものへと変わっていく。

 ちゅ、と唇同士が吸いつく音だったり、何度も啄むほんのわずかな合間に漏れる吐息だったり。敏感な羽耳がここぞとばかりに拾い集め、オトの頬は真っ赤に茹で上がった。


「ん、ぁっ……アルベルト様、こんなところでは、だめっ……」


 そうだそうだ、ここは総領事館の一室で、窓からは太陽の光が差し込んでいるのに。


「すまない……だが君がせっかくクレセンティアまで来てくれたのに、こうして触れることすらままならないなんて……こんなの生殺しだ」


 編み上げた赤毛の柔らかな感触を堪能しながら耳元で熱っぽく囁く。ダブルボタンの一番上を解き、露わになった白い首筋へ顔を埋めた。声量を押さえた声が鼻を抜ける。分刻みの予定に毎日文句を言うノアを暴言と暴力実力行使で黙らせている絶対零度の声色とはまるで違う。


 はわわ、と唇を押さえて動けなくなったオトの背後から、また別の足音が近づいた。


「オト姉様?」

「ふぁっ!?」


 ――ドンガラガッシャン! ドカッッッ!!


 突然声をかけられて悲鳴を上げた瞬間、扉の奥で派手な物音が木霊する。何事かと驚いて中へ入ろうとするサヨをどうにか引き止め、そそくさとその場を離れようとしたのだが――……ギィ、と開いた扉から顔を覗かせた般若はんにゃ……じゃなくてハンナに微笑まれ、竦んだ足が床に貼りついた。彼女の後ろにはアルベルトの屍も見える。


「オト様、少しお話しましょうか?」


 情事の痕跡なんて全く感じさせないほど整えられた衣服でにっこりと告げられ、思わず首を横へ振る。


「うふふ、なら卒倒させて記憶を混濁させないと……大丈夫、痛いのは一瞬です」


 何も大丈夫じゃない。「しましょう、お話!」と冷や汗まみれの青い顔で切り返すオトを、事情がわからないサヨがいぶかし気に見上げた。




 ∞




「じゃあ、お二人は恋人同士なんですか!?」


 まん丸な目を輝かせたサヨが興奮した様子で切り込む。怖いもの知らずで頼もしい限りだ。

 オトに与えられた部屋へ移動した四人が座卓ローテーブルを囲む。女性ばかりで居心地が悪そうなアルベルトは、長椅子ソファのすみで珈琲にちびちび口をつけた。


「出世株だったアルベルト様に嫉妬した上長が、クレセンティアへ左遷させてしまったのです。もう三年になります」

「それでハンナさんは領事様と一緒にここへ来たんですね! 好きな人のそばにいたいだなんて……ろまんちっくー!」


 最近のサヨの趣味は、クレセンティア語に訳された大陸の恋愛ロマンス小説を読み漁ることだ。気づけばオトよりもだいぶおませな女の子になってしまった。


「東部防衛本部は東を守護する最前線。こうでもしないと二度とお会いできないかもしれませんし」

「ハンナ、滅多なことを言うんじゃない」

「……申し訳ありません」


 アルベルトにたしなめられ、ハンナは口を噤む。たしかに、連邦大陸の動きによってはここが戦場になる可能性もゼロではない。


「ですが、さすがに時と場所を弁えていただかないと」


 恥ずかしそうにじとりと隣を見るハンナに、当人は紺色の髪を掻いてバツが悪そうにそっぽを向く。刺激が強い光景を思い出して、オトも羽耳の根元を赤く染めた。


「オト様も、他人の逢瀬を覗き見してる場合ではありませんわ」

「へ?」

「献上の夜の習わし、ご存知ですか?」

「よ、夜の習わし!?」


 食いついたのはサヨだ。大陸の小説には「ヒャー!」な場面が毎回お約束である。オトに見つかったら没収されるから、絶対に秘密だが。

 案の定、穢れ知らずな純潔そのもののオトは首を傾げていた。


夢喰むしは人々が寝静まる夜、特に活動が活発になります。そのため大陸人を先導する領事がたかられないよう、歴代の献上は寝室を共にしていたとか」

「し、寝室を、一緒に!?」

「共に寝るということですか?」

「共寝っ!?」


 ハンナとオトの会話にいちいちビクンビクンと反応する幼鳥に、アルベルトが口元を隠して笑いを堪える。おませもここまで顕著だと、愛らしいを越えて面白い。


「でも、それが献上のお役目なら……!」


 そしてなぜかやる気を見せるオト。夜を共にするという意味がわかっているのかいないのか、おそらく後者だ。

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