届かぬ声

 部屋まで送ってくれたサヨと別れ、メルヴィに壊されたリラと対峙した。腕木と胴が朽葉色くちばいろに変色した、オトの唯一の籠入かごいり道具と。


 羽耳を持って生まれた子どもは親戚一同に祝福され、離乳が済んだらたくさんの貢ぎ物と一緒にカージュへ籠入かごいりする。セレニティの加護を授かるのはそれだけ名誉なことなのだ。

 一方、オトは誰からも祝福されることなく海の鳥居をくぐった。物心ついた時からずっと一緒にいる楽器だけを抱えて。その虚しさは筆舌に尽くしがたい。


「こんなにボロボロにされて、ごめんね……」


 切られた弦が花咲くようにあちこちへ広がったリラを抱きしめる。部屋の外からは歌声や演奏が聞こえた。夜に披露する演目の練習が始まったのだ。


 歌うことができず、リラも壊されて。舞台に立つこともできないのに、献上に選ばれたいと口にしてしまった。この辛いだけの世界から逃げ出したい。どんな鬼畜外道だろうと、必要としてくれるなその人のそばに行きたい。鳥籠を出たい、と。


「最低だ、私……」


 雛鳥は無断でカージュから出てはならない。それはセレニティへの背信行為。雛鳥たちは幼少期からそう教え込まれてきた。だから誰も外の世界に興味を示さない。「何かがおかしい」と、声を上げない。そもそもおかしいとすら思わない。。植え付けられた信条が、オトを理不尽に責め立てる。


 だが、ずっとここで悲嘆に暮れるわけにはいかない。否が応でも夜には領事がやって来る。せめてリラを修理しよう。浜辺の集落には工房がある。そこに行けばすぐにでも弦を張り直してくれるはずだ。


 壊れたリラを持って部屋の外に出たオトだったが、一歩踏み出して身体が硬直する。文字通り、指一本動かなくなったのだ。金縛りのような妙な感覚に視線だけ動かすと、静かな廊下にフクロウの面が佇んでいた。


フクロウ、様……?」


 なぜ告鳥つげどりが自分なんかのところへ。それを問う前に、フクロウが人差し指をくいっと動かし、背を向けて歩き出した。オトの身体は自分の意思とは関係なく、その姿を追う。


「こ、これはいったいどういうことですか? どこへ連れて行くおつもりです!?」


 口まで封じられてしまう前に勇気を振り絞って問いかける。だが淡々と歩く背中が振り返ることはない。やがて廊下から中庭を抜け、物見の塔を通り過ぎる。これは今朝、オトが気力だけで歩いた道程。つまり、このまま行けば……。


「い、や……」


 高床式の社殿が見え、怯えた声が漏れる。本殿と同じ朱塗りの柱に囲まれたそれは、今朝まで閉じ込められていた折檻殿だ。


「なぜ……どうしてですか……? 献上に選ばれたいと言ったから? それなら謝ります、本当に反省しています。だからもう、もう無理です、お願いします、許してください……!」


 三日三晩味わった気が狂うような無音の苦痛を思い出し、心が悲鳴を上げている。思えば外に出てから水の一口も飲んでいない。すでに体力精神共に限界を迎えていた。もうあの時間は少しも耐えられない。それまでオトの意思ではぴくりともしなかった身体が震え上がる。


 だが無情にも、告鳥つげどりはギギギ、と木の軋む音を立てて扉を開けた。そばを走るネズミを足で払い、嫌がる手を引いて中へと押し込む。もう金縛りは解かれていたが、抵抗できないほど憔悴しきっていた。


「いやっ……! 助けてください、お願いします……!」


 取り繕うことを忘れて涙ながらに嘆願するオトを、真ん丸な黒目がじっと見下ろす。


「ここにいなさい。ここなら内部の音や気配も遮断されます。だから絶対に見つからない」

「いったい何をおっしゃっているのですか……!? これは何の罰なのです!?」

要石かなめいしを雛壇に並べておくわけにはいかないのです」

要石かなめいしって……? ああっ、待って!」


 力なく伸ばした手の先で、ぴしゃりと扉が閉められた。途端に全ての聴覚が奪われ、無音の世界へ放り込まれる。


「いや……出して、出してください! お願いだから、もう、許してっ……!」


 硬く閉ざされた扉をどれだけ叩いても、何の音も聞こえない。床に額をつけて絶望に啜り泣くオトの襟から金の指輪が零れた。それは仄暗い社殿の中でも鮮明に輝き、あの約束を思い起こさせる。


 ――会いに行く、必ず。


「っ、う、うぅっ……!」


 首元で揺れる小さな指輪を見て、無音の嗚咽が大きくなった。

 期待しないと決めたのに。望んでも苦しいだけなのに。


 だけど、もし叶うなら――。


「領事様じゃなくて、あなたが来てくれたらよかったのに……」


 もしそんな奇跡が起きたら、この理不尽な扉を開けて、外へ連れ出してもらえたのだろうか。

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