導き星
「少し外の風を浴びないか?」
あまりに怯える様子を見かねて、ノアがそんな提案をしてきた。だが起き抜けに覆いかぶさってきた男だ。当然オトは警戒する。
「オト様、ご安心ください。もしこの野蛮な猿が不埒なことをしたら、掌底で鼻を砕きますので」
「その時はサヨも領事様の枕元で呪詛を唱えてもいいですか!?」
「ええ、もちろん!」
「…………」
物騒な美人秘書官と末恐ろしい幼鳥がキャッキャと手を取り合う。野蛮な猿と言われた領事がしゅっとした鼻を青い顔でさすった。
渋々了承したオトに羽織を着せたが、血の気の引いた顔は見ているだけで肌寒い。ノアは自分のコートを上から被せ、さらに
廊下でさえ赤い絨毯を隙間なく敷き詰めた煌びやかな空間だが、階段の奥までしんと静まり返っている。
「ここは来賓用の区画だ。一般の職員は用事がない限り立ち寄らない。今歩いて来た道と反対側に行けば本館だ。具合が良くなったら自由に出歩いてみるといい」
「自由に……?」
「街へ行ってもいいが、雛鳥は本島でも目立つ。よからぬ思想の輩に目を付けられるかもしれない。留守にする時はハンナを置いて行くから、必ず彼女に付き添ってもらうように。見ての通り恐ろしく腕の立つゴリラだからな。欲しい物があれば領事館宛に領収書を――」
「ま、待ってください」
予想だにしなかったことが連なり、オトが足を止める。
「自由にって、錠や枷は必要ないのですか?」
「そんな趣味の悪い物を君につけるわけないだろう」
「で、でも、献上は二度と外に出ることはできないって……」
献上は大陸人のために歌い、弄ばれ、籠の中で死ぬ。誰が言いだしたのかはわからないが、全ての雛鳥がそう信じて疑わなかった。
「カージュではそんな風に言われているのか? 敵国の捕虜でもあるまいし。そんなことをしたら人権連盟から袋叩きにされるじゃないか」
戸惑うオトの手を取り、「それに」と続ける。
「せっかくカージュから連れ出したのに、
そう言って、屋上へ続く螺旋階段をゆっくりと上り始めた。
一段先を行く彼の後頭部を切なく見つめる。淡い間接照明を浴びてそれ以上に光り輝く金髪は、夜の海で船を導く星のようだと思った。思わず縋りついてしまいたくなるような鮮烈な輝きに、きゅうっと胸が締めつけられる。
やがて階段を上りきり、扉を開けた瞬間。夜の澄んだ風が二人の頬を叩いた。
「オト、見てみろ」
屋上の柵まで案内したノアが指さす。総領事館の麓に広がる夜の港には、
初めて見るガス灯の美しい夜景を前に、黄金の瞳がうっとりと細まる。
「きれい……」
「蝋燭の淡い明かりも美しいが、文明の輝きも悪くないだろう?」
「はい。でも、大陸の皆さんは夜も働いているのですか?」
照明が惜しみなく注がれる埠頭に、大きな商船が接岸しようとしている。忙しなく動き回る小さな光は手持ち
「西の港は唯一の玄関口だからな。昼夜問わず稼働している」
「大変ですね」
「
「それは、えっと……」
生活水準、産業基盤。話が分からなくなってきて言葉に詰まった。無知を憂いて羽耳がしゅんと折り畳まる。
そんなオトを笑うことなく、ノアは穏やかな口調で続けた。
「クレセンティアはこれから本格的に開国を始める。これは島主殿きっての意向だ」
「開国……」
「文明の時が止まったままの秘境ではなく、大陸列強の国々と横並びになって世界へ参画していくということだ。そのために唯一の交易国であるリュクスが技術面や物資で支援をしている」
「だから大陸人の方がたくさんいらしてるんですね」
「ああ。クレセンティアを支援する大陸人の命を守るのが総領事館の仕事だ。それは巡り廻って島を守ることにも繋がる」
誇らしげに語る横顔を見つめていると、どうしてか胸が高鳴った。だが輝かしいものに触れるたび、自分の醜さを思い知る。大陸人が島のために働いていることを知ったからなおのこと、オトには打ち明けなければならない欠陥があった。
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