四神獣国伝 〜いたぶられた無能な唄姫は、白銀の当主に溺愛される〜
宵形りて
第一章 白家
第1話
「ほんっとにお前はトロいなぁ、美雨(メイユイ)」
目の前の従兄弟、白(ハク)泰然(タイラン)は馬鹿にした目で転んだわたしを見下ろした。隣で同じ守護術師見習いの娘が「本当に」とクスクス笑って、泰然に媚を売るのが目の端に映った。
「……ごめんなさい」
わたしは汚れた膝をはたいて砂を落とす。左の足首がじんと痛んだ。これは捻ったかもしれない。ーー本当は泰然が背を向けた瞬間に、娘の足に引っ掛けられて転んでしまったのだ。
泰然は同年代の子女に人気があった。彼女としては、わたしが彼と同じ邸に暮らす従姉妹というだけでも面白くないのに、婚約者でもあるのが面白くないのだろう。
泰然はたしかに見た目が良い。彼の少しだけ着崩した見習いの官服も似合っていたし、修行中の他の守護術師たちからの評価もなかなかいいらしい。
ただ、わたしに対してだけは当たりが強いけれど。
「俺の分の昼餉の弁当は? 早くしろよ」
「これを。今日は麺麭(パン)に具を挟みこんだ料理にしていて、」
「いや良いから! 食う時に見るんだから聞かなくても分かる」
ここで言い返すと泰然の怒りが止まらなくなってしまうので、口をつぐんでおく。
怒鳴りつけられるだけで済めば良いけれど、彼の叔母がするように鞭で打ち据えられでもしたら、わたしには抵抗できない。
⌘ ⌘ ⌘
両親を亡くして、分家であった泰然の両親がこの白家の本邸で暮らすことになったときには、幼い彼はまだこんな性格じゃなかった。
わたしを邪魔者として扱う叔母さんたちに隠れて、父と母を思って泣きじゃくるわたしをそっと慰めてくれた。幼いわたしにとって、両親を失った痛みはあまりに大きかったけれど、彼の優しさは少しだけその痛みを和らげてくれた。
『いつかぼくが大人になったら、美雨を泣かせたりしないから』
けれど、そう言って、よく約束の歌を一緒に歌った少年はもういない。「縁にもとずく 四神の誓い この唄の限り 力を与え 違えたならば 報いを受ける」一番最近あの歌を口ずさんだのがいつだったか……もう思い出せない。
⌘ ⌘ ⌘
泰然が術師見習いの試験に華々しく合格して、一方でわたしが一日中この家で下働きをするようになってから、彼はだんだん変わっていった。
少しだけ仕方ないのかも知れないと思う。
今やわたしは良家の娘には見えない粗末な着物姿で、痩せてみすぼらしい外見でになっていたから。日に日に荒れていく手はあかぎれでいっぱいでーー。
父が美しいと褒めてくれた黒髪も、今は艶を失ってごわつき、ただ簡素に一括りにしてあるだけだった。母のように優美な女性の姿とは程遠かった。
その反面、泰然は華々しい道をかけ上がっていた。使用人たちの話では、父がわたしのためにと大切に貯めていた金を使って、叔父は泰然に有能な術師からの指導を受けさせたという。
それは名家としては当然の選択だった。
一流の守護術師になれば、3代にわたって一族の安寧が国から保障されるのだから。
それに、守護術師は、そうまでしても国にとってなくてはならない存在だった。
そもそもこの大地は、四神獣の守護により『災いの獣』を退けることで人が暮らせる国となったという言い伝えがある。
伝説の四神獣がそれぞれの理由でこの土地を離れることになったとき、その力を宝玉に込めて借り受け、国を災いから守る役割を引き継いだのが、王家と四つの名家だった。
赤蛇家。
青虎家。
黒蛇家。
そしてーー、銀狼家。
今でもその四名家を中心とした守護術師たちが、国を災いの獣の影響から守る役割を担っている。
とはいえ、守護を宝玉に込めるには手間がかかる。決まった手順で方陣を描き、四神獣を讃える唄を唱え奏で、力を注ぐ。そうした守護術の段階を踏んでいく必要があったけれどーーこと災いには絶大な効力を発揮した。
……宝玉で四方を囲えば、『災いの獣』の放つ呪いを跳ね返し。
……宝玉をかざせば『災いの獣』の思念による病を癒し。
……宝玉をはめ込んだ剣は、『妖』ーー『災いの獣』の思念が取り憑いてしまった生き物ーーを退け封じるのに用いられた。
皇帝宮に据えられた、この国全体を守り災いを跳ね返す宝玉結界は、その最たるものだ。
今では妖や呪いが弱まるとともに、太古の時代よりは随分と術師たちの力も弱くなってきたというけれど、それでも人ならざるものを前にしたときには圧倒的な存在だった。
半年前にも、百人の軍隊を壊滅させてしまった妖を、たった三人の守護術師が封じてしまったという。とはいえ、守護術師は誰もがなれるものではなく、ごく限られた一握りの者だけが、私欲を捨てた修練を経て身につけられる能力だった。
だからこそ、ひとたび守護術師となれば、国が一族の栄華を約束してくれた。
そんな中、白家は銀狼の一族の流れをくむ一家で、数年前までは銀狼家の右腕とも言われたそうだ。父と母はその代表格で、わたしが幼いころに最盛期を迎えていたという。
自然と、そんな娘のわたしにも大きな期待をかけられていた。
けれど、従兄弟の泰然と比べて、わたしは術師見習いの試験に進むどころか、なんの力の片鱗を見せることもできなかった。
その前の、七つの時にうける試しの儀式で、力の大きさに応じて色に染まっていくはずの札の一枚として変化しなかったのだ。
それは、ちょうど儀式を受けるべきときに、両親の死の関連で、一時的に声さえ出せなくなってしまったせいでもあった。
唄を口にできなければ、そもそも儀式は成立しない。
役立たずと罵られ、白家を手に入れた叔父と叔母によって大切なものを取り上げられていった。
先日、ついにお母さまにもらった楽器も取り上げられてしまった。守護が授けられたわけでもないただの琵琶。それ以来、わたしのささやかな楽しみだった唄も、もう何日も歌っていない。
「疲れたわ……」
泰然を見送ると、まだ朝にも関わらずどっと疲れが襲った。どうやら熱もあるらしい。機嫌が悪かった叔母に楽器を取り上げられると共に食事を減らされ、さらに間近に迫った四神祭のために大量の雑事を言いつかって睡眠も削っていたから……。
左足を引きずり、フラフラしながらも、本邸から離れた片隅にある古びた蔵に戻る。
ここがわたしに与えられた場所だった。
元々、蔵の中には普段は使わない備蓄品や書物とともに、壊れてしまった神楽器が収められていた。父と母が生きていた頃は、隠れ家として毛布や菓子を持ち込んでは叱られていた場所。
本来は人が住まう場所ではないけれど、普段はせめて清潔に掃き清めて花を生けている。
ただ、今はいつもなら十日はもつ花が、今はこの場所の主と同様に萎れて頭(こうべ)を垂らしていた。
普段と変わらずに水を換えていたはずだったのに、なんでかしら。
(それでも、この場所に帰ってくると少しホッとするわ……)
それはわたしの唯一の居場所だからというだけではなかった。
日当たりもさほど良いわけではないのに、不思議とこの周囲の木立は冬でも青々とした葉を茂らせ、ときには季節外れに瑞々しい実を成した。
食事を取り上げられた時には、わたしもその果実を口にして腹を満たし、喉を潤した。
傷ついた小狐がやってきたこともあった。手当てをしてあげたけれど、野生の生命力によるものか、驚くような勢いで傷が癒えて野に帰っていったっけ。
「ふぅ……」
楽器の横に並べた薄い敷布に、体を横たえる。足首には水を絞った布巾を当てて冷やした。
(昼餉の下準備はしてあるから、半刻ならこうして体を休めていられるはず……)
うとうとしながら、以前もこういうことがあったと記憶が蘇って来た。
本家の娘にも関わらず、家から追い出されてしまって、冬空の下でこごえて死にかけたあの夜……。
ーーそのときに彼と出会ったんだわ。
つい、わたしは衣服の上から胸元に仕舞い込んだ首飾りを押さえた。彼(・)に貰った小さな銀の宝玉の首飾り。彼が夢幻ではないと示してくれる唯一の証拠を。
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