第8話

    ⌘ ⌘ ⌘


 その時だった。



「銀狼さまとお嬢ちゃん、じゃなかった美雨。……ん? 何してんだ?」


 黄蓋が扉をがらりと開き、心底不思議そうに尋ねた。


「ーーーー!」



 わたしは飛び上がった。

 けっしてやましいことをしていた訳ではないのに、急に現実に引き戻されて、いっそう頬を赤らめた。



「改めて求婚していたのだ」


「お、おいおい。とんでもないお邪魔虫じゃねえか! 俺が!」


「その通りだ」



 けれど、少しむっとした様子の銀狼と、底抜けに明るい応酬をする黄蓋に毒気を抜かれる。黄蓋はお茶を運んできてくれたようで、卓(たく)に手早く並べていった。



「はぁ〜〜、まぁ仕方ないっすね。俺の間が悪いのは許して、必要な話をしてください」


「あ、まっ、待って……待ってください」


 わたしはつい部屋(へや)から出て行こうとする黄蓋を呼び止めていた。

 銀狼とこの部屋にふたりきりだと、不自然に動悸がして戸惑ってばかりだった。こころの底のほうがむずがゆいような、恥ずかしいような感覚があった。


 可能なら、誰かにもう一人いて欲しい。



「はぁ、それなら、まぁ。銀狼さまも良いなら」


「良くない、出ていけ」


「えっ」


「あっ、うーん。なんかやっぱ居ることにするわ」



 なにかを察したのか、わたしと銀狼を見比べたあと、肩をすくめて向かいの椅子に腰掛けた。



「でもなるべく黙ってるからさ。情報をすり合わせるんだろ、始めようぜ」



 わたしはホッとして、まず全ての始まりから一つずつ尋ねていくことにした。



「あの数年前の雪の夜、一体なにがあったのですかーー?」




    ⌘ ⌘ ⌘




 銀狼は思い出す。

 その夜が全ての始まりであり、美雨を花嫁として求める理由だった。

 あの雪の夜、自分は狡猾な妖を封じ込めるために白家の西にある場所に赴いていたーー。



 まだ12才だった彼は、しかしその生まれもっての隠しきれない才能ゆえに、激しい政治的な争いに巻き込まれていた。

 ときに命を狙われ、毒を盛られ、あのときは死地とも思われたその妖の討伐に、たったひとりで赴くよう任命された。


 本来なら、守護術師は後衛となり、妖との戦いそのものは戦闘の専門家である剣士たちに宝玉をはめ込んだ剣を託して戦わせるのに……。



 そして向き合った相手は、銀狼家の右腕とまで呼ばれた白家の夫婦ふたりの命を奪った妖だった。



「お前か」



 巨大な熊の形をした毛皮からは、醜悪な『災い』の気配が立ち上っていた。

 鋭い爪と、宝玉を宿した真剣で切り結んでは離れる。

 雪が積もった地面はしだいに妖の吹き出す血と瘴気でどす黒く汚れていった。


 なんとか熊の妖から腕を切り落とし、鈍った動きは、もう少年にとって停止しているようなものと捉えていた。

 あとは心臓に剣を突き刺し、封じの唄を唱えるだけ。



ーー痛ましい獣よ、安らかに眠れ。



 妖の背後を取って、剣を振りかぶったその時だった。

 自分の背中側に気配を感じて、慌てて飛び退いた。が、そのとき足首になにかがかする。



「痛ッ」



 焼け付くような痛み、吹き出す血。そしてこの傷口から血を巡って毒虫が回るような感覚は。



「もう一匹、妖が!?」



 そんな馬鹿な、と思いながらも、飛びのきざまに剣を振り払った。剣先がしっかりと肉を切り裂いた感覚。

 けれど一太刀を浴びせた安堵よりも、驚きが勝る。



「妖が連携するなど、聞いたことがないぞ!?」



 そういう性質なのだ。

 他者を憎み、呪いと病を撒き散らし、ときにこうして動物たちを妖に変えるのが『災いの獣』。その瘴気が取り憑き変異してしまった妖は、ことごとく好戦的で、ときには妖どうしで殺し合うほどなのだ。憎しみに駆られて、己以外のすべてを拒絶するーー。



 なのに、二匹で連携!?

 とにかく状況を把握しなければ!



 荒い息のもとでいくらか後方に位置をとりなおすが、


「……どういうことだ」


 すでに自分に傷をつけた二匹目の存在はなく、しんと静まる雪の森林には、自分と目の前の動かない熊の妖だけ。


「こいつの能力だったとでも……?」


 ほとんどの妖はもととなった動物の力や俊敏さを強め、瘴気を撒き散らすようになるのだが、稀にそれだけではない攻撃まで身につけた妖もいるという。

 それにしては致命傷をうけても、封じられる直前まで何も起こさなかったのはなぜなのか。



「なんにしても、お前はもうお眠り」



 瘴気を封じて妖を浄化し弔ってやると、長く『災い』に取り憑かれていたのだろう体がぼろぼろと灰色のちりとなって崩れ、風に舞って行った。



 疑問はのこったが、少年にもどっと疲れが襲った。そろそろ受けた傷から瘴気がまわり、体に限界が訪れるだろう。いくらこの胸元の宝玉が自分を守り癒してくれるとはいえ、限度はある。



「どこかでこの体を休めないとな……」



 簡単な処置程度ならできるだろうと、重い体を引きずって、彼は白家の門を叩いた。

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