第9話


「なぜ戸を開かない……?」



 白家の前庭までは立ち入ることができたが、本邸はいくら呼べども反応しなかった。

 もはや瘴気によってじくじくと体全体が熱を持ち、足の傷口は焼きごてを当てられているように痛む。


 痛みを耐えるのには慣れていた。ただ、このまま屋外で動けなくなるのはまずかった。いかに鍛えていても、体温を奪われ続ければ凍死する。



「まあ、もうそれでも構わない気もするがな」



 少々疲れていた。

 それはこの妖との戦いでの疲労だけでなく、四大名家を巡り、命を削りあう政治的なかけひきにも疲れていた。

 少年には先代銀狼から託された宿願があったが、それを自分の代で叶えるには過大な野望でもあった。



「……ん?」



 だが、どこからか琵琶琴(びわごと)のごく小さな調べが耳に届いた。ふと体が軽く、ほんのりと温かさを感じることに気づく。足が自然と奥の庭に向かった。



(死の間際の幻聴かもしれんな)



 それでも良いと思えるような、美しい音楽だった。人影がこちらに背を向けて演奏している。

 自分の怪我にまとわりつく瘴気が影響しないよう、距離を取ったところで止まり、重いからだを灯籠に寄りかかって支える。



(これはーー『弔いの唄』?)



 唄(・)は守護術師に継がれている、特別なものだ。守護術の要でもある。宝玉に力を込める時に歌い奏で、四神獣のどのような力を借り受けたいか願うものだ。なかには一子相伝の唄もあるという。


 だがいま奏でられているのは、守護術師ならだれもな知っている、死者を悼み冥福を祈る唄だった。

 おそらく亡くなった白家の当主夫妻のために奏でているのだろう。



(なんて深く柔らかい響き)



 不思議と楽器のみで、人の声で添える歌声は聞こえてこなかったが、それだけでも充分に愛と労わりが伝わるように思えた。


 ふっと音が止む。

 

 すると静けさとともに、また突き刺すような寒さが戻ってーー目の前の小柄な影が振り向いていた。

 粗末な衣(ころも)に、痩せ細った手足。

 年はまだ10にもなっていないだろう少女。


 思いがけず整った顔立ちに、きょとんとした表情を浮かべている。

 本当にこの子が、今の唄を奏でていたのか?

 信じがたいが、まずは邸のなかに落ち着いてから、一つずつ聞けばよいだろう。


 少年は少女に問いかけた。



「ーーお前は白家の使用人か?」




    ⌘ ⌘ ⌘





「お前は白家の使用人か?」



 問いかけたものの、娘は何も答えない。


「なぜ娘がこんな夜更けに庭先にいる?」



 この家はどうしたというのだろう。


 先ほどまでの唄(・)の影響で、一瞬やわらいでいた苦痛がゆりもどってきて、思考を妨げた。

 いや、余分なことは置いておいて、まずは体を休めよう。



「まあいい、本邸に入れてくれ。なぜか鍵がかかっていて、戸を叩いても誰も出ようとしない」



 しかし、再度促しても娘は沈黙したまま。

 なにか戸惑うように身じろぎするものの、一向に自分の指示に従わない。


 そうこうしているうちに体はより重く、冷えて痛みが増していく。いつもなら感情的になどならないよう自制しているのに、つい苛立ちが声にも現れてしまった。



「なぜ返事をしないんだ?」


「っ!」


 自分の苛立った声に、娘は飛び跳ねて怯えていた。慌てて口を開くが、


「……っ、……!」


 けれど、彼女の声は音にならず、ただ呼吸音だけが溢れた。


「……もしかして、声が出ないのか?」


 必死でコクコクと頷く娘はーーそう、声を失っているのだ。いくら疲弊していたとはいえ、少年は上に立つ者として自分の行いを恥ずかしく、悔いた。



 声を失うなど、守護術師にとって致命的な苦しみだった。さきほどの演奏の腕前をきくに、彼女もこの家に仕えているからには、少なからず守護術師にまつわる出自だろう。

 にも関わらず、声を出せないとは……。


 彼女がこうして冬の寒空にひとり放り出されている一端が分かった気がした。


 体が軽く感じるほど素晴らしい演奏だったからこそ、彼女の失われた声が痛ましかった。たとえ声が出なくとも、守護術師ではなく市井に生まれていたら、ただの演奏家として名を馳せていたかもしれないのに。



 生まれ持った家柄や身分、能力や心身で人生が左右されてしまうのは、なんと残酷なことだろう。

 少年は、誰もから羨ましがられる立場でありながら、自分とは真逆の彼女の苦しみが、同じ根元から生じていることを感じて同情していた。



「そうか、すまなかった」


 目の前の少女は、そっと首を左右に振った。


「少し疲れていたものでなーー」


 その時、彼女が自分の足を凝視した。

 それは怪我をしている左の足首だった。燈篭にもたれかかりながら、庇っていた左足はだいぶ血も止まってきたものの、少女には刺激が強かろう。なにより、護衛術師の素養がない者にはみることができないがら灰がかった紫の靄がまとわりついている。



 この靄に近づけば、大声のない只人の体には毒となってしまう。少女から距離をとって立っていたのは、そのためでもあった。しかし、



「……!」



 不用意に駆け寄ってくる少女にあわててしまう。


「おい、不用意に近づくと……っ」


 慌てて後退したものの、彼女は構わずに近寄った。



「待て、分かっているのか? 見えないかもしれないが、この怪我には『災い』の瘴気がまとわりついているんだ。只人では近寄るだけでも体調を崩してしまう!」



ーーわかっています。だいじょうぶ。



 そう言うように、彼女は力強く頷いて、やや強引に少年に肩を貸してくる。

 ということは多少の瘴気なら耐えられる程度には守護術師の血筋が濃いのだろうか。少なくとも、少女はわかった上で手を貸しているのだ。



「……すまない」



 自分で体を支えるのにも限界が訪れ、ぐったりとした腕を彼女に預ける。できるかぎり己の足で立とうとしてはいるのだが……、身体の内側が瘴気によって炙られるように熱く痛み、なのに冷えな手足には上手く血がまわらない。


 左足にいたってはもはや感覚がなくなりつつあり、雪の降り積もった地面をうまく踏みしめられているのか自信がなくなって来た。



 導かれるままに彼女に連れられたのは、粗末な荷物小屋であった。

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