第10話


    ⌘ ⌘ ⌘



 その雪の晩に起こった奇跡は、銀狼少年にとって衝撃的な出来事だった。


 しかしそれ以上の問題は、朝になって目を覚ました時には、銀狼少年の傷がほとんど癒えていたことだった。



「ーー間違いない。完全に瘴気が払われて治っている」



 銀狼少年は朝日の差し込む蔵のなかで呟いた。



「君は……」



 彼は隣ですぅすぅと寝息を立てる少女を見て、髪をかき上げた。

 その拍子にチャリン…っと音を立てて首飾りが体から滑り落ちる。睡魔に襲われる前に、なんとか首から外して状態を確認しようとした宝玉だった。


 その宝玉には、あの唄のあいだ発光していた面影もなく、いまは二つに割れて沈黙している。



(なにが起きたのだ?)



 そもそも、あのとき、すでにこの首飾りの宝玉は限界だった。自分の傷を癒やし切るほどの力は残っていなかった。

 なのに、彼女が唄を奏でている間に、強烈な力を取り戻して輝いたのはどういうことだろうか……。



(信じがたいことだが、彼女が関係しているのは間違っていないだろうーー)



 だとしたら、少女はなんという存在だろうか。

 普通なら、『災い』のもたらす害悪に対抗するには、手間のかかる手順を踏んで、宝玉に込めた守護の力をもちいなければならない。


 なのに、この少女は方陣も歌声もすっとばして、しかも壊れかけの宝玉に限界まで守護の力を注ぎ直したのだ。

 さらに恐るべきは、銀狼が目にした光景だった。



「あのとき、彼女は『宝玉』を経由しないで守護の力をもちいていたようだったーー」



 さまざまな制約があるが、強大な守護術師の力。もしそれが本当に宝玉の準備も費用もかからず、方陣を描く手間もはぶけてしまうなら……。

 ただ楽器を奏でるだけで守護の力を発揮したとしたら……。


 少女は銀狼の考える未来にとって、素晴らしい福音にも、悪夢のような彼女を巡る争いにもつながりかねない未知の要素。



「いずれにしても、むやみに知られては彼女の身は危ういだろうな」



 これからの彼女の人生を想って、銀狼は暗い顔になった。

 今はすやすやと眠っているこの子。その頬にかかった前髪をそっと後ろへ避けてやりながら、将来を案じる。


 大きすぎる力は、決して幸せだけをもたらさない。このいたいけな少女にとって、歓迎すべきこととは思えなかった。それは彼自身が身をもって知っている苦しみだった。

 人から羨まがられ、嫉妬され、ときには邪魔だと命を狙われる。



ーーせめて、後ろ盾が必要だ。



 そう、自分がなんとか生き残っているように、彼女にも支援者がいる。

 できれば四大名家の当主のような、圧倒的な権力と力をもって彼女を包み込めるような、信頼に足る人間が。

 銀狼はグッと手を握り締めた。



(彼女には『銀狼』が必要だ。そして、わたしの目指す未来のためにも彼女が必要だ)


 そのために、わたしは『銀狼』になるーー。



 握り込んだ手のひらに爪が食い込んで、つぅっと一筋の血が流れた。

 彼女を、命懸けの自分の人生に巻き込むほかないことに、銀狼はちくりと胸が痛んだ。だが、もう手放せはしない。

 隣で「ぅ……」と吐息をもらす彼女を見つめる。



「まずは銀狼家に通達を出さねばーー。すぐに一度戻るからな」



 そうして白家を早朝に発った銀狼は、しかし思いがけないきっかけから激しい政争に巻き込まれて、数年の間ずっと各地を転々とする暮らしを送ることになった。


 常に頭の片隅には、あの圧倒的な演奏と幼い少女のことがあったが、確固たる足場もないままに迎えに来ることはかえって彼女を危険に巻き込むのと同義だった。




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