第2話
⌘ ⌘ ⌘
凍えるような冬の夜だった。
その頃、わたしは古の習わしに従い、毎晩両親を想って『弔いの唄』を歌い奏でていた。
死者の魂を悼み、同時に四神獣に安らかな眠りを守ってくれるよう願う唄。
けれど奏でるそのたびに叔父に「なにもできなかったお前のせいで義姉は死んだのに、小賢しい」と本邸を閉め出されてしまって……どこにも居場所がない心細さを噛み締めた。
同時に、父と母の死に際にわたしがなにもできなかった事実を突きつけられるたび、たまらない気持ちだった。両親はなんとかこの家まで帰りついたけれど、わたしの目の前で息を引き取っていった。絶望と恐怖で震えて、うまく呼吸もできず固まってしまったわたし。もしもあのとき、わたしがすでに立派な守護術師だったならば……せめて助けを呼ぶことでもできたら、いまも笑って隣にいてくれたかもしれないのに。
叔父からの折檻が繰り返されるたびに、わたしはだんだん声が出せなくなっていきーーついには試しの儀式すら受けられず、役立たずの烙印を押された夜。
屋敷の中では、儀式で素晴らしい結果を示した、泰然のための祝賀が開かれていた。
(お父さま、お母さま。ごめんなさい。なにもあのときにできなかった、役立たずな娘でーー)
ただ、無能な娘でも、声はだせなくても、せめてこの琵琶の音だけは毎日父母に届けたくて、凍える指先で弦を弾いた。本当は口ずさむべき唄を、心の中で歌いながら。
…どうか彼方は安らかに
今は離れし天地の此方
いずれ其方へ旅立ちて
静かな眠りを乞い願う
唄を歌い、楽器を奏でているときは、次第に自分が透明になっていくような心地がする。この唄は決して悲しげな旋律ではない。むしろ穏やかで、まるで静かな陽だまりにいるような一節が連なっている。
ーーだからこそ、唄の願いが伝わってくる。
この唄に込められているのは、自分の悲しみ以上に、どうか旅立つ人の苦痛を癒してくれるように願う気持ち。
亡き人を想う透明な気持ちに溢れた唄だった。
旋律は終幕に向けて、低音から伸びやかな高音への音階を繰り返す。
不思議といつもこの唄の後は、ほんのりと周囲が温かくなり、凍えていた手足にすこし血が通うように感じた。
いまも、さざなみのように音の振動が冷えた空気を伝わっていき、わたしの頬を冬とは思えない温もりのある風が触った。庭先の木々からトサッと雪が溶けて落ちた。
唄を半ばまで奏でたそのとき、ザクっという雪を踏む音と、懐かしい声に呼びかけられたような気がして、ハッとして手を止めた。
誰もいるはずのない庭の片隅。
振り向くと、降り頻る粉雪の中、美しい少年がいた。
ーーなんてきれいな人……。
透き通るような銀糸の髪が雪とともに風になびいて、碧の瞳がわたしを見つめていた。急に現れたことを不思議にも思わず見惚れてしまうほど、美しい少年だった。
彼は近寄ってくる足を止め、庭の灯籠にもたれかかった。
歳のころはわたしより年上の……12歳くらいだろうか。
少女めいた美しく整った顔立ちは、無表情だと冷たいほどだった。陶器のように滑らかで白い肌。真っ直ぐな鼻筋。瞳は透き通った青をたたえていて、吸い寄せられるような色だった。
まるで人ではないみたいーー神獣さまが人の姿になったときのようだわーーそう思えたけれど、肩が上下し、薄く開いた唇からもれる白い吐息が、彼が生きた人であることを知らしめていた。
その完璧に整った唇から言葉が放たれた。
「お前は白家の使用人か?」
外見の通りに美しく滑らかな声だった。
「なぜ娘がこんな夜更けに庭先にいる?」
答えに困って、わたしは俯いた。まさか、叔父に追い出されたと素直にいうのはまずいだろう。
「まあいい、本邸に入れてくれ。なぜか鍵がかかっていて、戸を叩いても誰も出ようとしない」
それは叔父の指示だ。わたしを追い出した夜は、使用人たちに「どんなに娘が戸を叩いても呼んでも入れるな」と言いつけていたから。
でも、だからわたしにも彼を本邸に入れるすべがなかった。
ーーどうしよう……。
遠目でも、彼が身を包んでいるものを見れば、彼が守護術師なのは歴然だった。しかも銀糸を縫い込んである、動きやすそうな上等な衣……上級の術師なのだろう。さらに胸元には小ぶりながら白銀に光る宝玉がはまった首飾りまでつけていた。これ1つで、今の白家の1年分の蓄えよりも上回る品だった。
こんなにも目上の人物に「できない」とは言うのは恐ろしかった。
あまりにも年若い上に位が高すぎるけれど、四名家からの遣いかもしれない。緊急時には、急ぎ駆けつけるように招集の遣いがやって来ることがあった。
そうこう考えているうちに、しばらくわたしは沈黙したままになっていた。
「なぜ返事をしないんだ?」
「っ!」
少し苛立った声に再び問われて、慌てて答えようとした。
「……っ、……!」
けれど、当然のように口からは音はでず、ただ虚しい呼吸音だけハクハクと溢れた。
「……もしかして、声が出ないのか?」
必死でコクコクと頷く。
彼は途端に申し訳なさそうな顔になって、
「そうか、すまなかった」
いいえ、という代わりにわたしは首を振った。
「少し疲れていたものでなーー」
その時になって、わたしは彼が怪我をしているのに気づいた。左の足首から今もまだ血が滴っていて、その周囲は紫色の火傷をしたように爛れていた。しかもその生々しい傷口には、灰がかった紫の靄がまとわりついている。普通なら火傷でこんな血は出ないし、何よりこの靄はーー!
「……!」
慌てて駆け寄って、少年を支える。
「おい、不用意に近づくと……っ」
彼は慌てて後退ろうとしたけれど、わたしは構わず近寄った。
わたしの脳裏に、命を失った両親の姿が浮かんだ。背中をざっくりと裂かれた父の傷には、この靄がまとわるついていた。
ーー『災い』による怪我だわ!
この特有の靄は、特に妖によって負った傷にまとわりつくものだ。完全に癒すには、守護術が必要だった。
彼がわたしに必要以上に近寄らず、灯籠にもたれかかっていたのは、このためだったのだ。
「待て、分かっているのか? 見えないかもしれないが、この怪我には『災い』の瘴気がまとわりついているんだ。只人では近寄るだけでも体調を崩してしまう!」
彼をこうして近くで見ると、いかに疲弊していたかがわかる。色白だと思った顔は、生来の肌の色だけでなく、血の気を失っていたためだった。
ーーわかっています。だいじょうぶ。
力強く頷いて、わたしより頭1つ大きい彼に肩を貸すと、腕だけでもずっしりとした重みがあった。
その迷いのない動作で、わたしも四家に連なる者と分かってくれたのだろう。この血の濃さのおかげで、多少の瘴気くらいならなんの問題もない。彼はわたしに体を預けてくれた。
「……すまない」
それでもわたしへの負担が軽いようにと、なるべく自力で立とうとしている意志が体から伝わった。
体が触れ合うほど近寄ったことで、荒い息とともに彼の体がやけに熱を持っているのがわかった。きっとこの怪我が元になって発熱しているはず……。
そして、こんなに体は熱いのに、青ざめているなんて……。
平然とわたしに声をかけた彼が、いかに辛抱強く痛みに耐えていたことか。
ーーとにかく屋根のあるところへ!
わたしが彼を連れて行けるのは、鍵の壊れていた蔵だけだったけれど、そこには普段使わない手当の道具がいくらか仕舞い込んであるはずだった。
⌘ ⌘ ⌘
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