第13話



「そこまで」



 はっ、として目の前を向くと、真剣な表情でわたしを静止した銀狼と、驚ききった黄蓋がいた。

 わたしもひさびさの唄だったからか、肩で息をしていた。


「そこまでで良い。見てごらん」


 銀狼は目元をすこしだけ優しくゆるませ、わたしに籠を寄せた。


「……! この子の傷が塞がっている……っ」



 よかった!

 何より痛々しかった背中の焼け爛れた部分が、少し引きつれているのものの自然な桃色がかった肌になっている。今は呼吸も安定して、子猫の胸は規則正しくふくらんでいる。こころなしか、毛に艶までもどったようだ。抜けて地肌が見えてしまっている部分も、これならそのうち生えてくるだろう。

 わたしは喜びと驚きで長椅子から立ち上がっていた。



「おいおい、急に立って足は大丈夫かよ」


 ハッとして足首の包帯をひっぱる。


「痛くないんです……さっきまで腫れぼったかったのに…!」


 まだ赤みは残るけれど、だいぶ腫れもなくなり、なにより痛みがかなり軽くなった。


「やはりな……」


 銀狼だけがひとり落ち着いて頷いていた。


「美雨、君が置かれていた状況は、正直ここまで生き延びられたのが驚異的な環境だった」


 わたしはそっと頷く。


「聞いたところによると、幼かった君が大人でも耐え難いほどの労働を押し付けられ、冷たく食事もままならない生活で、大病もせずいられたのを不思議に思っていた」


 そうかもしれないーーと率直に思う。


「おそらく、君は君自身の唄で、多少なりとも癒やされていたのではないだろうか。なにか覚えはないか?」


「……そういえば」



 思い当たる節はある。

 ひどく体調を崩した時も、小さく口ずさむ唄でなぜかよく眠れて、翌朝にはぐっと回復していたこと。

 傷ついた小動物が、蔵の周りではやけに早く治って野山へと帰って行ったこと。

 そして、あの冬の日の銀狼との一晩ーー。

 それぞれ、ただの偶然や一度きりの夢か奇跡かなどと思っていた出来事がつながっていく。



「でも、そんな……」


「……そうだな、君自身、まだ混乱もあるだろう」


 銀狼の静かな声で語りかけられると、少しだけ安堵する。


「なにより疲れただろう。普通の守護術をあつかうときでも、守護術師はひどく疲弊するものだ。貴女はただでさえ衰弱していたのだから、今日はここまでにしよう」


「はい」


「ただ、楽器はここに置いていってくれるか? 歌も口ずさむ程度なら構わないが、できるだけ人に聞かれないよう気をつけて欲しい」


「わかりました……」



 ひさびさに楽器と歌を思い切り堪能したあとだったので、少しばかり名残惜しく感じてしまった。

 わたしの唄を叔母が嫌がったので、ここまで気持ちよく演奏できたのはいつぶりかわからなかった。

 そんな気持ちが伝わったようで、



「ふふっ、大丈夫。この先ずっと禁じるわけではない。ただ相応に確認してからにしたいだけだ」


 と銀狼に微笑んで言われてしまった。でも、また演奏も歌も許されるという喜びで頬が緩む。


「はい。ーーあの、銀狼」


 一つ気になって、そっと口に出す。


「この子猫、わたしが預かってもいいですか」


「ああ、もちろん。労わってやってくれ」


「ありがとうございます!」


 ほんのり頬を上気させて、大切に籠を抱えて部屋を後にした。




    ⌘ ⌘ ⌘




 美雨が退室した部屋で、銀狼と黄蓋は沈黙していた。


「おっと、これもかよ」



 黄蓋が窓を見て頭を掻く。

 そこには、窓辺に飾られていた花の鉢植えから、あふれんばかりに蕾(つぼみ)まで花開いた緑を茂らせていたのだ。

 部屋に入ってきた時には、もちろんこんな状態ではなかった。



「……彼女の住まう周囲は、明らかに季節を無視した植物の生育状況だった」


「………つまり、人や動物だけじゃなく植物にまで効くってことか」


 さすがは黄蓋だった。すぐに理解して、だからこそ頭を抱えている。


「こんな規格外の能力ってあるのか? ただ唄を奏でて歌うだけで傷を癒し、成長をうながす。方陣も宝玉もなしにだぜ?」


「言ったとおりだったであろう」


「ああ、銀狼坊っちゃんのおっしゃっていた通り! だがな、この目で見るのと聞かされるのじゃあ……」


 衝撃がちがうぜ、と黄蓋は唸った。



    ⌘ ⌘ ⌘

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