第23話
そのまま、何時間もぼんやり男の子を抱きしめていたような、一瞬だったような。
時間までとろけてしまったみたいだわ。
そう思った瞬間に、わたしは光の中から弾き出されていた。
腕の中にいた、なにかに傷つき切ったあの子を放って置けない気持ちなのに、裏腹に光とともにあの子はわたしから遠ざかっていく。
ううん、逆に遠ざかっているのはわたしなのかもしれない。
でも、もう何も分からないーー。
どんどん小さくなっていくひかりに手を伸ばすけれど、わたしは暗闇に戻っていき……。
ついに、ふっと軽い衝撃とともに、わたしの魂が体に戻ってきたかのように意識がはっきりした。
どうやら夢を見ていたのは、ごく短い間だけだったらしい。
ハッとしたけれど、わたしの体はまだ唄を歌い、音を奏でていた。
そして、目の前の破られた戸のそばには、やはりまだ大きな黒い影が佇んでいた。
けれど、その妖の垂れ流していた瘴気はほとんど収まり、赤く不気味に光っていた目は、理性を取り戻したような静けさが宿っていた。
妖は静かに数歩後退ると、伏せをするかのような態勢で寝そべった。
まぶたを閉じて 今日はお眠り
恐れはいらない 悪夢は他所に…
まるで眠りにつくようだわ……。
わたしは家の外に出て、妖のそばに立った。
まだ不思議と、あの光のなかにいたときのような感覚で頭の芯がぼんやりとしていた。
だからなのか、もう近づいても人を害しようとする意志は感じなかったからか、恐怖はなかった。
「美雨!?」
そのとき、わたしを呼ばう声がした。
「銀狼……」
彼の名を呟いて、そっと演奏を終える。
意識せず、わたしではないなにかに導かれるように口にしていた。
「この子をもう眠らせてあげたいの。宝玉で封印をしてくれる?」
わたしが唄をやめても、妖は大人しくぴくりとも動かなかった。ただ、片目を少しだけ開けて、わたしと銀狼をちらりと見た。
「姫さん……これは…一体…」
そのまま絶句した黄蓋を制して、銀狼が頷いた。
「わかった」
「なるべくなら、あまり苦しませないようにしてあげられないかしら?」
「ーー多少は痛みがあると思うが、努めよう」
銀狼が剣を手に、ざくざくと妖に近づいていく。
妖は今や、うっすらした瘴気さえなければ、賢くておとなしい犬のようだった。
「安らかに眠れ」
彼は妖の背にむかって、そっと差し込むように剣を刺した。
妖がびくんと震える。
的確に心臓を貫いた剣の宝玉は、彼が小さくつぶやく言葉に反応するように明るさを増していき、一瞬カッと強い光を放った。
その光に焼かれるように、微かに残っていた瘴気が蒸発していく。
そして、妖の体がほろほろと崩れて、風に舞うかのように消えていった。
あとには地面に突き刺さった一振りの剣と、かすかな跡が残るだけだった。
⌘ ⌘ ⌘
わたしはあの直後にまた倒れてしまい、ふらついたところを銀狼に支えられながら寝台に寝かされた。そのあとすぐに深い眠りが襲ってきて、意識を失った。
薬師殿の好意で、ありがたいことに今回は彼女が普段家族で使っている部屋をわたしに割り当ててくれた。
「無茶をしたな」
「申し訳ございません……」
まったくもって言い訳も出なかった。
寝台の横には銀狼が腕を組んでいた。
「いや、謝らないでくれ。何事もなくてよかった。まさかわたしたちが出たあとにあの家を襲うとは思わなかった我々が悪い。ーーだが、あの光景を目にした時は、心臓が止まるかと思った」
それは彼の正直な気持ちだろう。
「それに、無茶をしたとはいえ、君の唄がなければ無惨な結果を目にすることになっただろう。美雨、貴女は素晴らしい行いをした」
「えっ……」
わたしは驚いてしまった。まさか褒められるなんて。
目をパチパチと瞬いて、銀狼を見つめる。
彼は変わらず美しかった。その瞳にやさしい色と少しの心配が混じった微笑みを浮かべて、もう一度繰り返す。
「君の勇気は素晴らしい」
そして、横たわるわたしの頭をそっと撫でてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます