第22話
⌘ ⌘ ⌘
ーーわたしは夢を見ているの?
体はいま、薬師の家で妖に対峙しているはずなのに。
勝手に唄を歌い続けれる体とは別に、魂だけが抜き取られて、暗闇のなかを駆け抜けていく感覚だった。
なんだかふわふわして、わたしという存在の輪郭がぼんやりしているみたい。
さっきまでの危機感さえ置き去りにして、美雨という意識が遠くに飛ばされていく。
すると、遠くの方に、小さな明かりが見えた。
どんどん光の先に意識が引っ張られてーー
その明かりの中には、小さな子どもがうずくまっている。
まだ五つか六つだろうか。
こごもった響きがだんだん鮮明になってきて、子どもが泣いているのが聞こえた。
どうやら男の子らしい。それにしても、四神獣がいたという伝説の時代のような古めかしい装いだわ。
「お……、お母さん……」
わたしはその子のすぐ隣に立っていた。
これはなんなのだろう?
死に際の走馬灯というには、わたしが経験したことのない風景だった。
経験したことのない空間に放り込まれたのに、不思議とわたしは平静だった。夢の中にいるときのような感覚だからかもしれない。
家屋の中にいるはずなのに、そこはやけに寒々しかった。
人が住む場所と思えないようなあばら家。ところどころ煤けて、壊されたかのような壁。目の端には、赤黒い何かの跡がーーおそらく血の跡が。
まるで、激しい戦に巻き込まれたかのような家だった。
崩れた壁の穴からは、周囲の家々も似たような様子なのが見える。
(あなたは誰? なんで泣いているの?)
わたしがそっと呼びかけた声は聞こえていないらしく、男の子は泣き続ける。
「うっ……ううぅ……ゲホッ」
どうしてあげたら良いのだろう。
こんなにも近くに佇んでいるのに、彼にはわたしの存在が感じられないかのようだった。
わたしの声も聞こえていないみたい……。
「ひっ、ううっ、ゴホッ。うっ」
しゃくりあげて、ときどき咳が混じる。
あまりに長い時間こうして泣いていたのだろう。喉を痛めているのではないだろうか。
嗚咽をあげるたびに、ぶるぶると震える小さな背中。
その姿にいくつかの景色がだぶってみえる。
父と母をいちどきに亡くして、ただただみじめに泣きくらしていた昔のわたし。
そして、瘴気を纏い暴れているのに、ひどく怯えているようにも見えた妖の姿。
いま、わたしが見ているこの小さな男の子の光景がなんなのか分からない。
どうするのが正解かも知らない。
この不思議な空間では、わたしは何もできないのかもしれない。
でも、わたしはもどかしくて、どうにも堪らなくなって……。
両親を亡くした7つの頃の自分が求めていたように、気づくと目の前にうずくまる男の子を自然と抱きしめていた。
(どうかこの子の苦しみが和らぐように。
今の悲しみはなくならなくても、立ち上がる力が沸くように。
眠りにつくときだけは、せめて幸せな夢が与えられるようにーー。)
強く強く念じながらまたあの唄を口にしていた。
まぶたを閉じて 今日はお眠り
恐れはいらない 悪夢は他所に…
一節を歌い上げたとき、ふっと、なにかに気づいたかのように男の子が顔を上げる。
わたしの目と彼の目の焦点が合った。
煤けて真っ赤になった頬が痛々しかった。
けれど、涙は止まったようだ。
「眠れないの……怖くて……さびしくて……」
男の子が呟いた。
ーーだいじょぶだよ、眠ってもいいの。
わたしはそっと答えた。
「もう、眠たいの……」
ーーうん。それなら、子守唄を歌うね。
「うん。うたって……」
わたしはそっと、唄を口ずさむ。
まぶたを閉じて 今日はお眠り
恐れはいらない 悪夢は他所に…
単調で、だからこそ眠気を誘うやさしい調べが広がっていく。
音と共鳴するかのように周囲のあばら家は滲むように存在をとろけさせていき、いつの間にかわたしは男の子とふたり、ふんわりした光に包まれていた。
「おやすみなさい……」
小さなつぶやきが聞こえて、ふっと男の子の体から強張りがとけた。
ーーごめんね、何もしてあげられなくて。
⌘ ⌘ ⌘
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