第4話

    ⌘ ⌘ ⌘



「美雨! 美雨!!」



 うとうとし始めたところで、激しい怒鳴り声に叩き起こされた。

 わたしはハッとして身を起こす。小さな明かり取りの小窓から差し込む光からすると、まだ陽は高い。よかった……ほんの少しまどろんだだけで、寝過ごしてしまったわけではないようだった。



「はい、叔母さま」

「はいじゃない! この愚図!」

 扉を開けた瞬間に、バシャンと顔に水をかけられた。

「……申し訳ございません」



 大人しく頭を下げる。



「もういい。早く支度をおし!」

「……?」

「銀狼の若きご当主さまがお越しなのよ!」



 そんなーー四大名家のご当主さまが?

 雲の上の存在が急に現れたと聞いても、現実味がない。



「なぜ……?」



 自然と疑問がこぼれ落ちた。



「わたくしだって知らないわ。天上人のただの気まぐれでしょう。けれど、当主さまの付き人として、泰然を売り込むのにこれ以上ない機会だわ」



 叔母が頬をほんのり上気させて口元を緩め、わたしへの折檻を早々に切り上げたところを見るに、本当のことらしかった。



「使用人全員でもてなしの支度をしているのに、お前ときたらこうして一人だけさぼって」


「……なにをすればよろしいですか」



 急いでいるはずなのに始まった嫌味をやんわり止めるため尋ねた。炊事場か、掃除か。叔母はわたしが高価な品々に触れるのを嫌がったので、彼女の身支度の手伝いではないだろうと、ぼんやり思った。



「そうね……。みすぼらしい姿が人目につかないように、ご当主さまの馬の世話をしておきなさい」



 あなたには糞尿臭い厩舎が相応しいわ、とにんまり笑った。




    ⌘ ⌘ ⌘




 叔母はああいったけれど、わたしは厩舎も馬も嫌いではなかった。


 艶やかな二頭の黒毛の馬は、堂々たる風格をもっていた。わたしが近づくと少し警戒したようだったが、すぐに大人しくなり、手のひらに鼻面をこすりつけてきた。


 わたしの誇らしい特技の一つが、こうして動物たちに不思議と好かれることだった。



 疲れた体は重く、足はさらにじんじんと強く痛みを訴えていたけれど、純粋な動物と触れ合うとすこしだけ気が晴れた。



「よしよし、賢い子たち。遠くから来たのでしょう。お疲れさま」



 水を与えると、美味しそうに喉を鳴らす。


 その間に蹴られないように気をつけて、胴体を布巾でぬぐってやる。汗をかいたあとに手入れしないと、体を壊して亡くなってしまうこともあるのだ。



「ふう、一段楽したわ。大人しくお利口さんね」



 ここにくる前にいつ食餌を与えられたか分からなかったので、今はまだ飼い葉は与えないことにした。ここをすぐに立つと言うのなら、腹を膨らめせすぎては走るのにかえって辛かろう。


 あとで当主についてきた従者に旅程を尋ねてから、適切な世話をしてあげたかった。



「きっと都から来たのでしょう? いったいご当主はなにを目的にしているのかしらね」



「娘だよ。知ってる?」



 不意に後ろから声をかけられて、わたしは飛び上がった。

 そこにいたのは、質素な衣を身を纏った大柄な青年だった。彼は「ハハハ」と大声で笑うと、大股で厩舎にずかずかと入り込んできた。


 しかし、それで彼の正体がわかった。



「銀狼のご当主といっしょにいらした方ですね」



 警戒心の強いはずの馬たちが落ち着いたままだったので、そうだろうと思ったのだ。なによりこの厩舎までやってくる見知らぬ人は限られる。



「大正解!」



 彼はにっかりと笑った。人好きのする、邪気のない笑顔だった。青みがかった黒髪を短く整えて、20を過ぎたくらいの年齢だろう。わたしよりは頭2つも背が高く、がっしりとした男らしい体つきだった。



「俺は黄蓋。よろしくな」



 黄蓋は馬に近寄って鼻面を撫でた。

 彼がご当主その人ではないと判断したのは、半ば推測だったけれど当たっていた。



ーーだって、叔母さまがご執心の当主さまを一人にするとは思えないもの。



 もしご当主なら、厩に行くと言っても止めるか一緒に賑やかしくついてきただろう。



「お〜お、よしよし。ちゃんと世話してくれてありがとな」



 彼はわたしなど簡単に首を一捻りできてしまうだろう太い二の腕をしていた。けれど、この厩舎にふたりきりでも恐ろしくないのは、彼の邪気のない明るさのおかげだった。



「お嬢ちゃんは不思議だなぁ。気象の荒いこの二頭をこんな短時間で手なづけるなんて。いったいどんな術を使ったんだ?」


「なにも特別なことは……ただ、昔から動物には好かれるんです」


「ふぅん」


 彼は気のない返事をした。


「話を戻すが、君は知らないか? この家に声が出ない少女がいるはずなんだが」



 どきんと心臓が鳴って、わたしは思わず肩をこわばらせてしまった。これでは「知っている」と言うようなものだ。案の定、彼はじっとわたしを見つめた。



「残念ながら、ここの奥さんは知らないようでね。でもどうしてもご当主が見つけたい尋ね人なんだ」


「……どうして探していらっしゃるのですか?」


「ほーう。理由を聞くってことは、その答え次第では娘の居場所を教えてくれるのかな?」


「どんな理由でも、わたしのような立場では隠し事などできません」



 背中をどっと冷や汗が伝った。

 今さらどうして数年前のわたしを探す人がいるだろう。


 あの名前も知らない銀の少年の口ぶりからするに、おなじ銀狼家のなかでもさまざまな思惑がゆきかっているのだろう。

 傷ついた彼を一晩助けたからといって、むやみに明かしていいのかは謎だった。



 彼を粗雑に扱ったとして罰を与えられる可能性もあったし、逆に、いまのご当主に敵対する存在を助けたとして処罰される可能性もあった。



(いずれにしても、なんでこんなに時が経ってからーー?)



 その疑問が強くわたしの顔に浮かんでしまったのだろう。黄蓋はククっと喉を震わせて言った。



「すまん、すまん。そんなに警戒しないでくれ。君もその尋ね人も悪いようにはしない。なんたって、ご当主さまの恩人だからな」


 いろんな笑い方をする人だ。でも、嫌な感じはしなかった。わたしは自分の直感を信じてみることにした。


「たしかにお探しの少女は知っております。ーーそれは、」


 打ち明けようとすると同時に、わたしは背後から強く右肩を掴まれた。痛めた足では踏ん張れず、


「痛っ……!」


 声をあげて倒れ込んだところを、慌てた手の主にそのまま右腕をひっぱりあげらら、半ば無理やり引っ立てられた。



「美雨!? なぜ厩舎(こんなところ)にーー!?」



 その手の主は、額に汗を浮かべた泰然だった。




    ⌘ ⌘ ⌘

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