第31話
五日の準備期間はあっという間に過ぎてしまった。
今、こうして儀式の準備が整えられた場に立つと、複雑な感情が心の中に乱れている。
場所は銀狼家の中庭。
堅牢な柱と壁に囲まれた片隅に、小ぶりながらよく整えられた池。
水辺には花が咲いている。
残念なのは、今日の天気がいまにも雨が降り出しそうな曇天であること。
けれどそんな空の下でも美しく整えられた庭は見応えがある。
その池の中央に建てられた扇形の木造の骨組みには、一面にびっしりと白い札が貼り付けられていた。
儀式を受ける者は、この池の中に立ち入って、膝まで水につかりながら『唄』を奏で歌うのだ。
その者の力が大きければ大きいほど、札は上の方まで赤く染まっていく。
逆に力が足りなければ、自分の腰のあたりにある札すら白いままとなる。
普通は背の丈を越えるくらいまでの札が赤く染まれば術師見習いとなれるのだけれど、わたしは遥か見上げるほど上の方にある札まで全てを赤く染めなければならない。
「ふぅ……」
真新しい白い装束に身を包んで、気持ちは引き締まるはずなのに、どこか心許ないのはなぜだろう。
この中庭を囲むように並べた椅子に座っている、四大老を始めとする銀狼家の者たちの目がわたしをじっと見定めようとしているからかもしれない。
こんな風に見つめられた経験は、あの時ーー試しの儀式でただ立ち尽くすしかないまま「無能」とされ、引きずられて帰ったときを思い出させる。
本当に自分の力を証明できるのだろうか。わたしにできるのかしら。
そんな恐れが、いまさらになって湧き上がりそうになって、頭の中で不安を押さえつける。
今になって不安になるなんて。
無意味だわ。
恐れるくらいなら、目の前の出来事に集中しなければ。
この五日間、わたしに懸命に指導してくれた彼らに応えなければ。
わたしは緊張のしすぎで、肩に力が入っていることにすら気づけていなかった。
「美雨」
そのときだった。
わたしの隣に立つ人から、そっと小さな事で声で呼びかけられた。
「わたしがいる」
そう言って、銀狼はわたしのかすかに震える手を握りしめた。
「…………!」
彼は前を向いたまま、凛と立っていた。
仰ぎ見るわたしには、その美しい横顔が眩しい。
「それにーー貴女なら大丈夫だ。もし自分をまだ信じきれないなら、代わりに『美雨なら問題ない』と言う私を信じて欲しい」
「……銀狼……」
わたしは頷いた。
「はい」
わたしはーーこれまで、戸惑って、嘆いて、時には流されるまま生きてきてしまった。
でも、今、わたしは自身でここに立つことに決めて立っている。
たとえこれ以外に選択肢がなかったからだとしても。
自分で自分の運命を歩んでいくことを選ぶの。
わたしの心を二度も掬い上げてくれた彼に望まれるなら、それに恥じないわたしでありたい。
「行ってまいります」
⌘ ⌘ ⌘
儀式が行われる池へと足を進める。
水に足を入れる直前、
「どうぞ」
変わらぬ美貌の魅音が、わたしに琵琶琴を差し出した。
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