私の長所 SIDE麻生花純③
高さではなく着地点に着目するのはどうだろう……? 私はそう思った。真崎さんの体重がどの程度かは別として、人体が落下してぶつかったのだからそれなりの衝撃があるはずだ。木製の床にぶつかったのなら床の接合部分……例えば釘だとか、そういったものが痛んだり曲がったりしないだろうか? そこから逆算的にどのくらいの高さから落ちたかを割り出せないだろうか?
……いや、このアプローチも無理だ。間接的すぎる。でも着地点に注目したこと自体はいいのかもしれない。
私は少し考える。
せめて
だがないものをねだっても仕方がない。考えること。今私にできることは考えることだ……。
そうして夜は、更けていく。私の懊悩は続いた。
*
翌水曜日。
私はほとんど一睡もできずに学校に向かった。朝見た鏡の中のひどい顔。目は腫れて大きな隈。眼鏡をかけても視界がボヤけている。
おはよう、とリビングに行くとお母さんが「大丈夫?」と訊いてきた。私はすかさず「大丈夫」と答える。大丈夫。私はまだ、大丈夫。
「学校行ける?」
そう訊いてきた母に、やっぱり答える。
「大丈夫」
慣れない集団登校を終え、学校に着く。例によって電車で合流した銀島くんが、情報を私に流してくる。
「警察の動きが活発になっているらしい」
不穏なニュースだった。
もし、もし
「……保健室だな」
いきなり、銀島くんがつぶやく。それから私の背中に手をやり、導く。
「今の麻生さんは危険だ。ゆっくり休むべきだ」
「でも……」
「でもじゃない」
有無を言わさない一言だった。私は黙って俯いた。
だが、それに続いて……?
「君にもしものことがあったら、あいつに殺される」
いや、これは、多分。
疲れた私の、ただの空耳。
「大丈夫?」
保健室。養護教諭のくーみん先生こと
「眠れてる?」
「昨日は、あまり」
「そっか。眠れなかったのね。何か人に話してすっきりすることあったら、先生聞くよ?」
私は、口を噤む。
「話したくない?」
「……何とも言えないです」
「そっか」
先生が、私の腰掛けていた長椅子の、隣に座る。
「ご飯が美味しく感じなかったり、好きなことがつまらなかったりしない?」
「分からないです」
実際、どうだったのかさっぱり思い出せない。
「好きな食べものは?」
そう訊かれて答える。無性に食べたくなるもの。あれば絶対食べるもの。
「プリン……」
先生は微笑んだ。
「じゃあ帰りに買って食べてみて。楽しみもできるし、それが美味しく感じなかったら先生でもご両親でも、話しやすい人に相談してみて」
「はい」
「先生いつでも聞くから言ってね」
「……はい」
「ベッドで少し休んでみて」
「はい」
「担任の先生には話しておくね。
「そうです」
「分かった。二番目のベッド使って」
先生に導かれるまま、三つ並んだベッドの内の真ん中のベッドのカーテンをめくる。白い布団に白いシーツ。白い枕。ふかふかで、柔らかそう。
上履きを脱いで、横になる。仰向け。ベッドのスプリングに沈んだ体の芯が、取り返しのつかないところまで落ちていく。このまま、深く、眠れたら。そんなことを思っている内に、意識は、ストンと落ちた。
夢の中。
私は走っていた。
息が荒い。
私は何かを探していた。
視線を左右に走らせる。
だが見つからない。
何も、得られない。
――待って!
叫んでいた。
――待って――待って!
だが何かが迫ってくる。いや、何かがどんどん離れていく。
遠くに、あいつが見えた。
あいつは、眩しいくらいに、笑っていた。
*
目を覚ました。
深く、息を吸う。
――夢か。
――夢でよかった。
思わず、涙ぐみそうになる。実際鼻の奥はじんわり滲んで、涙腺に酸っぱい感じが溢れてきた。もう、たかが夢で、何でこんな……そう思っていた時だった。
「ティッシュいるかー?」
いきなり聞こえてきた間抜けな声に、私は電気ショックを喰らったみたいに跳ね上がった。聞き覚えのある声……ずっと聞きたかった声!
「秀平!」
思わず棘のある声が出る。頭を起こして声のした方を見る。するとベッドの傍の椅子であぐらをかいて座っている秀平が見えた。あいつはニヤッと笑ってポケットティッシュを取り出してきた。
「花粉症だからよ」
私が「あんたちゃんとこういうの持ってるタイプなんだ」という目をしたからだろうか。秀平は言い訳っぽくつぶやくと私にポケットティッシュを渡してきた。かなりいいやつだ。悔しい。
「よォ……」
しかし秀平に元気はなかった。やっぱり、あんな渦中にいるからだろうか。そりゃそうか。よりにもよって殺人の疑いをかけられたら……
「BLネタを追うあまりBLTサンドイッチを食えなくなった俺を慰めてくれ」
ったくこの馬鹿はこの非常時にBLだのサンドイッチだの……。
「そっちの感じはどうだ?」
私が怒りのあまり拳を握っていると秀平は少し項垂れたまま私にそう訊いてきた。私は拳をほどき、答える。
「事件のこと?」
秀平は、頷く。私は答える。
「正直全然進んでない。真崎さんが『どこから落ちたのか?』について考えてるけど全く……」
「分からねぇのか」
秀平が静かにつぶやく。
――悔しい。
自分で言い出したことなのに。
自分で調べるって言ったのに。
秀平の力になるって、こいつを助けるって、思ったのに。
――悔しい。
涙が溢れそうになる。だがそれを、布団の中で拳を握ることでぐっと
なんて、歯噛みしている時だった。
秀平がそっと、ベッドに手を置いた。それは私とは接触していない、ただ布団に触れただけの行為だったのだが、何故か私の心にそっと、沁み込んだ。秀平が告げた。
「ありがとうな」
ニコッと、笑いかけてくる。
「俺も俺なりにやってみるからよォ、花純は花純で、無理ない範囲でやってくれよ。いつも心配かけて悪りぃな。でも俺、大丈夫だから。お前がいるって分かれば、俺はずっと、頑張れる」
ポロッと溢れて、しまった。
だがそっぽを向いてそれを隠す。それなのに、口からは荒っぽい言葉ばかり出てくる。
「馬鹿じゃないの! 容疑かかってるんだから大人しくしておきなさいよ! 頑張らなくたっていいから! 余計な疑いかかっても知らない!」
けど私の後ろで、秀平は静かにつぶやいて、立ち上がった。
「お前さ、好きだろ」
ぎょっとする。
「ばばばばばばばばば馬鹿言わないでよ! すすすすすすすすす好きって何が?」
しかし秀平は素っ頓狂な声を上げた。
「何がってプリンだよ」
……プリン?
私の頭に疑問符が浮かんだタイミングで、秀平はカーテンをめくってベッドの傍を離れていく。
「お前プリン好きだったよな! 買っておいたから食えよ。ほら、そこのテーブルに置いておいた!」
振り返る。
ベッドサイドテーブル。保健室の調子に合わせて白で統一された空の上に、それがあった。
コンビニで買ったのだろう、小さな、窯出しプリン……。
あいつどこで、そんなこと知ったのだろうか。
*
「よし!」
秀平が買ってきてくれたプリンを食べて。
それから、少しの間だけでもぐっすり寝たのがよかったのだろうか。
私はシャキッと起き上がるとベッドから降りて、体をぐいぐい回した。腰や背中が軽く音を立てた。
「……やり直そう」
空になったプリンの容器を見る。プラスチックのスプーンが突っ込まれた空き容器。何だかそれは、私自身な気がした。
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