日常 SIDE麻生花純

「花純先輩歌ってくださいよぉ」

「ええ、また……?」

 私が顔を曇らせると後輩の名島なじまあづさちゃんが「先輩かわいい声してるじゃないですかぁ! お願いですよぅ。私声フェチで……」と拝んできた。いや、うーん……。

「男子のかっこいい声も女の子のかわいい声ももうとにかく大好きなんですっ! 特に先輩の声は私が生きてきた中で一番かわいいっ! 歌ってるところまた聴きたいです」

 彼女は化学部の「三年生お疲れ様会」でカラオケに行った時に私が歌うところを見ている。

「う、うーん。また今度、カラオケでも行った時ね」

 しかしあづさちゃんは納得しない。

「今度っていつですかぁ! 先輩受験終わったら卒業しちゃうでしょお?」

「ま、まぁ、そりゃ……」

「ここで! アカペラで! 私ボイスパーカッションできますよ!」

「いやいや何でそんなに器用なの……い、いいよ。何歌ったらいい?」

 夕暮れ。部活からの帰り道。七月にとっくに引退した化学部の様子を見に行ったらこれだ。今年入ってきた一年生。新歓の時から妙に懐かれて……こんな有様。

「じゃあ、『あの夏のオレンジ』お願いします」

 去年流行った曲だ。歌えなくはないけど……。

 そういうわけで、私は歌う。あづさちゃんに乗せられて。

 一曲まるまる歌わされた後だろうか。あづさちゃんが急にスクールバッグの中に手を突っ込むと、一枚のチラシを取り出してきた。私はそれを受け取り、目を丸くする。あづさちゃんは笑う。

「出ませんか? 『ツリーハウスフェス』!」



 出ないよ、と最初は言った。しかしあづさちゃんは食い下がった。

「三年生の華の舞台なんですよ! 高校生活最後の文化祭なんですから、全力で楽しまないと!」

「でも私受験勉強が……」

「時宗院生のモットーは……」

「う……『必死で追えば二兎をも追える』」

「そう! 先輩も追いかけましょう! Two Rabbit!」

 あづさちゃんは帰国子女なので無駄に発音がいい。

「は、はぁ……」

「私人を集めますね」

「ひ、人を集める?」

「はい! みんなでアカペラしましょ!」

「えぇ……」

「私、アカペラ得意なんです!」

「化学部でしょあなた」

「アカペラ部も兼部してますよ?」

「そうなんだ……」

「楽しみにしててください! 一流チームを集めます!」

 そういうわけで、あづさちゃんに押し切られる形で。

 私は来る時宗院高校文化祭、通称「冬荻祭とうおぎさい」のメインイベント、「ツリーハウスフェス」の舞台に立つべく練習することになった。

「先輩! 集まりました!」

 いったいどこから呼んできたのだろう。

 私があづさちゃんの提案を渋々受け入れた次の日にはあづさちゃんは人を集めていた。

「トップコーラス、村上むらかみつむぎ

「セカンドコーラス、三ヶ嶋みかしま優里恵ゆりえ

「サードコーラス、私、名島あづさ!」

「ベース、寅下とらした圭太けいた

「パーカッション、加瀬かせ竜弥りゅうや

「最後にリードボーカルは先輩、麻生花純!」

「え、えぇ……」

「チーム名は『カスミン』! これから文化祭を駆け抜けまっす!」

「か、カスミン」

「はい! ベースの圭太くん以外二年生です! 圭太くんだけは一年生」

「あづさちゃんの他にも一年の子がいるの?」

「はい! でも実力は確かですよ?」

 さぁ、そんなわけで。

 私たちカスミンは文化祭でアカペラを披露することとなった。演目は『向こうで君も』。転校していった友達を想う曲で、これもこの夏のヒット曲。

 受験勉強の傍ら、私は歌の練習をすることになった。家族は、特に両親はあまりいい顔をしなかったけれど、「まぁ、やりたいならやりなさい」と背中を押してくれた。実際私も、この時宗院高校に来たからには冬荻祭を楽しみたいという気持ちも少なからずあり、あづさちゃんのこの申し出は、唐突とはいえありがたくもあった。私は最初の反応よりは少し乗り気で、歌の練習に励んだと思う。元々歌うことは好きだったので、すぐに後輩だらけのチームにも馴染んだ。



 さて、そんな私たちが挑む冬荻祭・ツリーハウスフェスには目玉がひとつある。

 それは長い時宗院高校軽音楽部の歴史の中で唯一「プロから声がかかった」バンド。

〈ギャングエイジ〉というバンドがあった。「天使の歌声」と称されたボーカル、真崎さねさき鈴音すずねと、作詞作曲からギターの演奏までこなす音楽の天才新津にいつ良晴よしはるによる男女ツーピースバンド。軽音楽部としての活動はもちろん、路上ライブ、ライブハウスでのイベント、様々な場所で「二人の音楽」を奏でていた。

 高校三年生、今年の春。このギャングエイジの二人に大手事務所から声がかかったとの報が新聞部によって持ち込まれた。リアルネット問わずこの一大ニュースは学年を跨いで駆け巡り、一時時宗院高校は騒然となった。

 噂の炎はやがて、真崎鈴音のSNS上におけるこんなつぶやきでさらなる加熱ぶりを見せた。


〈私、やっと天国に行けるんだね〉


 兼ねてから真崎さんは「天国に眠っている両親に歌を届けたくて歌っている」と公表していた。彼女の先のつぶやきは間違いなく彼女たちのプロデビューを意味するものだということが取り沙汰され、そして、地元新聞紙に載ったこの記事によりその事実が確定となった。


〈時宗院高校からアーティストデビュー? 現役三年生、真崎鈴音さん、新津良晴さんからなるツーピースバンド、『ギャングエイジ』に大手音楽事務所からスカウトの声が〉


 そして、そう。冬荻祭・ツリーハウスフェス、一番の目玉は……。

「ギャングエイジ最後の、無料観客ライブ」

 が開かれることだった。プロデビューしたらライブを開くのにもお金がかかる。だが文化祭で、それも自分たちの母校でやるとなれば……? 

 このライブにあたり、冬荻祭実行委員会は校外部からの客が大量に来ることを想定。保護者とその家族のみが来場できるチケット制を、冬荻祭史上初、実施することとした。



 さて。そんな冬荻祭にてアカペラを披露する私はといえば。

 九月に入り、定期試験も終わってすぐ。

 冬荻祭までの二週間をただひたすらに歌って過ごした。もちろん単語集や一問一答など、受験勉強にも精を出しながら、音楽室や空き教室、時にはグラウンドの片隅で、歌った。そんな時にたまにあいつを見た。

佳鈴かりんちゃんそのリボン新しいやつ? かわいいじゃーん。似合ってる」

末乃まのちゃんショートカットにしたんかー! いいじゃんいいじゃん」

「俺、ずっと火乃香ほのかちゃんのこといいなーって思ってたんだよね」

 あんのナンパ男……。

 先崎秀平。三年七組のチャラ男。

 あっちこっち色んな女の子に「かわいいよぉー」「美人だね」「麗しい……!」なんて訳の分からん声をかけて悦に浸ってるどうしようもない性欲の猿で女の子と仲良くするためだけに色んな部活や委員会に顔を出してる青春中毒患者の色狂い。本当に言葉や態度が軽いというかどんな女の子に対してもかける言葉が薄っぺらくて真面目に取り合うのも馬鹿らしいというか見ているこっちまで馬鹿みたいになってくる馬鹿の伝染病みたいな、そして……。

「おっ、花純」

 歌の練習の途中。あいつと目が合う。廊下の隅にいたあいつは、私を見つけるやいつもみたいに人懐っこく近寄ってきて、それから、にこっと笑って……。

「花純、ツリーハウスフェス出んのかよ?」

「えっ、うん……」

「頑張れよな! お前いい声してるもんな!」

 本当に、馬鹿。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る