私の調査 SIDE麻生花純⑤
一発逆転の手がかりがあるとしたらあそこだ。あそこしかない。私は考える。考え続ける。
あそこはどうしても目視じゃ確認しづらい。遠いのだ。現場まで行けたとして、直接目にするのは難しいところだ。どうしたらいい? どうしたらいい?
私は一生懸命頭を働かせた。そうして、思いつく。
天文部……天文部ならどうだろう。
天文部の知り合いを思い浮かべる。いない。でも説得すれば……そう考えるのと同時に、私の足は部室棟へと進む。第一体育館と第二体育館の間。挟まれるように細い建物を目指して私は歩き出す。
借りなければ……そして、見つけなければ。
そう考えながら私の足は忙しなく動いて前へ進む。
そうして辿り着いた、部室棟四階。
四〇二号室。そこのドアに、ラベンダー色のペンキで書かれていたのは。
〈天文部〉
――そう、秀平を救う手がかりを、私に与えてくれるはずの場所。
事件のせいで、生徒たちは部活動が許されていない。だからここに生徒がいる確率はものすごく低いし、仮にあり得るとしたら三年生が自習室代わりに部室を使っていた場合だ。希にだがそういう人はいる。僅かな可能性、微かな希望。
私はドアをノックする。返事はすぐ来た。
「なぁんだい」
間延びした声。欠伸でも噛み殺したのだろうか。女の子の声。低くて少ししゃがれている。
「あのっ」
私も声を上げた。よかった。中に人がいる!
「望遠鏡か双眼鏡、貸してもらえませんか?」
*
「まぁ、入んなよ」
ドアの向こうから声がした。私は応じた。
「失礼します」
「堅苦しいねぇ」
四〇二の部室の中。どこから持ち出したのだろう、古いバス停のベンチみたいな青い椅子に寝転がった女の子がいた。スカートなのに、だらしなく脚を開いて片足をぶらつかせている。中は見えているが、スパッツを履いているので、問題はなさそう……いや、あるのだが。
「何か用?」
上履きの色から、私と同じ三年生だと分かる。ならば話は早い。私は一息に告げる。
「望遠鏡か双眼鏡、貸してもらえませんでしょうか?」
女の子の手にはファッション誌。どうもここで寝転びながら読んでいたらしい。
そんな、ベンチの上に寝転がった彼女は面倒くさそうに私に応じた。
「ウチの備品貸してほしいの?」
「はい」
「何で?」
「それは、あの……」
私は言葉に詰まる。例の事件を捜査しているから、例の事件を解決したいから、なんて話、荒唐無稽だろうか。少なくとも傍から聞けば、めちゃくちゃな話には聞こえるかもしれない。
でもここで嘘をついても仕方がない。真っ直ぐに、伝えるしかない。
「あの、この間の事件……ツリーハウスの!」
女の子は黙っている。
「あの事件に大切な人が巻き込まれているんです」
女の子はまだ、黙っている。
「私、助けたい。力になりたいんです。もう少しでその目標が達成できる。けど確証が……証拠が必要なんです」
すると女の子は雑誌を閉じて私をしっかりと見据えてきた。
「その証拠ってのを集めるためにウチの備品が必要だってのかい」
「はい」
「事件を調べるなんて、無茶な話だよ」
「分かってます。でもやらなきゃ」
「未成年が、それも高校生が首を突っ込んでいい話じゃないよ」
「はい。そうだけど、そうなんですけど、私、後悔したくないから!」
私はハッキリ告げた。それは自分でもびっくりするような気持ちだった。
「大切な人なんです。助けたい」
「ふうん」
女の子はよいしょ、と体を起こした。
それからつぶやく。
「ついてきな」
私は一瞬、固まる。
それから頭を下げる。
「ありがとうございます!」
すると女の子はニッと笑ってからつぶやいた。
「
「へっ」
「藤本加穂子だよ。あたしの名前! あんたは?」
「あ、麻生花純ですっ!」
すると女の子が……藤本さんが一瞬、目を丸くした。それからつぶやく。
「へぇ、あんたがね……」
「ハイ?」
「こっちの話。行くよ。ウチの備品類は倶楽部倉庫の中にある」
*
藤本さんに案内されるまま部室棟一階の北側にある廊下に行くと、彼女はある扉の前で足を止めた。それから、いきなりその扉にどしんどしんと体当たりをし始めた。私はびっくりしてその様子を見ていた。
「別にドア壊そうってわけじゃないよ」
藤本さんは顔を歪めながらつぶやく。
「ただここを鍵なしで開けるには工夫が必要でさ」
どしん、と何度目かの突進でようやく扉から音がする。何かがきっちりハマったような、どこか小気味いい音。
そっか、部室棟の部屋一つ開けるのでも職員室から鍵を借りなきゃいけないんだ。それを彼女は裏技で……開けてくれたらしい。
「入るよ」
藤本さんに案内されるまま、倶楽部倉庫に足を踏み入れる。両サイド、二メートル近い棚がまるで迷路みたいに続いている。あちこちに備品。例えば竹刀、例えばバット、そういった運動部のものから、鉄道模型、地図の束、おそらく鉄道研究部や地学部といった文化部の備品まで、いろいろあった。藤本さんはやがてある棚の前で足を止めた。それからこちらを振り返る。
「これだよ」
つい、と鼻先で背後を示す藤本さん。私はそこを見る。
〈時宗院高校天文部〉
油性ペンでそう書かれた段ボール箱があった。どうもこの中にあるらしい。
望遠鏡が望ましいか? いや、持ったまま動き回ることを考えたら双眼鏡がいいかな……。
いろいろなことを思いながらやはり双眼鏡を探す。やがて見つけてそれは、真っ白な、とても綺麗な新品だった。藤本さんがつぶやく。
「去年買ったばかりだからね」
私は彼女を見上げた。
「使い勝手は抜群さ」
しばらくここ開けとくから、使い終わったら返しておいておくれよ。
藤本さんはそうつぶやいてから倶楽部倉庫から出た。廊下に立ち尽くすと、それから庫内にいる私に「ボケっとしない。やることあるんでしょ?」と告げてきた。私は双眼鏡を手にして一歩前に出る。
「あのっ、ありがとうございます!」
すると藤本さんはつぶやいた。
「こちらこそだよ。頼ってくれてありがとう」
それから、廊下に出てきた私の背中に手をやる。
「秀平のこと、頼んだよ」
*
藤本さんと秀平の関係は、訊かないことにした。怖かった気もするし、何より秀平の自由すぎる女子遍歴なんて聞くだけ損だからだ。
私は双眼鏡を持ってグラウンドに出た。真っ直ぐに
――あれ?
双眼鏡の先の景色を見て、私は少し困惑した。私の立てた仮説とは違うものがある……いや、厳密にはない。櫓のステージ面、最上部の板を固定する時に打つであろう、釘が見つからないのだ。
――裏側から止めちゃえばバレないだろう。
賢吾くんは確かにそう言っていた。櫓建設に当たった人間が、青いペンキまみれになった釘を打つことになった時、裏側から打ってしまえば目立たないし問題ないだろうと……しかし問題の青い釘が、いや、そもそもの釘そのものが、ステージ裏側のどこを見ても、ない。
仮説が、崩れた……?
私は困惑する。どうしよう。これで一発逆転できると思っていたのに。どうしよう、これじゃダメだ。秀平の無実を証明できない。どうしよう、これじゃ、このままじゃ私何も……。
――きっとそいつ、大丈夫です!
混乱と失望の渦に飲まれそうになった私の脳裏に、賢吾くんの声が響く。
そうだ。そうじゃないか。諦めるな。考えろ。考え続けろ。
拳を握って、双眼鏡から顔を離した時だった。
――そっか。そうだよな。だからそこにないんだ……当たり前のことだったんだ。
希望の光が、私の網膜に差し込んできた。
私は奥歯にグッと力を入れた。そうだ。これできっと、大丈夫だ。
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