俺の調査 SIDE先崎秀平⑤
藤山本町駅で新津を見た。
〈ギタ女〉たちの証言。俺は少し考える。しかしすぐに。
鈴木令理ちゃんが続ける。
〈私らヨッシーサマに疑いかかったらこれ言うつもり〉
〈そうか〉
俺は適当に相槌を打つ。
〈けど最終下校時刻、夕方七時半じゃね? 七時に見ましたって言ってもしょうがない気が……〉
〈違うよ。文化祭期間は七時〉
衝撃の事実。知らなかった。
〈用務員の田中さん、おじいちゃんなだけあってルーズだから多少遅れることはあるみたいだけど、それでも五分も遅れないと思う〉
俺の中の情報整理の意味も兼ねて、俺は頭に浮かんだことをメッセージアプリに打ち込んでいった。
〈七時に藤山本町にいたとしたら……駅から学校までは十分見とけば余裕、まぁ七分くらいとしようか。用務員の田中さんが多少ルーズでも、校門が閉まってる可能性は高いよな〉
〈そ。ヨッシーサマには不可能なの〉
〈何が〉
〈犯行〉
悪びれもなく……というか、文字でのやり取りだからどんな顔をしているかまでは分からないが、令理ちゃんは続ける。
〈当たり前だけど、真崎さんを殺したのはヨッシーサマじゃないってわけ〉
〈どうしてそうなる?〉
〈先崎だって見てたでしょ。真崎さん、前夜祭いたじゃん〉
ああ、いたな。あの時交わしたあの会話が、まさか最後になっちまうとは。
〈みんながいる前夜祭の最中に人は殺せないよ。だから犯行は人がもうほとんど帰った、最終下校時刻ギリギリになったと思うわけ〉
なるほど。
〈七時に藤山本町にいようと思ったら遅くても六時五十二分か三分には学校を出てないとダメ。人がいなくなっていったのは六時半頃かな? でも完全にいなくなってからじゃないといけないから、六時半ぴったりに犯行はできない。そして殺した後に出たんじゃ七時には間に合わない〉
〈殺すったって突き飛ばしただけだぞ〉
〈どこから?〉
返す言葉がない。
〈『天使が落ちてきた事件』なんて呼ばれてんのよ、この事件。真崎さんがどこから落ちてきたか、誰も分かってない。上には何もなかったんだから。どこからあいつを突き落とすってのよ〉
なるほどな。どう考えても不自然な状況で真崎は死んだ。殺した後に不可解状況を作る。それは短時間では難しい。
〈だな〉
俺は会話を適当に切り上げると、目線を上げて黒板を見た。前方の教卓では、世界史の
「農民の都市部への流入があったから、工場で働く人手が増え、産業革命の基盤が整った。このことは……」
*
〈
放課後。
つっても俺は登下校を母親に監視されている身なので、迎えの車の中、新津に電話する。
〈『遠吠』のか。あいつバンドっていうか、一人で歌ってたよな?〉
「そ。そいつ。俺あいつのせいでツリーハウスに……」
車の横を爆音のバイクが通る。
〈何だって?〉
「いや、何でもない」
俺は
神余は〈遠吠〉という名前で音楽活動をしている。この〈遠吠〉は昔スリーピースバンドだっただの神余自身はバンドメンバーではなくただの欠員補充の助っ人だっただの、本当に紆余曲折ありすぎる正に時宗院高校軽音楽部のトリックスターなのだが、これが神余自身歌も上手いし声もいいからファンを自称する女子も多い。公式なのかどうなのか分からないがファンクラブがあり、〈ウルブズ〉と呼ばれている。俺みたいな一般人からしたら何じゃそらって感じなのだが、まぁ、神余が人気なのは事実。けどあいつ、根暗コミュ障拗らせまくってるから女子どころか男子の顔さえ見て話せねぇ。
「でも俺はお前になら真っ直ぐ話せる」
俺はそんなことを神余に言われたことあるがこれあれか? 令理ちゃんにネタにされるやつか?
まぁ、とにかく。
冷静になって考えてみると、俺は神余に「てっぺん越えしてくか?」と訊かれたからわざわざツリーハウスに残ったわけで、あいつさえ余計なこと言わなけりゃ俺は今頃もっと自由に……。
「誰と電話してるの」
運転席のおかんが不機嫌そうな声を上げる。俺は返す。
「女の子」
「デートなの」
「まぁね」
「いつ」
「近々」
「私もついてく」
「は?」
「こんな状況下であんたをほっぽり出しておけるわけないでしょ! 事件の日だって私があなたのこともっと見ておけばこんなことには……」
ああ、まぁ、な。
実は、俺はツリーハウスでてっぺん越えをしようという話になった時、母さんに嘘をついたんだ。
友達んちに泊まる、そんな大嘘をついて、俺はツリーハウスでてっぺん越えをした。その結果がこれだ。けど母さんは、嘘をついた俺を叱らず俺を管理しきれなかった自分を責めているようだ。心臓の奥に悪い血が溜まるような感覚があった。嫌な気分だ。嫌な気分だ。
「母さん」
俺はルームミラー越しに母さんを見た。
「俺、ビシッと決めてくるわ」
それから電話の向こうの新津に告げる。
「明日、神余に話を聞く。いいな?」
〈……分かったよ〉
「切るぞ」
と、電話を切った俺に母さんが返してくる。
「ビシッと決めるって、デート行くなら当たり前でしょ!」
*
「いで! 痛ぇよ!」
俺は神余の足を踏みつける。
「わ、悪かった! 悪かったって!」
「てめぇヨォ、俺が謹慎喰らってるから安心してたんだろうがなぁ」
俺は神余の胸ぐらを掴んで揺さぶった。
「てめぇがてっぺん越えしようなんて
「悪かった! 悪かったヨォ」
すると新津が追撃する。
「お前、何で先崎にてっぺん越え提案したんだ?」
朝。ホームルーム前。
俺たちは神余の奴を廊下の端、ロッカーエリアに呼び出して恫喝していた。元々気が小せぇあいつは俺の怒り顔にビクビクしていた。まぁさ、そりゃ怒りもするって。
俺の隣にいた新津が俺同様、神余の肩を掴んで詰め寄った。がしゃんとロッカーに押しつけられる。神余は怯えながら答えた。
「先崎にてっぺん越えを提案した理由って……これお前には言っちゃいけないやつ……」
「お前ってどっちだ? 俺? 先崎?」
確かに俺たち二人に詰め寄られている今、神余の言う「お前」はどっちか分からない。
「どどどどっちもだヨォ! どっちに言っても気まずい!」
「んだコラおめぇ要領得ねぇな」
俺は右手で神余の頰をそっと包んだ。受け取りようによっては優しいその手つきに、神余が動揺する。
「話せ」
しかし俺はそのまま、親指を神余の目玉に埋め込んだ。頰をしっかりホールドしてるから顔を振った程度じゃ離れない。
「あだっ! 分かった話す! 話すから!」
神余を解放した。あいつは目玉を押さえながら続けた。
「真崎は……その……好きだったんだヨォ」
俺と新津は黙っていた。その沈黙が怖かったのか、神余は口を割った。
「せ、せん……先崎のことが好きだったんだ! 真崎は先崎が好きだったんだヨォ!」
一瞬、時が止まる。
――くそ、何だこれ。令理ちゃんとやりとりしてから妙にツキが悪いな。母さんには負担かけるわ真崎のこんな……。
俺が歯噛みをしていると、隣にいた新津がじっと神余を見ていた。その視線が怖かったのか、神余は続けた。
「だから先崎と真崎を二人にしようと思ったんだ! 俺、真崎と中学が同じでさ、塾も一緒で、仲良かったんだ! 恋バナもした。その中であいつが、先崎が好きだって言うから三年最後の文化祭で二人きりにさせてあげたくて……」
俺も新津も黙っていると、神余はさらに続けた。
「六時半までの時点で後輩はみんな帰した。三年はもうほとんど帰ってたから、〈五十歩ひゃっほー!〉の奴らにだけ声をかけて帰した。ボーカルの長野美遊だったかな。ずっと真崎と話してたから引き剥がすのが難しかった。真崎にはツリーハウスの三階バルコニーに残ってもらって、後はそこに先崎を連れていくだけ……だから俺、先崎に言っただろ?」
……何も覚えてない。
「『夕方の景色が綺麗だからバルコニーに行け』って俺、言ったよなぁ?」
全然覚えてない。あれか。花粉症の薬のせいか? 俺のあの日の最後の記憶は、「神余が女子連れててっぺん越えするって言うから、女の子にもしものことがあっては」と……。
「一年女子をエサにして悪かったよ。あの子たちにはギリギリまで残ってもらって先崎をツリーハウスにとどめてもらったけど、六時半になったら真っ直ぐ帰したんだ。で、お前と真崎、二人しかツリーハウスに残ってないことを確認して六時五十分に下校した。校門のところに〈五十歩ひゃっほー!〉がいたから早く帰れよって言って……それから俺はすぐ傍のマックに寄って晩飯食って……」
「マックって、あれだな」
このまま黙って聞いていると心が倒壊しそうで、俺は何とか口を開いた。どうでもいいことでも、何か口にしないと壊れそうだった。
「『乗り越え塀』の目の前の」
乗り越え塀ってのは、ツリーハウスから少し離れたところにある塀のことだ。学校と外部の境界線。他の場所には高さ十メートルくらいのフェンスが張られているのに対して(多分野球部の球が飛んでいかないように工夫してるんだと思うが)、この乗り越え塀のところは文字通り塀しかない。高さも二メートル、幅も二メートルほど。その気になれば文字通り乗り越えられる。生徒の自主性の象徴であるツリーハウスにいつでもアクセスできる場所として、ツリーハウスユーザーの中では結構有名な存在。そしてその塀の前、道路の向こう側には少し大きなマックがある。三年生の中には朝七時からこのマックに行って勉強してから登校する奴もいるくらいだ。
「そ、そそ。俺、そこで飯食った」
まぁ、そんなことはどうでもいいんだけどよ。
俺はため息をついた。
……そっか。
……そうだったのか。
俺は俺を好いてくれた女の子を、救えなかった、ってわけか。
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