三、冬荻祭と人間模様の変遷

冬荻祭延期期間 SIDE 麻生花純①

「先崎くんに、面会を希望できますか」

 私はすぐさま、美人警察官に問う。彼女は涼しい顔をして答えた。

「私たち警官が同席しますが、それでもよければ」

「問題ありません」

 すると、私の深刻な表情を読み取ったのだろうか。女性警官はキュッと唇を結び、「大切な人なの?」と訊いてきた。私は、黙る。

「……もし彼とあなたが特別な関係にあるのなら、面会を許すことはできません」

 そう言われて、私は胸が張り裂けそうになる。

「特別な関係じゃ、ありません」

 そう。特別なんかじゃ、ない。

 私と秀平は、特別なんかじゃないんだ。

「でもあなたは気になるのね」

 その言葉がどの範囲を示すものなのか、私には分からなかった。だから曖昧に、頷くとも、横に振るとも取れない妙な首の動かし方を、した。女性警官は笑った。

「彼は運転免許を持っていないし、自宅から学校へも徒歩と電車。それもその気になればご家族が車で送り迎えできる距離です。取れる逃亡手段が少なく、現行犯逮捕でもないため、一旦は釈放されます」

 釈放、の言葉に気持ちが重くも軽くもなる。「釈放」という言葉が使われるほどまずい立場にいながら、しかし釈放はされる、という……。

「でもその前に会って話しておきたいのよね?」

 念を押されて、私はすぐに頷く。この後どこかで落ち合ってもいいが、秀平は疑いのかかっている身。密会は好ましくないだろう。だったら、警察公認の元……。

「これから連れていきます」

 女性警官の静かな、一言。

 男性が多い職場でやっていくにはそれなりにパワーがいるのだろう。そのエネルギーが密かに根底に流れていることを感じる、そんな声だった。私は静かに女性警官の後に続いた。

 部屋を出ると、リノリウムの廊下を少し歩き、そして、一つ隣の部屋の前に立った。女性警官がドアをノックした。「はい」と、中から声がした。どうも、秀平の聴取をした人も女性警官のようだった。

 ドアがチラリと開く。中から顔を見せた女性警官は、私の聴取をしてくれた警官同様、凛とした雰囲気の女性だった。二名の警官が小さい声でやりとり。多分、「もう済んだ?」という趣旨の。それから私の前に立っていた警官がすっと私の方を見て、「どうぞ」と中を示してきた。私は導かれるようにして中に入った。

「秀平……!」

「よぉ、花純ぃ」

 そこには、パイプ椅子に腰掛けて力なくへらへら笑う秀平がいた。殺人容疑をかけられるのはさすがに参ったのか、表情に覇気がない。馬鹿! とその弱った顔に拳を叩き込みたくなる。けど警察署の中、それを我慢する。

「あなた何であんなところに……」

 と、秀平が私の言葉を切る。

「ちょっと女の子のためにな」

「馬鹿!」今度は声に出る。

「ふざけてないでちゃんと答えて!」

 すると秀平は眉を垂らして返してきた。

「悪りぃ悪りぃ。『てっぺん越え』だよ」

「『てっぺん越え』?」

 知らないワードに私は首を傾げる。

「『冬荻祭前夜祭』はご存知?」

「前夜祭……? 軽音楽部とか冬荻祭実行委員とかがするやつ?」

「そうそれ」

「それに参加してたの?」

「ああ。俺、軽音楽部の連中にも顔知られてるからさ。それに前夜祭には毎年参加してたし。今年は最後の冬荻祭だしな……」

 最後の冬荻祭、という言葉に胸がちくりとする。こんなことがあった後だ。中止……だろうか。

「そこのお姉さんには話したけどさ」

 と、私の背後に目をやる秀平。そこには女性警官が一人。氷のような表情で立ち尽くしていた。警察官を「お姉さん」って……。

「『てっぺん越え』っつー文化があんのよ。前夜祭にはな。平たく言やぁ、前夜祭のノリのまま学校に泊まり込んで翌日の冬荻祭に一番乗りすることなんだけどさ」

「はぁ?」

 思わずそんな声が出る。そ、そんな、校則も条例もぶっ飛ばしてるような行為、時宗院生が……と、言いかけてやめる。時宗院生だ。頭のおかしいことの一つや二つ……。

「俺、その『てっぺん越え』をしてたはずなんだけどなぁ」

 と、遠い目をする秀平。

「花粉症の薬のせいでよぉ、頭がぼんやりすんだよな。だからよく覚えてねーんだ。気がついたら、目が覚めたら、寒くて、誰もいなくて、でもツリーハウスの中で……」

「そんな……」

 私は呆然とする。秀平だって馬鹿じゃない。時宗院生だし、何より秀平が賢いことは私自身が

「何か一つくらい覚えてないの? せめて何か、自分の潔白を証明する何かを……」

「覚えてねぇ」

 薄暗い取調室の中でそうつぶやいた彼の顔は、見ているこちらが怖くなるくらいぼんやりしていた。

「真崎……」

 そんな秀平がまた、ぽつっと告げた。

「真崎、死んだのな」

 私の脳裏に、蘇る。

 散らばった黒髪。虚ろな目。細い指。血、そして、楽譜。

「真崎さん」

 私もつぶやく。でも、続く言葉が出てこない。

 ――真崎さん、大切な人だったの? 

 そう訊く、だけなのに。

 言葉が出てこない。訊いてしまったらおしまいになってしまう気がして。何かに決着がついてしまう気がして。今こうして、かろうじて繋がっている秀平との線が、ぶつっと、切れてしまう気がして。

 だから、私は、強く鼻を擦ると、代わりにこう、秀平に告げた。

「真崎さん、私が調べるから」

 秀平がひょいっと顔を上げる。私はそんな秀平の目をしっかり見て、再び告げる。

「私がこの事件、調べるから」



 冬荻祭は本事件を受けて中止との判断が下された。

 まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。天候が悪いとか交通麻痺とかそういう理由とは訳が違う。殺人事件だ。そう、本件は最初から殺人だという方向で警察の捜査が始まっていた。

 理由の一つに現場の状況があった。わたしが慌てながらも判断した通り、真崎さんはツリーハウスフェスの舞台、やぐらの床面に頭を打ちつけて死亡していた。頭蓋骨の損傷具合からしてかなりの力で叩きつけられたらしい。少なくとも人間の腕力では出せないぐらいの衝撃が後頭部に加えられていたようだ。そして(これもわたしの見立て通り)傷口はやはり櫓の床面と一致した。おまけに櫓の床には真崎さんの頭皮の一部と毛髪が付着しており、彼女がこの櫓に頭を打ちつけて死亡したのは間違いようがない事実だった。ただ、そう、この簡単な状況が事態を複雑にしていた。

 人間の腕力で出せない力で床に叩きつけられている。つまり、真崎さんは誰かにどつかれたりぶつかられたりして床面に後頭部から着地し、その衝撃で死亡した……というわけではないということだ。

 となると、何故、どうやって、彼女は櫓に頭を打ちつけたのか。

 ここで彼女の死体の特徴が、その謎を明らかにし、そして……複雑にする。

 真崎さんの死体の各所……肩、背中、臀部、踵……それぞれにできていた擦過傷を調べたところ、生活反応などの条件からほぼ同じタイミングでこれらの怪我を負ったであろうことが推定された。これはつまり、「肩、背中、臀部、踵、そして後頭部が同時に床に激突したこと」を示しており、以上のことから、真崎鈴音は「何らかの理由で落下し背面から床に着地した結果死亡した」という所見が下された。このことが事件を複雑化する。

 落下。

 これには高さが必要である。

 しかし現場の周りには、高所と呼べるものはツリーハウスとそれが作られているにれの木くらいで、しかしそれらも死体のあった櫓からは五メートル以上も離れている。可能性として一番あり得そうなのが楡の木の枝から、ないしはツリーハウスの三階バルコニーからの落下、という線だが、楡の木から落ちたのだとしたら落下途中に枝の一つや二つ折れていないとおかしいし、バルコニーからの落下だったとしたらツリーハウスの屋根、ないしは屋根に開いた穴を……かなり古い代の生徒が開けたとかいう屋根の穴を……塞いでいる庇が破損していないとおかしいことになる。

 そのどちらにも異常がないことが確認され、そして上記の内容が報道などによって生徒保護者はおろか世間も認知した頃になって、こんな噂が立つようになった。

 ――空から堕ちてきたんじゃないか。

 ――天使の歌姫が。

 ――天国から落ちてきたんじゃないか。

 

 ツリーハウス殺人事件。

 通称「天使が堕ちてきた」事件。

 私はこれに挑むことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る