冬荻祭延期期間 SIDE麻生花純②
月曜日。全校集会があって、学校から親と生徒に向けて説明があった後のこと。
私はずっと部屋に閉じこもっていた。ネット上を彷徨って、大小様々なニュースに目を通す。〈学校、生徒襲う殺人事件〉〈現役女子高生歌姫殺害される〉〈容疑者は同高校の男子生徒か〉。
最後の見出しに私は針山を飲み込んだような気持ちになる。違う。秀平は人を殺したりしない。でもあの場所であんな風にいたら、疑いの目を向けられるのは当然だ。まったくあいつ、何であんな意味の分からないところに……と考えて、首を振る。だめだ。私まで秀平を非難したら本当に誰も、秀平の傍にいなくなっちゃう。私は唇を噛み締めて顔を上げた。何とかしなくちゃ……何とかしなくちゃ。
秀平の処遇がいつ頃どうなるのか分からない。でも三日、解決までに少なくとも三日は見ておけば、秀平にとって最悪の結末は回避できる気がする。根拠のない数字だけど、多分解決までに一週間以上かかると世間が秀平に向けた目は「容疑者」のままで固定されてしまう。秀平の潔白を証明するなら、事件が風化し始めない、三日という数字は……やはり大きなものになってくるだろう。そう考えて、私は深くため息をついた。アカペラといい、秀平といい、私を勉強から引き剥がして、本当に何なの? 受験失敗したら責任取ってもらうから!
でも……。
と、私は思う。
真崎さんのこと。
秀平は、気にしてたな。
ふと、暗い気持ちになる。私が受験期の一部を捧げて取り組むこの問題が、単に秀平と彼女の関係性を明確にするだけのものだったとしたら……。そう思うと、何だかブラックホールに飲み込まれたような気持ちになる。暗い暗い、光も届かぬ海の底。何もない。何も、ない。
「花純」
私の部屋のドア。その向こうから、お母さんの声。
「入っていい?」
私は少し躊躇った後、「うん」と返した。ドアが開かれた。
母は入ってきてすぐ、押し黙って私を見つめていた。その表情から私は何を読み取ればいいのか、全く分からなかったが、母は急に頰を緩めた。
「隣、いい?」
気づけば、私はベッドに深く腰掛けていた。不思議なもので、こうして自覚するまで私は自分がどんな体勢でいるのか把握していなかった。漠然と、室内をウロウロしていたような記憶はあるのだが……。お母さんが、そんな私の隣に座り込む。
「事件のことでショックを受けてるんじゃないかって、心配して来たんだけど……」
お母さんはそっと私の顔を覗き込んできた。それから笑った。
「何か悩んでる?」
「え、えっと……」
しかし私が言い終わるのより先に。
「大丈夫。大丈夫だよ」
……まただ。
お母さんは不思議なところがあった。それは私や父が悩んでいるとそっと傍にやってきて、それから優しく微笑んで「大丈夫」と言ってくるのだ。寄り添えば何でも平気だと言わんばかりに。あなたは一人じゃないと言わんばかりに。
「お母さん……」
私は、まだまとまらない頭の中を整理して、話し始める。
「お母さんはお父さんが危険な目に遭ってたら、どうする?」
私の問いに母は微笑んで答えた。
「傍にいるよ。こんな風に」
「お父さんだけじゃ対処しきれなさそうな問題だったら?」
「一緒に考えるかな」
「お父さんの頭の中が分からなかったら?」
「訊くかも」
「訊けなかったら?」
うふふ、と母は笑った。
「男の人って何考えてるか分からないよね」
「うん」
私が頷くと、しかしお母さんは急に真剣な顔になって、「でも人間、意外と根っこは同じだよ」とつぶやいた。それから私の髪を撫でる。
懐かしいな。小さい頃はよくお母さんに髪を編んでもらってたっけ。今でこそ自分で結うようになったけど、昔はよく、お母さんに、こんな風に……。
「お母さん」
母の温かいまなざしが私を包む。
そっか。そうだよね。きっと、こうあるべきなんだ。
私、元気が出た。
もしかしたら、秀平だって、私と同じように思ってるかもしれない。私と同じように、目の前の難問を解決しようとしているかもしれない。だったら私はあいつと一緒にこの問題に取り組むまでだ。真崎さんのことは、一旦脇に置いておいてみるか。私は私の赴くままに、秀平を、あの馬鹿を、助けに行くんだ。
拳を握る。そして息を吐く。
「私、やるだけ、やってみる」
すると母は微笑んだ。
「うん」
*
翌日。
学校での説明会の通り、私たちは集団登校をすることになった。管理上の問題から、班構成は学年単位。同じ地域からの登校でも、学年が違えば班は異なる決まりだ。
私の家の方面にいた子は全部で六人。奇遇にも私ともう一人を除き軽音楽部の子だった。時宗院高校は部活動の兼部可ということもあって、メインの部活の他にもう一つ、という人は結構多い。そしてその「もう一つ」の部活に軽音楽部を選ぶ人はかなりの数いる。結果、軽音楽部はとてつもない大所帯になっている。多分廊下で三人生徒を捕まえれば一人は軽音楽部だろう。
さて、そんな私の登校班。
「花純ちゃん、おはよう」
学校に向かう電車に乗っていると、前以て共有してあった「一両目、三つ目のドア」から
「何かすごいことになっちゃったよね」
私の傍に来るなり、ぺっぺはそうつぶやく。
とろんと丸い目をしているぺっぺは何だかいつも困っているみたいに見える。眉も垂れているから余計にそう見えるのだけれど……これがちょっと、かわいい。私は彼女のファンだ。
「冬荻祭用に新曲作ってた?」
私が訊くとぺっぺは「一応ねー。まぁ、簡易版でもライブ開いてくれるのはありがたい」なんてつぶやいた。冬荻祭は中止との判断が出ていたが、昨日の夕方、一転、一日だけの開催が決定されたのだ。多分私たち三年生を気遣ってのことだろうけど、どうなるのやら。
と、ぺっぺが口を開く。
「今日、駅までたーくんと来たんだけどね、二年生の登校班は一本遅い電車なんだって」
「たーくんって、〈五十歩ひゃっほー!〉の……?」
「そう。
聞いたことある。いつもしかめっ面で怖い子らしいけど、ベースを演奏している時に見せる笑顔が眩しくてファンも多い。
「あの子、私が『どうせ電車違うんだしいいよ』って言ったのに一緒に行くって聞かなくて」
そっか。そうだよねぇ。
これも噂話。錦木くんはぺっぺが好きらしい。ぺっぺ当人が気づいているかは謎だけど。
「次の駅で乗ってくる子誰だっけ?」
電車が動き出してしばらくしたところでぺっぺがそう訊いてくる。私はスマホを取り出し、答える。
「えーっと、奥野くん。
「あー。〈グレノベ〉の」
バンド名〈ザ・グレート・ノベルス〉を略して〈グレノベ〉と呼んでいるのだが、次の駅で乗ってくるのはそんな〈グレノベ〉のベース担当。〈グレノベ〉は奥野くんのベースと
「私あの人たちのピアノ苦手なんだよね……。何かピアノの悲鳴聞いてるみたいで」
と、顔をしかめるぺっぺ。一応彼女、音大付属の高校に行こうとしたのだが、受験の早い段階で不合格が決まったので、公立後期を受けて時宗院に来た……という経歴がある。彼女の弾くピアノは鼓膜がとろけるみたいに上手い。
なんて話しているうちに次の駅に着いて、奥野くんが乗ってきた。ちらりと見えたホーム。奥野くんが女の子に手を振ってからこちらへ来た。そしてその、女の子が……。
私がぽけっと優里恵ちゃんを見ていたからだろうか、電車に乗り込んできた奥野くんは「うーす」と挨拶した後チラッと振り返り、「あー……その、彼女的な?」と肩をすくめてきた。へ、へー……優里恵ちゃん、先輩と付き合ってたんだ……。
すごいなぁ、私なんか全然だめだ。恋愛とか、分からないもん……そう、私の中のこの感情に、何て名前をつけたらいいか、分からないくらいに。
私がぼやぼや考え事をしている間に電車は揺れて、次の駅、また次の駅と続いた。その道中で二人、女子生徒が乗ってきた。けれど私の知らない子で、私が小さくなっているとぺっぺが二人を紹介してきた。
「〈ギタ女〉ってバンド知ってる? 〈時宗院ギター女子部〉っていうバンドなんだけど……」
「あ、聞いたことある」
私は顔を上げて新顔の二人を見る。一人はお化粧バッチバチの火力が高い女の子で、もう一人はツヤッツヤの黒髪をボブカットにした女の子。私は二人の顔を見て思い当たる。
「『みんなギターがやりたいから』って理由でバンドの五人全員アコースティックギターで演奏するバンドだよね?」
「ちゃうしー」
と、火力の高い子の方が舌ったらずな調子で私に返す。
「あーしらみんなギターじゃ演奏にならんじゃんね。じゃんけんで負けた子がそのライブでキーボード演奏すんの」
ぺっぺがクスッと笑ってこの子を紹介する。
「こちら
「なんそれ褒めてんの?」
晴火ちゃん。「火力高いから『晴火』」で覚えよ。
ぺっぺが紹介を続ける。
「こっちのボブカットが
椿ちゃん。髪にも椿油使ってるのかな。綺麗。
「もうさー、聞いてぺっぺー」
晴火ちゃんがべたっとぺっぺの肩に触る。
「あーしらのー、ってか『あーしらの』っつーのもあれなんだけどさー、ヨッシーサマ? いるじゃん?」
「……通訳いる?」
晴火ちゃんの隣にいた椿ちゃんが心配そうな顔をして私に話しかける。
「『私たちのー、と言っても『私たちの』っていうのもあれなんだけどさ、新津良晴くん、いるでしょ?』って言ったの」
「は、はぁ……」
私は場の空気に飲まれながらも応じる。〈ギャングエイジ〉の新津良晴くん、ヨッシーサマって呼ばれてるんだ……。
「ヨッシーサマ今回の件マジ大変じゃん? バンドの相方亡くすとかマジでありえんくない? あーしだったらマジぴえんなんだけど。多分ヨッシーサマガチ凹みだと思うんだよねー。かわいそー」
「〈ギタ女〉はみんな〈ギャングエイジ〉の新津くん推しなの」
ぺっぺが笑う。
「椿だってね? 涼しい顔してスマホの待ち受け新津くんだもんねー?」
「やめろし」
なんて、おしゃべりしている時だった。
電車が次の駅に停まった。ドアが開く。そして車内に入ってきた、その人は……。
「よう、麻生さん」
女の子みたいに長い髪。体質なのだろうか、ほんのり赤い色だ。前髪も長くて、その隙間からギョロっとこちらを見る鋭い目。
「銀島くん」
そう、あいつの親友。
銀島英司くんが電車に乗ってきた。
彼とは、微妙な付き合いがある。
それはあいつの親友だから、という付き合いで、別段私と個人的に親しいわけではないのだが、しかし彼は、電車に乗るなり、私の耳元に囁いた。密談みたいに。秘密の取り決めみたいに。
「なぁ、麻生さん」
嫌な予感が、した。
「俺と組まないか?」
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