冬荻祭 SIDE麻生花純

「『乗り換え塀』って言うのね」

 新津くんが逮捕されてすぐ、私は秀平に訊ねた。

「ああ。マックの向かいの低い塀だろ」

 しかし秀平の顔は暗かった。

「あそこ、監視カメラあるのか」

「うん」

 私はハッキリ頷いた。

「だから新津くんも、犯行時の姿がしっかり映ってると思う」

「俺がとやかく言わなくても花純がいりゃ俺は助かったのか」

 秀平の抱えている気持ちが分からなくて、私は発言に困った。でも続ける。

「うん。最初からそれが目的だったし」

 秀平は笑った。

「ありがとうな」

 その日は、それだけで、終わり。

 私と秀平は事件の証言を取るため警察署に行き、聴取を受けた。

 その後、お互いの親に連れられて帰った。

 秀平は、私と接している間はずっと、無言だった。

 何だか心がつままれてるみたいに、つんと、じんと、痛かった。

 何でだろう。何でなんだろう。



 事件が解決して、無事、冬荻祭とうおぎさい

 短縮版。それでも生徒は盛り上がっていた。盛り上がるしかなかった、というのが正確な表現かもしれないが、でも……。

 華と光が、そこにはあった。

 まるで殺人事件なんかなかったかのように……。

「せんぱーい!」

 私にアカペラチーム結成を持ちかけてきた名島なじまあづさちゃんもいつも通り。明るい笑顔。そして廊下で私を見つけるや否や、元気よく駆け寄ってきた。隣には三ヶ嶋みかしま優里恵ゆりえちゃん。私はふと、思う。

 男の子とお付き合いをするのって、どんな感じなんだろう。

 恥ずかしながらそういう経験がないままこの歳まで来た。今まで興味がなかった、というのが正直なところかもしれない。それに私自身がモテなかった。だから余計に自信がない。

 ただ……。

「さぁ先輩! 本番間近、練習励みますよぉ!」

 土曜日曜ととにかく歌った。不思議なもので、音楽には心を癒す力があるのか、事件で負った私の傷も疲労も悲哀も、徐々に癒えていった。

 気持ちが上に向いたからだろうか。練習の途中、私は三ヶ嶋ちゃんにそっと訊ねた。

「〈グレノベ〉の奥野くんと付き合ってたよね……?」

 すると三ヶ嶋ちゃんは笑った。

「はい!」

「あの、訊きたいんだけど」

 私は三ヶ嶋ちゃんの耳元に口を寄せた。

「男の子と付き合うのって、どんな感じ?」

 すると三ヶ嶋ちゃんは笑った。

「毎日が、まぶしくて。大切で」

 へ? と声が出る。

「毎日がドキドキで、身が持ちません」

 ふふ、と笑った三ヶ嶋ちゃん。

 何だかとても、お姉さんだった。



 そうして迎えた冬荻祭当日。

 私は名島ちゃんに衣装を渡された。

「な、何これ……」

 赤いシャツにデニムのショート丈オーバーオール。

 名島ちゃんも同じ色、デニムのオーバーオールを着ていた。

「『カスミン』はオーバーオールで歌うこととします!」

「何それ聞いてないんだけど」

「昨日後輩一同で決めました!」

 へへ、とみんな。そんなみんなもオーバーオール。でもショート丈は私だけ……? 

「先輩これ着てください!」

「い、いやさすがに可愛すぎ……」

「いいからー!」

 と半ば無理やり女子更衣室に連れていかれ、あれよあれよと脱がされた。制服の奪還を試みるも華麗にかわされる。

「さぁ先輩。もうそれを着るしかありませんねグフフ」

 ぐぅ……。

「さぁさぁ早く着ないと本番ですよ!」

「くぅ……」

 そういうわけで、着た。それはそれは恥ずかしかった。

 けど、鏡の前に立ってみると。

 しゅ、秀平が好きそう……こういう、何というかガーリー系な格好は。

 ファッションへの興味も、秀平と関わるようになってからできた。服を買う時にあいつを考えるようになったからだ。

「あっ、これ……」

 名島ちゃんが被る予定だったのだろうか。

 彼女の手には白のキャスケット。私の頭より少し大きめのサイズだけど……。

「あ、被ってみます?」

 嬉しそうな名島ちゃん。

「うん」

 私は勇気を振り絞って、頷いた。



 さて、フェスが始まり、舞台袖。

 緊張しすぎて前の出番の曲なんて全然頭に入らなかった。何だかとかいうバンドが五分くらい歌って奏でて、すぐ私たちの番になった。名島ちゃんが私の肩を叩いた。

「泣いても笑っても、たった一瞬で終わります」

 ニカっと笑う名島ちゃん。

「派手にキメましょ!」

 さぁ、そういうわけで。

 アカペラチーム〈カスミン〉、舞台へ! 



 緊張の舞台の後。

 更衣室で制服に着替えた。

 まだドキドキしていて、心臓を吐きそうで。

 でも不思議と気持ちがよかった。人の前で歌うのがあんなに素敵なことだとは。癖になりそう、とも思った。

 しかし悲しいことにもう最後の冬荻祭。

 仕方がないとは言え、何だか切なかった。もうこの瞬間は、二度と帰ってこないんだな。そう思うと、舞台を迎えられずこの世を去った真崎さんの無念が胸に迫った。私はそっと唇を噛んだ。

 だからだろうか。

 秀平から連絡があった時、それはそれはびっくりした。

〈この間はありがとうな。おかげで、助かった。ちゃんとお礼言えてなかったよな〉

 そんなこと、いいのに。

 しかし続く文面が、私の何かを吹っ飛ばした。

〈話したいことがある〉

 続いてこうあった。

〈二階の空き教室来てくれるか。二◯八号室だ〉

 さらに。

〈待ってる〉


 指定された場所に行った。秀平が見たことない顔で教室の真ん中に立っていた。あいつと目が合う。どちらからともなく、逸らす。

 まだ心臓が高鳴っている。鼓動があいつまで聞こえてないか心配になる。

 だが私は、拳を握る。

 三ヶ嶋ちゃんの、あの笑顔。

 毎日がまぶしくて、大切で。なら、私も。

 声を出す。

「あのさ、秀平」

 わわ……手が震える。

「呼ばれた身で悪いんだけど、私も話があって」

 秀平がポカンとした。それから訊ねてくる。

「何だよ」

 私は、覚悟を決めた。

「あああああああああああああのっ!」

 すると秀平が笑った。

「何だよ」

「わっ、私っ、私ねっ」

 ダメだ、声まで震えてる。

「しゅ、しゅうへいが……」

 すると、秀平が。

 そっと前に出て、私の口を塞いだ。

 それからつぶやく。

「やっぱ俺に言わせろ」

 また、私を見つめてくる。

「花純のさっきの舞台、すげー良かった」

 熱を持った目。少し輝いた目。

「あの曲……『あの夏のオレンジ』、最高だった」

 それから秀平は口ずさんだ。


 ――それがどうなるのか分からなくても

 ――君への想い溢れるんだ

 ――どんな形に終わっても

 ――後悔なんてしたくないから


 秀平の歌は上手かった。

 私も、びっくりするくらいに。

 それから、秀平は続けた。

「後悔なんて、したくねーんだ」

 私のことを、真っ直ぐ見つめる、その強いまなざし。

 私は射すくめられたように固まった。

 それから秀平が口を開く。

「俺さ……」

 世界が一瞬、止まった気がした。


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ツリーハウス殺人事件 飯田太朗 @taroIda

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