冬荻祭延期期間 SIDE麻生花純③

「手を組むって?」

 電車の中。ぺっぺたちには聞こえないくらいに。というか、ぺっぺたちはぺっぺたちで軽音楽部トークに花を咲かせていた。私は銀島くんに訊き返した。

「どういうこと?」

 すると銀島くんが答えた。

「事件について、調べるだろ?」

 赤い前髪の向こうで銀島くんの目が光る。

「力を貸すと言っている」

 は、はぁ、それは……。私は慌てる。

「いや、調べるって言っても私個人の活動だし、銀島くんを巻き込むわけには……」

「調べるつもりではいるんだな」

 そう笑う銀島くん。まんまと足元を掬われた気分になりながら、私は返す。

「そ、そうです。秀平のことあるし……でも、だから銀島くんを巻き込むわけには……」

「巻き込まれるんじゃない。俺は俺の意思で麻生さんに力を貸したい。先崎はまぁついでだが」

 銀島くんは余裕綽々といった顔で笑う。

「だめか?」

 ……断る大きな理由は、ない。

 それに元新聞部部長、秀平も信頼を置くくらい学内の情報に通じている人間だ。これから事件のことを、学校で起こった殺人のことを探ろうとしている私の助っ人に、これ以上の人材はいないと言える。

 とはいえ……とはいえ。

 銀島くんが私に手を貸す理由が分からなかった。秀平を助けたいから? だったら直接的に秀平に手を貸すはずだ。あいつじゃなくて私に来るのには何か理由が……ある気がする。まぁ、そんなこと知ったところでどうしようもないが。

 少し考えた後、私は頷く。

「じゃ、じゃあ……」

 そういうわけで。

 私と銀島くんは即席のコンビを組むことに、なった。



 学校についてから。

 ぺっぺたちと昇降口で別れて、私は銀島くんと廊下を歩いた。

「校内の情報なら一通り手に入ると思ってくれ。新聞部内にそれなりに人脈はある。あと俺の母親はマスコミ関係の人間だ。県警の記者クラブに入れるから事件のことについて大人の世界の話が聞ける」

 銀島くんが、私の方を振り返りながら告げてくる。

「俺自身は、特に生徒間のことには詳しい。ゴシップとかな。そもそもは新聞部で部活動の成績について記事にしていたんだが、いろいろ経緯があって校内の噂話に詳しくなってな」

「じゃあ、早速訊きたいんだけど……」

 私はボソボソと話す。

「真崎さんの周りに何か噂話とかなかった?」

 これは、直接的な犯人へのアプローチである。動機面からの捜索。

 多分だが、私よりも秀平が得意なアプローチ方法だ。私は人間関係の機微に鈍感で、人の気持ちや心情を察するのが苦手。でも今はそんなことを言っている場合じゃなくて、事件に関係することは何でも聞いておかなければならない。特に、秀平がうまく動けない今、私も秀平の役割を担う必要が、ある。

 そう思っての先の質問だったが、しかし銀島くんは「ふ」と小さく笑うと私に向かってこう告げた。

「そういうのは先崎が得意だと思うぞ」

 私も応じる。

「うん、でも……」

「大丈夫だ」

 銀島くんが鋭い目をこちらに向ける。

「あいつもあいつで、黙ったままでいるクチじゃない」

 それが何を意味するのか、最初はすぐに飲み込めなかった。

 しかし自分の教室が近づくにつれ、分かる。だからふと足を止め、銀島くんに訊ねる。

「……秀平も事件を調べてるの?」

 すると銀島くんはまた「ふ」と笑った。

「ああ」

 私は少し、気持ちが爆ぜる。

 あいつ、疑いのかかってる身なのにそんな危ないこと……!

「止めてくれない?」

 私は銀島くんに告げる。

「あいつ容疑かかってるのにそんな危ないこと……本当にもう、無茶なんだから……」

「あまり気にするな」

 銀島くんが真面目な顔で、やっぱりあの鋭い目を前髪の向こうから覗かせてつぶやく。

「さっきも言ったろ。あいつは黙ったままやられてるクチじゃない」

「でも……」

 と言いかけた私に、銀島くんは人差し指を一本立てる。

「あいつも、それから麻生さんも、向いてる方向は一緒だ。道筋が違うだけ」

 銀島くんの低い声に、私の気持ちは少し落ち着く。

「あいつはあいつなりに考えて進むさ。俺たちは、ただあいつを信じて、あいつと同じ方向に進むだけだ。余計なことは考えるな。前だけを、取り組むべき問題だけを見つめるんだ」

 でも、だったら。

「私が秀平に直接手を貸すんじゃだめなの? 私、秀平を助けたくてこの事件に取り組むつもりなのに、どうして……」

 すると銀島くんは真面目な顔を……見ようによっては冷たく見える顔をして、こう告げた。

「黙ってあいつにやらせるんだ」

「黙って、って……」

「ああ、あいつはあいつなりに歩かせろ。役割ってものがある」

 その言い方に、少しカチンと来てしまう。

「黙って三歩後ろを歩けって言うの?」

「違うさ」

 銀島くんは鋭い目のまま続ける。

「さっきも言ったろ。同じ方向を見て進むんだ……見つめ合うんじゃなくて、な」

「何かはぐらかされ気分」

 私はむくれる。

 しかしまぁ、そんなことはさておき。

 チャイムが鳴る。今日も学校が、始まるのだ。



 説明会でもあった通り、授業はオンラインを想定してか、教室の真ん中にビデオカメラが設置されての実施だった。

 私が所属しているのは国立理系コース。ホームルームの教室とは違う教室で、私は物理の授業を受けていた。授業と言っても授業前半の四十分間はただひたすらに問題集を解いて、後半の三十分で解説をして、というような内容なのだが。

 ただ、この物理の問題を解いていると。

 思い出す。考えてしまう。真崎さんがどこから落下したのか。

 本当に空から落下したのなら、高さによっては体がバラバラになってもおかしくないのに、そうなっていない。となるとある意味……常識的な、なんて言い方も変だが、少なくともめちゃくちゃに高いところからの落下ではないわけで、でも頭を打ちつければ死ぬくらいの高さで、つまるところどれくらいの高さなのか、私には想像がつかないというのが正直なところだった。うーん、どうだろう。

 仮定してみる。

 建物の二階程度の高さから体が横になった、水平状態での落下があったとする。このまま床面に頭を打ちつけたら死ぬか。まぁ、死ぬだろうな。つまり最低でも二階程度の高さから落ちたのは確定……なのだろうか? 

 そうだ、最低ラインを想定してみよう。体が水平状態になったままでの落下。そして背面からの着地。

 一応考えてみると、背面からの着地自体は状況を想像しやすい。例えば高所で、正面からどつかれて後方に落下すれば背面からの着地にはなる。体の各所に残った傷の生活反応からついた傷だと分かっても、その「同時」がコンマ秒単位の一致なのか秒単位の一致なのか、はたまた分単位の一致なのかまでは詳細に調べることは不可能なはずだ。「同時」の定義に多少の前後があるとして、警察が各所の傷を「同じタイミングでできた」と判断したのは各所が同程度の傷のつき具合、つまり打ち身具合が同程度の損傷だったから、というのが根拠になるだろう。こう考えるとやはり、「高所で正面からどつかれて後方に落下した」は仮説として十分たり得る。この線で考えてみるか。

 なんて思案をしていると、いつの間にか授業は進んで答え合わせの時間になった。やばい。事件の考察に集中していたからほとんど解けなかった。まぁ、仕方ない……と、丸つけを始める。はぁ、最初の数問だけマル。後はバツバツバツ……。

「よーし、解説するぞー」

 先生が黒板にかつかつと文字を刻み始める。私はそれをぼんやり聴くでもなく見るでもなくしていた。頭の中はやっぱり事件のことで埋め尽くされている。

 現場の検証は、当然ながら私たち一般市民が事件現場に入ることはできないから難しい。でもこういう難問は現場の状況が分からないとどうにも判断しにくく……なんて思っていると、黒板の前の先生が解説を始めた。

「三問目、難しかったよな。先生もこれ解く時苦労したわ」

 それから先生は教卓に手をついて話し始める。

「みんなは思考実験って言葉は知ってるか?」

 不意に、まるで天啓みたいに。

 先生の言葉が、私の中に染み込んでくる。

「例えば『核兵器を爆発させた時』みたいに、実際に実験をするハードルが高すぎて実施できないような研究をする時、あるいは、『宇宙を一つのバケツと考えたら?』というようなあり得ない想定をする時、諸々の条件を頭の中で設定して、想像の中で実験をする……っていう行為のことを思考実験というんだが……」

 先生は話を続ける。

「この問題集の三問目に限らず、試験で解くような物理の問題は試験中に実験することは難しい。当たり前だよな。まぁ、落下運動くらいなら消しゴム落とせば分かるかもだが……多少設定が複雑な問題は試験を受けながらの実験はできない。そこで思考実験だ。頭の中で諸々の条件、環境を設定して。三問目も思考実験の条件を、ある設定で行えば簡単に解けて……」

 そう、か。

 そうすれば、よかったのか。

 思考実験。

 これが私の、武器になる。

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