第23話 エンカウント

 まだ石造りのダンジョンでレベル上げをしていたときのことだ。


「くっきー。ちょっといい?」

「あ」

「ん?」

「中学校でクラス一かわいい吉田さんにチャットで突然俺の好きな洋画の話を振られて嬉々として長文で返事をしたらそれをクラス用チャットにさらされたことを友達に教えてもらった記憶が蘇りました」

「ちょ、やだー。遠回しに私が可愛いって言ってる?」


 先生が俺に伝えたのは、ダンジョン内で他の探検家に襲撃される危険性についてだった。

 ダンジョン内でのそうした暴力行為は厳しく法律で違反されているし、先生も含め大概の探検家は自衛のために周囲の映像を記録する機器を使っているけど、それでも素材や装備を目当てに他人を襲うやからは少なからずいるらしい。中にはそれを生業にしている連中も。


「そんな人って大抵レベルは大したことないからかなり難易度が高いここは選ばないだろうけど、くっきーみたいにいきなり転送されることは十分あり得るし、それでパニック状態になってたらなにをするかわからないから気をつけてほしいの。ただし」

「ただし?」

「気づかないふりで」

「? なんでですか? こっちが警戒してる方が向こうも出るに出れないんじゃ?」

「うん。そうなると思う。そしてこっちが隙を見せるまで長期戦になっちゃう」

「あー、なるほど」


 敢えて隙をさらして敵の攻撃を誘うわけね。


「私がこうやってハンドサインをつくったときは警戒して、ってことね。そしたらくっきーは何も気づいてない風を装いつつ、私が名前を呼んだら防御する準備をしておいて。あくまで自然体でね」

「それは……難しいですな」


 小学校の頃いきなり俺を叩いてきた友澤君のことを先生に報告したらなぜかお互い謝る流れになって俺が先生に抗議する前に友澤くんが謝ってきたから俺も謝らざるを得ない流れになったとき並に難しい。


 俺演技力ないし。


「たしかに無茶を言ってると思う。でも、私たちが無防備だって思わせた状態で奇襲を防ぐことができれば、こっちはかなり有利になるよ。くっきーは人と戦った経験はないでしょ?」

「ボコボコにされたことはかなりありますよ」

「なんだかさっきから不憫だねえ……」






 そういうわけで、迷宮からこのフィールドに移ったときに先生が手をわちゃわちゃさせるのを見ていたので、俺は防御の用意をしていた。


「後ろ!」

  

 先生の鋭い声に反応して、俺は前方へ跳びつつ後ろを振り返り、同時にトイレで踏ん張る感じで力んだ。


「ふんっ」


 籠手からぶりゅんと粘液と目玉が押し出され、背後に近づいていた敵との間に壁をつくる。


 敵の小刀が壁に阻まれ、プールの水面を平手で叩いたときと同じ音がした。俺を切りつけようとしていた男は、右腕ごと壁に小刀を突っ込んでしまっている。


「ぐっ!?」


 そう簡単に突き刺さるようにも抜けるようにもできていない。渾身の力で俺の首を刎ねようとしていた男は必死にもがいているけど、変形する壁に腕を取られて身動きが取れないままだ。 


「ナイスアドリブ!」

  

 先生は俺を褒めながら相手の頭に回し蹴りを食らわした。先生の蹴りは男の左腕に防がれたものの、その左腕をおかしな形に曲げた。

 さらに、先生の蹴りは二段構えだった。続いて男の胸元へと蹴りを打ち込み、胸骨に不可逆のへこみを入れる。聞いただけで嫌な気分になる音がした。


 男は短い呼吸音を漏らしたあと、地面に両膝をついた。


 一瞬で決着がついてしまった。

 

「……くっきー、もうそれ直していいよ」

「……」

「くっきー?」

「いや、直すのはどうやって……あ、これか……」


 尻の穴をしめる感じだった。


 使い方の説明は受けていたけど敵の目を意識してまだ使ってなかったから慣れていない。

 籠手から完全に排出されてずりゅんと地面に落ちたスライムの粘液からは粘度が失われ、ただの液体になった。これじゃ罠とかには使えないな。


 スキルを使うまでもなく男を制圧した先生は、いつになく厳しい面持ちで男を見下ろしながら、手早くその武装を解いた。


 地面に座った男のウエストポーチを外し、左肩に背負っていた大型の鉈みたいなものも取り上げて叩き折る。途中で男が抵抗しようと身をよじると、先生は頭に肘打ちを食らわせていた。


 そういう対処を無言でこなすのでちょっと怖い。


「レベル150なら私に敵わないのはわかってたでしょ。レベルの低い方を先に仕留めて逃げるつもりだったの?」


 先生の言葉にも男は反応しない。

 成人は間違いなくしているアジア系の顔つきの男性。ただし瞳の青は西洋の色だ。スポーツ選手を思わせる引き締まった体の持ち主だった。服装は生地の厚いベンチコート。真冬に着るような服だ。


「一人? 仲間は? 突き出す先はどこの司法組織がいい?」

「……」

「あの、先生。そいつ日本語分らないんじゃ……」

「かもね。だったら井浦に引き渡さないと」


 と、先生が言ったとき、男はぴくりと肩を動かしてしまった。


 あ、わかるんだ、日本語。


 先生は男が日本語を理解しているなら反応せざるをえないような単語を入れて喋ったらしい。


「悪名は海を越えてるみたいだね。どうする? 名前くらいは喋るか、それとも」

「……ウェザリング社所属、陳猛明」

 

 今度は先生の顔色が変わった。


「ウェザリング? なんでプラモの会社のやつがこんなところに」

「……ウェザリング社は民間のLR企業だよ。実態は中国の外人部隊だけど」


 LR企業っていうのは、たしか迷宮内救難活動、つまりダンジョンでの人命救助を担う会社だ。


「外人部隊などではない」


 男はゆっくりと、それでも日本語を使う。


「俺はこのダンジョンの調査を中国政府に委託された。これは、国際問題だ」


 折れてしまった自分の左腕を顎で示す陳という男に、先生はあくまで冷えた目を向けていた。


「どうだろうね。私も彼もここには迷い込んで入ったんだし、その私たちに何の警告もなく攻撃をしたのはあなただよ」

「自国領のダンジョン内で許可なくうろつく他国人を見つけた。警告なしの武力行使が許可される事態だ。俺はその裁量権も与えられている。重ねて宣告するがこれは国際問題だ。速やかに俺の拘束を解け。俺の自由が奪われている時間は計測している」


 先生は無言で男を見下ろしているけど、こっちの分が悪いことは俺にもわかった。他国のダンジョンに無断で侵入し、襲われたとはいえその国の人間に暴力を振るったわけだから。

 

 冒険者とダンジョンは国の宝だ。大体どこの国も開発しきれないほどのダンジョンを抱えているからダンジョンを狙った他国への積極的な侵攻は行われていないけど、他国からの領土内ダンジョンへの干渉はそれだけで一触即発の事態になりかねない。

 

 こういう場合に俺が公人じゃなくて私人な上に現在進行形で法を犯していることは日本にとっては都合がいいかもしれないけど、俺にとってはとても具合が悪い。国から見捨てられることは十分にあり得る。というか既定路線だ。


 やばくないですか、と先生に声をかけそうになったけど、事情が全く分からない俺が下手に口を挟むのは控えた。

 

「飯島さやか。知っているぞ、お前は日本政府との関係が切れているな。いまなら、俺が我が国の首脳部に口利きをしてやる」

「余計なお世話」


 先生がそこで黙ったのは、三人の中の誰よりも早く、背後の丘から発されたプレッシャーを感じ取ったからだった。

 遅れて軍人、次に俺。

 

 後ろの丘には翼の生えた灰褐色の虎がいた。

 ネコ科特有のすらりとした印象の四肢だけど、前腕には人の頭くらい軽くプレスして薄紙にできそうな筋肉がついている。肩のあたりから生えている大きな羽の内側には、そこだけどう見ても人工物の鎖がいくつもぶら下がって地面に垂れていた。


 見ただけでは大きさがよくわからない距離だったけど、俺とこの虎が、捕食者と獲物の関係性にどう当てはまるのかは一目で理解してしまった。


 俺がビビるよりも先に、先生は俺たちから離れた。虎はかがみこむ姿勢をつくり、そして突進した。じゃらりという金属音のあと、爆風が俺の体を持って行った。

 

 風圧で吹き飛ばされる体験は初めてだったから、俺は土の上をごろごろ転がって起き上がったあと、なにが起きたのかまるで理解できなかった。


 とにかくわかるのは、あの虎と先生が一瞬でこの場所からいなくなり、俺と陳だけが残されたこと。

 そしてよろよろと立ち上がった陳が俺に向けるまなざしには、極めて濃い殺意があることだった。

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