第29話 楊
ウェザリング社第一実働部隊部隊長、楊豊明は、邽山ダンジョンでの活動中に死亡が確認された部下についての報告をベースキャンプで受けていた。
「……窮奇に捕食されたことで遺体の損傷は激しかったので、記録の確認は行えなかったようです。クラウドへのアップロードも間に合っていませんでした」
「ではやはり単独行動か」
「そのようです」
ダンジョン内部のように外部との通信が難しい場所では、周囲の状況記録は本人の脳内、および体の各所に設置した媒体への書き込みと、同行者との間に作成した架空領域での情報の共有によって行われる。
チェコに本拠を置きながら、実質的には中国政府の特務部隊という背景を持つウェザリング社では、上層部からの指示が現地の法を犯すことを前提にしている事例も珍しくない。
楊は部下と自身の政治的安全のため、任務中は活動記録を映像と音声の両面で記録し、簡易化されがちな周囲の仲間との共有も五分ごとの密度で行うよう義務付けていたが、単独で窮奇と戦闘したらしい陳の情報はもちろん共有されておらず、遺体からの取り出しも難しいらしかった。
「陳は人一倍向上心があったものな」
それは父親がアメリカ国籍だという陳の生い立ちに絡む根深いものだった。
ウェザリング社に入社する者は、三親等以内に中国国籍の者を持ちながら、自身は中国国籍を得ていない者に限られる。社で職務に従事している間は二等級の中国国籍と一等級の在留資格が与えられるからだ。
幼少期、母の死後父に連れられてアメリカに在住していた陳は、自身から純粋な中国人というアイデンティティを奪った父を憎悪しており、自身の経歴を塗り替えるためなら手段を選ばないという性根の持ち主だった。
それが一人での窮奇襲撃と、返り討ちという結果を招いてしまった。
EU動乱以来、行動を共にしている部下の顔を見ながら、いつまでたっても部下の死は慣れないものだ、と、楊は内心独りごちた。
「命令違反の時点でどんな功績でも取り消されます」
楊ほどには陳の死にこだわっていないらしい副官は、淡々と報告を続ける。
「陳の抜けた分の再編は済んでいます。数か月の狩りのお陰で窮奇の居場所も把握済みですから、いつでも作戦は開始できます」
楊たちがこの最終階層に到着した時点では、窮奇は出現していなかった。
危険度の高いダンジョンでは、侵入者の人数、レベル合計や、殺傷したモンスターの総合数が閾値に達するまで、主が現れないことがある。
邽山ダンジョンはそれに該当した。陳とその部下たちがダンジョンのモンスターを討伐し続けたことによって、数日前に窮奇は邽山ダンジョンの中央に姿を見せたのだ。
「わかった。しかしその前に、三か月以内に国内で発見された一級監視対象のリストをつくってくれ」
「はい」
副官はすぐに返事をしたが、視線でなぜかと聞いてきた。
「いくら功名心に逸る若者でも、あの化け物相手に一人では敵わないことくらいわかっていたはずだろう? 私は、陳が、君が指摘したことも忘れていたほど愚かだったとは思わないよ」
「窮奇ではなく人間と交戦したと?」
「未発見のモンスターでもいたのでなければね。窮奇は死体でも口にするだろう」
「……早急にリストをつくります」
「うむ……いや、命令しておいて悪いが、やはりそれは作戦のあとで構わないよ」
再び視線で尋ねる部下に、楊は凝った肩を回しながら応えた。
「これだけ情報網を張っても接触しない時点で敵は少数。陳の遺体を抹消できなかったことも、彼らに決して余裕がなかったことを示している。窮奇を倒した時点で彼らが私たちを奇襲したとしても、窮奇の戦利品があるなら対処は問題ないからね」
「了解しました」
「よし、それでは行こうか」
椅子から立ち上がり、テント型の仮説住居を出る。
外では総勢四十一名の部下たちが待っていた。皆、レベル150の壁で足止めはされているものの、戦闘経験は豊富な信頼できる戦友たちだ。
「やろう、みんな」
静かな闘志を湛えた目の一つ一つを確かめながら、楊は言った。
「冷や飯ぐらいは今日で終わりだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます