第6話 Xくんのこと旧Twitterって呼ぶのやめなよ
ダンジョンの二階を出る前に、潰れたペットボトルを入り口に置いておいた。
そしてダンジョンを出たあとすぐにもう一度二階へと入り、ペットボトルはそのままなこと、モンスターは沸いていないことを確認すると、俺はまたダンジョンを出て、ムカデを引きずって再々度ダンジョンに入った。
時間経過でリセットされるかもしれないけど、とりあえず今のところ、クリアした階層の状態は保存されるようだったから、俺はムカデの死体をそこに置いておくことにした。倉庫に死骸が入りきるかわからないし、そのうち腐りだしたら異臭騒ぎが起きてしまう。ダンジョン内ならいくら臭くても俺が涙目になるだけですむ。
なるべく急いで中級の解体スキルを手に入れてやる。
「はあ、はあ、それまで、待ってろ……」
ダンジョンを出て家に上がり込んだときにはもうお昼過ぎだった。
「あっつ……」
汗だらだらの服を着替えるのも面倒で畳に寝転がっていると、本当に寝てしまった。
仏壇の方からちーんという金属的な音が聞こえてきて、目が覚めた。
「ふぇっ!?」
びっくりして、女子が聞いたら「かわいー」とコメントすること間違いなしな声を出してがばりと起き上がった俺を、仏壇がある部屋の襖からひょこりと出た顔が見つけた。
大きな瞳がまんまるに見開かれる。
「おっちゃんいたのかよ!」
俺は女の子の真っ赤っ赤な髪を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
「ああよかった、なっちゃんか……泥棒かと思った……」
「あたしは犬でもいるのかと思った。なに? いまの変な声」
「……」
スキルを持った赤ん坊が生まれるようになってから、時折、それまで見られなかった肌や髪の色の赤ん坊も生まれるようになった。様々な容姿の彼らは、なぜか誰もが特殊かつ高性能なスキルを持っていたので、政府はすぐさま、それらの赤子の発見と保護者への交渉に動き始めた。
麒麟児と呼ばれる彼らは生まれてすぐ、親族を含めて、政府から税率控除や補助金支給の優遇を確約されるものの、その代わりに特別な教育施設に通うことを求められる。優れた冒険者の数はそのまま国力に直結する時代だ。トッププロのアスリートが若いうちから自由な時間を削って練習に打ち込むように、麒麟児たちも子供の頃から施設で冒険者としての訓練に明け暮れる。
なっちゃんこと及川夏はその麒麟児の一人だ。彼女は物心がつく前から麒麟児たちのための学校で教育を受け、ダンジョンの踏破経験もある、麒麟児たちの中でも有望株な女の子なのだ。
しかしながら、なっちゃんは俺や爺さんと同様に、自分が属する社会の枠組みにはなじめていなかった。今でこそ落ち着いたものの、小学生相当の年齢の間はたびたび学校を抜け出し家出を繰り返していた。
他人とは違う髪の色から来る疎外感や、成長し事実を知ることで、自分を売ったとしか思えなくなった両親への不信感だとか、理由は色々と思いつく。特別扱いが必ずしも子供の心に優越感を与えるわけではない。なっちゃんは両親や周囲に将来を嘱望されながらも、脱走騒ぎを何度も引き起こしてきた問題児なのだ。
そんななっちゃんと俺にどうして面識があるのかというと、類は友を呼ぶとでも言うべきだろうか。なっちゃんは学校をさぼったときの居場所に、俺とじいさんの家を選んでいたのだ。
子供相手だろうと構ってやろうなどとは考えず、完全に無視して仕事をするじいさんと、勝手に家に上がり込む近所の子をどうすればいいかわからなくて、とりあえずお菓子とジュースを出すだけの俺。そういう空間をなっちゃんはいたく気に入ったらしい。
はたから聞いている分には喧嘩にしか聞こえない言葉づかいでじいさんと怒鳴り合ったり、仕事が休みで家にいる俺に昔の少年漫画を買わせてレビューをしたりしていた。
娘が独身男性と高齢者しかいない家に入り浸っていることに気がついた両親から学校に連絡が行くまで、つまり16歳になるまで、なっちゃんはそんな感じで俺とじいさんのクラッカーみたいな乾燥した日常にハンバーグみたいな重たい時間を挟み込んでくれていた。
じいさんの仏壇に手を合わせてくれていたなっちゃんのために、俺はスルメイカをあぶった。なっちゃんの好物なのだ。まあ俺が買ってたのを勝手に食って気に入ったんだけど。
「じいちゃんって遺影でもしかめっ面なのなー」
なっちゃんはするめいかを口に入れたままそう言った。
「笑顔のなかったの?」
「ないよ。俺だって出来の良い刀を満足気に見つめてるときしか笑顔のじいさま見たことないし」
「まあじいちゃんはサイコパスなとこあったしねぇ」
ていうかサイコパスな人にときどき人間味があった。
「なっちゃんどうしたの? 学校は? それにここに来たらまたご両親と喧嘩になっちゃうんじゃないの?」
「新宿ダンジョンに駆り出されることになったから、お世話になった人たちに挨拶しておきたいって言ったらしぶしぶ許してくれた」
「新宿ダンジョン?」
なっちゃんはするめを噛むのをやめてこっちを見た。なんだか哀れむ感じ。
「おっちゃん、相変わらずテレビ見てねえんだな」
「だって使わないし……」
頑固ジジイのじいさんは騒音を嫌がってテレビを置いていなくて、俺も最初は面食らったけど、今の社会の出来事なんて知らなくたって俺にも社会にも影響がないことにそのうち気づいてしまってからはじいさんにならっている。ときどきネットニュースを見るくらいで、世界的なニュースでも乗り遅れることが多い。
「おととい新宿の都庁がダンジョンになっちゃんだよ。もう首都機能がパンクして大変なことになってるぜ。奪還作戦にあたしら学生も動員するくらい政府はあたふたしてるよ」
「えっ!? 都庁が!? 居抜き型ってこと!?」
「おっちゃんホントになにもしらねーな。化石だ、化石」
通常のダンジョンは別空間が用意されてそこに生成されるけど、ときたまに建造物が内部や外観をそのままにダンジョンに変化してまうことがある。決まって高層ビルに発生するので、第一例発生からは七階以上の建物の建築が世界規模で法律で禁止されている。
とはいえ現象は極めて珍しいし、既に出来上がっている高層ビル群を取り壊そうなんて提言は政治家も経団連もやりたがらなかったので、都庁のような重要な施設はもっぱらそのまま使われている。
「新宿が……やばいだろそれ」
「やばいよ。今はモンスターがでてくのなんとか防いでるけど、ダンジョン自体がかなり危ない代物みたいだから。東京のど真ん中で兵器なんて使えないし」
そう。既存の建造物のダンジョン化でもっとも問題なのは、ダンジョンから周辺地へのモンスターの流出だ。ダンジョン化した時点で建物の耐久力は戦闘に耐えうる程度に強化されるものの、一階にある出入り口はすべてそのままモンスターも利用可能な出入り口になってしまうし、レベルが高い上階のモンスターの攻撃であれば壁や天井が壊されてしまうことがある。
人口密集地帯へのモンスターの解放。端的に言って、待っているのは地獄絵図だ。
「さっきも言ったけど、それであたしみたいな学生もいかなきゃいけなくなったからおっちゃんにはちゃんと挨拶しとこうと思って。じいちゃんのお葬式にもでられなかったし」
俺の理解が追いつく前に、なっちゃんはするめを食べ終えて立ち上がってしまった。
「元気でねおっちゃん。あたし、おっちゃんとじいちゃんにすごく救われてたよ。あと野菜室の玉ねぎ腐ってた」
これまでに世界で四件確認されている高層ビルのダンジョン化は、どれも解決に甚大な物的、人的資源を費やしていて、それでも重慶は取り戻せず、二年間放棄されていた。
死地に行くと宣言したなっちゃんは、いつも通りの朗らかな調子で俺に別れを告げると、敬礼のまねごとして去っていった。
なに一つ言葉をかけられないのろまを置いて。
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