第26話 ジャンプスケア
陳はうずくまったままうんうん唸ってる。先生がブチかました分があったから元々限界は近かったんだと思う。
とにかくなんとか勝った。
終わったことを意識すると、今になってどっと冷や汗が出てくる。
よくあんな思い付きで動いたわ、俺。死ぬかもしれない状況だったのに頑張ったよ。でもうまくいったからって最後はちょっと調子に乗ったな。シールオープンってかっこつけて言っちゃったし。オープンザプライスみたいな語感なのに。
「……やべ、ちょーはずかしくなってきた」
指をシュバって感じにして言っちゃったよ。キメ顔で。先生に見られてなくて本当に良かった。
「……先生は!?」
かっこつけてる場合じゃなかった。さっさと探しに行かなければ。
とか思ってたら、どこかから飛んできた先生が俺の目の前の地面を叩き割って着地した。
「うおっ!」
先生の銀色の髪は乱れていて、眼差しも常になく殺伐としていた。それでも、俺を見るとほっと短い息を漏らして、
「逃げるよ」
と俺の手を引いて走りだそうとした。
「えっ!? 先生?」
「窮奇はまだ来る」
ぞくりと背筋に悪寒が走って、俺が連れられるまでもなく走りだそうとすると、
「待て、くそがぁ……」
という声が聞こえた。
驚くべきことに、うずくまっていた陳が片膝をついて立ち上がろうとしていた。まだ戦意のある目だ。
「俺は、戦えるんだよ……!」
先生はそんな陳を一瞥すると、陳が地面についていた右足を容赦なく踏みつけて関節を一つ増やした。
野太い悲鳴が上がる。
「うわ……」
「走って!」
先生の張り詰めた声に、ともかく指示にしたがってその場を離れる。するとすぐに、背後で大きな着地音と鎖がじゃらじゃら揺れて擦れる音がした。
「てめぇらああ! 殺してやるぅぅ!」
恨み節が雄叫びに代り、そして二秒も経たずに絶叫に変わった。バリバリと氷を砕くのに似た音が響いて、その中に水音が混じる。
俺は人が食われる音を聞きながら顔面蒼白で逃げた。でばでばいう音も聞こえた。
「ごめん、なにもかもが甘かった」
走って走って逃げに逃げて、俺が力尽きて倒れてからようやく止まってくれた先生は、背中だけを見せてそう言った。
両肩を落として、それまでとまるで違う沈んだ声音を出す先生に、俺はどうしたのかと尋ねようとした。
「せんっ、ばあっ、なにっ、はあっ、はあっ」
「……」
「はあっ、あのっ!? はあっ、ああっ! んんっ! はあっ、げおっ……」
「……息が整ってからでいいよ」
全力疾走のあとに声なんか出ねーよ。
俺は先生の厚意に甘えて少し休んだあと、落ち着いてから質問した。
「甘かったって、なにがですか先生。ていうかさっきは何が起きたんですか?」
「窮奇が現れたとき、一番レベルの高い私を真っ先に狙おうとしてたから、くっきーから離れて攻撃を引き受けた。でも、まさか飛びかかって体当たりしてくるだけで山を三つも越えるだなんて……」
先生が突然いなくなったのは窮奇に連れていかれたからだったのか。
「ちょっと相手をしてすぐ戻るつもりだったのに、あいつはそんなこと許してくれなかった。あんなに強いだなんて、私は甘く見ていた……」
絞り出すようにそう言うと、先生はしょげ返った顔で俺の方を向いた。
「軍人がいることも想定していなかったし、敵対してあなたまで犯罪者にしてしまった。私は……」
「あー……」
そういえば許可なく他国に立ち入った上にそこの軍人に暴力を振るったのか、俺。しかもその軍人は多分殺された。ていうか俺が殺したようなもんだ。やったことを考えれば日本に帰るのも難しいかもしれない。
「うーん……」
「……重正さん」
突然そんな風に呼ばれて心底びっくりした。
「私は準備をしても窮奇を倒せるかわからない。あなたが一人であいつに勝てるように指導するなんて、もっと……」
先生にそこまで言わせるのか。あのへんな虎は。
「もう遅いかもしれないけど、あなたは脱出用のスキルを獲得してここを離れた方がいいかもしれません。私は人に先生なんて呼ばれるようなことができる女じゃなかった……」
うなだれてしまった先生を見てると、この人ってもしかして打たれ弱いのかな、と俺は思った。ちょっと前にも落ち込んでたし。
そう考えると俺の方は図太い心持ちになった。
「いや、先生は先生らしいことをしてくれましたよ。右も左もわからないおっさんの俺をここまで育ててくれたでしょう? 他のやつに同じことができたとは思えませんよ。先生はやっぱり俺にとっては先生です」
先生は黙って俺を見ている。
「あと俺が犯罪者になったとかはホントに気にしないでください。助けてもらわなきゃそこで終わってた命ですし、先生の責任は1ミリもないんで。それに俺は別にそのことはあんまり気にしてないです。俺はなっちゃんを助けたあとなら捕まっても死んでもどうでもいいし、俺の家族も、姪が麒麟児なんで国から保護されるはずですから。元々人生詰んでたんで、今目的を持って頑張ってる時間が奇跡みたいなもんです。俺なんかを助けて相手をしてくれる先生も俺にとってはそれだけで神様同然です」
言わないでいいこともいったかも。
「……これから先でなにか成功したら先生のお陰ですけど、失敗したらそれは雑魚な俺のせいですから、先生が謝ったり気を遣ったりするようなことじゃないです。俺はそう思うし、実際道理から言ってもそうだと思います。だから……あーっと、あー……、あのですね」
日頃人と話さないのにべらべら喋ってたら着地点がわからなくなった。
「えっと……つまり、あのぉ、そのぉ、まだ先生に指導してもらいたいんですけどぉ、それを言うつもりだったのにぃ、あのぉ、なんかぁ」
とてもアラフォーとは思えない喋り方になっちゃったんですけどぉ。
「……まあそういうわけなんで、お願いします! まだ粘りたいので、どうか指導を続けてください! お願いします!」
俺は地面に頭を擦りつけて先生に頼んだ。
「……本当にそれでいいの? 私で?」
「はい!」
たっぷり焦らしたあと、先生は俺の頭の前まで来てしゃがみこんだ。
「わかりました。引き受けます」
「! ありがとうございます!」
先生は困った顔をしていたけど、直前の暗さは少し薄れていた。
「でもくっきー。死んでもいいなんて言うのはやめてね。そんなこと言われるとすごく悲しかったよ。生きて帰って、なっちゃんを助けてあげて。勝手なお願いだけど、そのあともどうにか頑張ってみて。私は手伝うから」
「え? ああ、まあ、はい」
俺が立ち上がると、先生は考え込みながら首を傾げた。
「窮奇を倒すなら、やっぱりあの連中を利用するしかないね」
その先生の後ろにいる金髪の子供と目があった。
息を呑む。
子供は性別のはっきりしない顔立ちをしていて、まるで十年来の友人に会ったような大人びた感情を漂わせながら、親しみの込もった青い目をじっと俺に注いでいた。
由来の知れない親近感はひどく不気味だった。
固まった俺が先生を呼ぶ前に、子供は風に吹かれた煙と化してふっと消えた。
「せん、せい」
「ん?」
俺も意味が分からなかったからなんて説明すればいいかわからない。
「あの、子供の姿のモンスターっています?」
「え? さあ、このダンジョンではそんなの出ないと思うけど……」
「じゃ、じゃあ、俺が今子供を見たって言ったら……」
「くっきー! 私本当に怪談話はダメだから!」
「し、しかもその子供は虚ろな目で、びしょびしょの服を着たまま、どうして、ママ、って呟いていたとしたら……突然こっちに向かって」
俺はそこで大声に切り替えた。
「先生の後ろおおおおおお!!」
先生は無言で俺に肩パンをして先に行ってしまった。慌てて荷物を背負いながら、俺は首を傾げる。
一体何だったんだろう。
俺なんかが考えても仕方のないことのようだけど。
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