第24話 管仲と楽毅なら楽毅派

 呆然としていた俺は、陳がゆっくりとこっちに近づいてきていることに気がついたときやっと頭が働き始めた。同時にずんずん胃液がせりあがってくる。とんでもないピンチだ。


 先生はいなくなった。


 なんで? 


 虎もいなくなった。


 あれが窮奇か? 


 先生の話と違う。


 連れていかれたのか? 連れて行ったのか?

 

 ここには俺とこいつだけだ。


 こいつはまだ戦う気なのか? 

 

 手のひらが汗ばむ。


 強いのか?

 

 敵意を剥き出しにして俺を睨みつける男。俺と戦って殺すことに迷いのないことを足取りで示している。


 勝てるのか、こんなやつ。俺はただのおっさんだぞ。一か月前には締まりのない腹をしていた、人を殴ったこともない中年。


 靴が砂を噛む音にハッとする。俺がじりじりと後退あとじさっていたことをその音が教えてくれた。無意識のうちに、視線は退路を探していた。

 それを察した陳が嘲笑う。

 

 こんなことじゃ。


 自己嫌悪と失望感で足元が落ちくぼんだとき、その1、という声が聞こえた気がした。


 退路を確認しろ、と先生は言っていた。

 

 そうだ。間違ってない。まず逃げ道を見つける。ビビりながらでも、俺は先生に言われたことをちゃんとやった。

 先生の指示を思い出すと、なんだか急に気分が落ち着いてきた。

  

 じっくりと落ち着いて、俺は辺りが開かれた土地だってことを視認した。逃げ道はいくらでもある。

 

 よし、次。敵を把握しろ。


 俺はあと少しで間合いに入る男に目を向けた。たしか名前は陳猛明。先生に左腕を折られている。胸元への蹴りもおそらく骨にひびくらいは入れている。装備は取り上げられて破壊されているから丸腰。


 大丈夫だ。いざというとき、逃げられない相手じゃない。


 俺は靴を履くときの動作で足を地面に打ち付けながら、探査系のスキルを発動して相手の基本情報にアクセスをかける。

 案の定、詳細な情報は手に入らなかった。氏名と150というレベル、そしてスキル名だけが頭に浮かぶ。


 スキル名:【諸劌之勇≪劌≫】


「……」


 もう一度、字面だけが浮かんできたそれに集中する。


 スキル名:【諸劌之勇≪劌≫】


「……?」

 

 なにこれ? そもそもなんて読むの?


「しょ、しょ、しょさい、これ、いさむ? しょさいこれいさむ? さい……?」


 ぜんぜんわからん。


「……あっ、もろさいこれゆう? ん? もろさいのゆう? どっち……?」

諸劌之勇しょけいのゆうだ! クソボケジジイが!」

「えっ、あっ……へー……」


 ぶつぶつ読解を試みてたら、なんかめちゃめちゃぶち切れてる陳がさっきにも増して俺を睨んでた。青筋が立っている。読み間違いがいたく彼の気に障ったようだった。


 いや、でもしょうがないでしょ。俺漢文の時間なんてよくわからんまま席に座ってただけだったし。鴻門之会をその読みのインパクトで憶えてるだけだし。

 ていうか之を『これ』と『の』でわけるなよ。わかりにくいんだよ。


 まあ確かにちゃんと勉強しなかった点は俺が悪いよ。それは年をとるごとに実感することだから反論する気はないんだけど。


「鱄設諸も曹劌も孫氏も知らない無教養の猿が! 死ねっ!」


 言いすぎじゃね。


「俺がブッ殺してやるっ!」

「ひっ……」


 戦闘開始の距離に陳は踏み込んでいた。


 スキルの読み方はわかったし、多分中国の故事に由来しているんだろうってことはわかったけど、俺の知る限りの中国史、つまり三国志演義に鱄設諸も曹劌も出てきてない、はず。曹劌が曹操の親戚だって言われたら自信ない。多いし、あの人の親戚。


 つまりスキルは判然としないまま戦うということだ。


 またパニックに陥りそうになった自分自身に、先生の声を思い出してもう一度言い聞かせる。落ち着け。


 指南2は一応やった。次、基本事項1。勝てない相手と戦うな。


 俺はこいつに勝てないか。


 手槍を右手に持ち、握った。


 勝てるかはわからないけど、勝てないとは思わない。だって向こうは丸腰だし、手負いだしな。

 

 基本事項2、自分の武器を確かめろ。


 俺の武器は魔法が一つ、衝撃を物体に封じ込める【シール】。

 実践で使えるスキルは大別して四つ。【槍術≪守≫】、【体術≪守≫】、【クラヴ・マガ≪白≫】、【見の目≪弱≫】。

 武装は手槍の『じゃじゃ馬馴らし』と大型ナイフの『ラプター』、あと。




 とか考えてたら陳が肉薄してきていた。


 大丈夫、こいつは素手だ。軍人だろうが何だろうがこっちには刃物とリーチという強みがある。冷静に距離を置いて槍でつついてればいい。

 そう思っていた俺の目に、金属の光沢が映った。

 なぜか、陳の右手には軍用ナイフがある。

 

「!?」


 なんで!?


「うぐっ!」


 俺の脇腹を狙った陳の一振りを、右手の『ラプター』で咄嗟に防ぐ。受け止めた『ラプター』は俺の手を離れて近くの地面に転がった。


 寄られている。マズいと思いながらも、俺は後退しながら手槍で陳の胸元を突いた。しかし、腰の入っていない一突きを陳は避けもせずに胸で受け、その胸に槍の穂先を沈めた。


「効かねぇ」

「……!」


 刺さっていない。槍先は陳に突き込まれているように見えるけど、何の手ごたえも返さなかった。


 とにかく槍を引いてもう一撃を食らわせようとする前に、陳は俺の首へ一撃を叩き込もうとしていた。防ぐのもこちらが攻撃するのも間に合わない。


「……シールオープン!」


 切羽詰まった俺が叫ぶと、足に溜めていた衝撃が解放され、体は大きく後ろへ下がった。

 

 再び開いた距離を陳がもう一度じりじりと詰めてくるのを見ながら、俺は悪態をついた。


「くそっ……!」


 俺が靴を地面に打ち付けていたのは別に履き直したわけじゃない。いざというとき回避するために衝撃を足に溜めていただけだ。もしくは蹴りでのダメージを倍加させるため。

 それをもう使ってしまった。


 俺はジャマー系のスキルなんてとってない。【進化】スキルが役立たずだってことはきっとバレている。向こうが俺の魔法も確認できるのかは知らないけど、今の動きがスキル由来じゃないことがバレてるなら、魔法の特性もきっとバレた。


「……ちくしょう」


 俺を殺すために頭を使って、体を動かす、得体の知れない敵。


 それに一人で立ち向かうことがこんなに恐ろしくて難しいことだと思わなかった。


 もう一度手槍を握り直さないと、今にも逃げ出しそうだ。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る