第21話 夏 ④
体に経験を、脳に知識を叩き込み続ける訓練時間をなんとか乗り切った夏が宿舎に戻ろうとすると、二色の髪の毛が行く手に現れた。
「あ、及川さん。ちょうどいい所に」
夏にそう声をかけたのはユーリだった。
「なんすか?」
一日中続いた訓練を終えてなおピンピンしている夏の無礼さを、となりでヘロヘロの出穂はもう咎めることもしなかった。
「追加訓練のことでお話があって」
「……アタシお先にあがりまーす」
追加と聞いただけで吐きそうになった出穂は早々に退散しようとした。
「追加って今からですか? あたしだけ? もちろん沢村学生も一緒ですよね?」
「センパイ! アタシほんっとに怒りますからね!」
出穂はゆでだこを連想させるほどに赤くなって怒った。
「ごめんて」
「もちろん及川さんだけです。あの訓練のあとに元気なのはあなたくらいなので。講師の手も限られていますし」
「講師?」
「わ、私です……」
そこで初めて、ユーリのとなりでへらへらしながら突っ立っていた
「染矢さんには高位のスキルを持つランカーとして及川さんを一対一で指導してもらいます」
「よろ、よろしくね。へへ……」
「いや、正直今日はもう休みたいんすけど。きついし」
「……」
引きつる遊子の笑みとは対照的に、ユーリは柔和な笑みを保ったまま、口調を若干軽くした。
「及川さん、気づいてる? 成人男性が根を上げるような過密スケジュールの訓練を終えたのに、あなたは誰よりも体力が有り余ってる」
手を抜いていたからだとはさすがに言えず、夏は黙ってうなずいた。
「それはあなたのスキルのお陰だよ。あなたは人並外れたスタミナを持っているし、それはこれからのあなたの努力次第でさらに増える。野球をやったことはある? ボールを投げる力を生まれ持っていても、スピードを上げて軌道に変化を加えるためには肉体を使いこなす訓練と思考が必要でしょ。スキルも同じだよ。最初からその本領を発揮できるわけじゃないの」
「あー、なんか座学で言ってたような言ってなかったような」
ユーリは頷くと、
「これからあなたには寝る間を惜しんで染矢さんと特訓をしてもらいます。彼女の知見を吸収して、あなた自身のスキルを磨き上げてください」
と、にこやかに言った。
面倒だという本音を隠そうともしない夏に、ユーリはそっと近づくと、
「要だって言ったでしょ? 部隊のみんなが生きるか死ぬかは、あなたにかかってるよ」
と、ささやいた。
「それでは染矢さん、あとをよろしくお願いします」
「は、はい」
むっつりと押し黙った夏を修練場へと連れて行きながら、遊子は改めて自己紹介した。
「そ、染矢遊子です。よろし、よろしくね及川さん」
「……ん、ああ、よろしく。えっーっと」
「あ、私の呼び方はなんでもいいよ! 染矢さんでも、遊子さんでも。あの、先生とか、師匠とかでも、うへへ」
「じゃあ遊子」
遊子はあんぐりと口を開けて夏を見た。
「どったの?」
「……う、ううん。な、なんでもないよ……戦闘訓練の準備してね」
「ほい」
うつむいた遊子はツインテールの房を顔横に垂らしながらぶつぶつと喋っている。
「そ、そうだよね、もちが言っちゃったしね。いや、でも私が同じ立場なら絶対そんな呼び方しないよ。さ、真田さんへの態度もおかしかったし、スキルの慣熟訓練も知らないし、なんか常にため口だし。やっぱりこの子ちょっとへんじゃないのか……」
「なあー。準備できたんだけどー!」
「あっ、あっ、ごめん、ごめんなさい」
グローブをはめ、身の丈ほどの大剣を担いだ夏が呼びかけると、遊子は慌てて立てかけていた棍棒を握り、自身の服の胸元に入れていた黒縁のメガネを手に取った。
「? 戦うのにメガネかけるの?」
「う、うん。ルーティンで」
遊子は苦笑しながらメガネをかけると、うん、と小さく喉を鳴らし、棍棒を構えた。
途端に遊子の雰囲気が一変した。
「一時間殴りあって、三十分検討を三セットだから、どんどんかかってきて」
「三セット!? いつ眠るの!?」
「あなたはまずそれくらい自分を追い込まないと。でももし私に一撃入れられたらそこでその日の分は終了でいいよ」
「一撃って、あたし剣だぜ?」
「うん。見たらわかる。喋ってないで急いで。時間ないから」
「……なんか怒ってる?」
「怒ってない。急いで」
「そか。ほんじゃまあ」
ランカーなんだし、喰らっても平気なくらい硬かったりするんだろ。
そう片づけると、夏はユーリへの苛立ちも込めて大剣を体の右へ振りかぶり、そのまま突進しながら斬りかかった。
それを苦もなく左足で踏みつけると、遊子はするりと夏の懐に潜りこみ、棍棒で頭をひっ叩いた。
木製だと思っていた棍棒はまさかの真鍮入りだった。
「ッ~!」
あまりの痛みに視界がにじむ。
大剣から手を離してしゃがみこみ頭を抱えこんだ夏を、遊子は冷酷に採点する。
「集中力がない。武器を持った相手と対面しているのに意識の切り替えすらできていない」
「こっ、こんな力入れて叩くことあるかよ!? 痛ってー!」
「教訓は痛みで脳に焼きつけるもの。苦くない思い出なんてすぐに忘れる。あなたは基礎すらできてないみたいだけど、こんな初歩の初歩を意識できていないようじゃ都庁に入ったってそのまま死ぬだけだよ」
言いざまに腹が立った夏が睨みながら顔を上げると、冷え切った目がこちらを見下ろしていた。
「痛いで済んでよかったね」
むかっ腹がたった夏は遊子に殴りかかったものの、ひょいとかわされてしまった。
「睨む前に殴らなきゃ。奇襲になってないよ」
「……あーそうですか」
ちょっと涙を流しながら、夏は虚勢を張って笑ってやった。
「しっかり憶えた。殴られると痛いってね」
「……はぁ。今のやり取りで憶えたのがそこ?」
喋っている遊子に、笑みのまま蹴りを繰り出す。今度は避けること叶わず、遊子は棍棒でそれを防いだ。
「……」
「あんたも痛けりゃ憶えるだろ。人を殴っちゃいけませんって」
喋り終える前に足払いをかけられ、夏は顔から土につっこんだ。
あとは泥だらけになりながら無我夢中で殴り掛り続けたものの、きっちり三セットやる羽目になった。
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