第38話 夏 ⑪
立ち上がろうともがく竜の左足に隊員たちによる火線が殺到した。
ダンジョンでの銃器の使用というものは一般に奨励されていない。通路は狭く、モンスターが突発的に現れるので常に同士討ちの危険性が伴う。また、場合によっては数か月から一年の長期に渡る活動において継続的に弾薬を確保するのであれば、スキルを戦闘用以外に割り振らねばならず、それは非戦闘員の同伴と部隊の大幅な戦力の低下を意味するからだ。
だが、この新宿ダンジョンの最終フロアでは、それらの問題は考慮する必要がない。
銃弾の嵐が竜の皮膜を弾き飛ばし、そぎ落としていく。次第に露出し始めた骨は弾丸を防ぐ硬さを持っていたが、絶え間のない弾幕はそれすらも削り始めた。
六本の足のうち二本目を失いかけている竜は、自身の周囲にまとわりつく蟻たちに向けて咆哮し、体を地にこすりつけながら彼らを潰そうとした。
そのタイミングを見逃さず、夏が三本目の足先を縦に割る。再び転倒した竜に続く一撃を見舞い、二本目を完全に断ち切る。
「いいぞぉ! あと三本!」
誰かが叫ぶのを聞きながら、夏は血肉が焼き付いた大剣の先を袖でぬぐおうとした。
「……あ、焦げるか」
シャリと呼ばれる竜の強大さは通常のモンスターの域を超えていた。竜が夏から逃げるように距離を置く動きの中で、偶然胴体の下に潜り込む形になった隊員は避ける間もなく圧死し、骨を狙い撃った結果跳弾に腹を貫かれた者もいた。
最新の重火器が直撃しようとも微細な傷を作るに留まる骨肉の強靭さ。日本の上位層に並ぶ隊員たちが振り回される敏捷さ。巨大な体躯を思いのままに動かす運動能力。
竜は紛れもなく強敵であり、打倒は困難な存在だった。もし夏が不在であれば、このメンバーだけでここまで竜を弱らせることはできなかっただろう。
無名だった赤い髪の少女が竜の四肢を次々に両断するのを目にした隊員たちは一様にその思いを深め、そして、拳を握って内心で祈りに似た叫びをあげた。
やれ、と、誰かがつぶやいた。倒せ、と、誰かが声に出した。
体中から血を噴き出させ、自重で押しつぶされそうになりながら、それでも残った一本の足で旋回し、竜は夏に向かい合う。
口から息を吐きだしながら、床に突き立てた大剣に寄りかかりつつ、夏もその視線を受け止める。今にも倒れてもおかしくない荒い息で喘ぎながら、しかしその練度は加速度的に研ぎ澄まされている。援護の射撃などもはや動きを阻害することにしかならないという理解が、火砲を黙らせ、一瞬、部屋に静寂が満ちた。
誰もが戦いの終わりを予感する一瞬。練り上げられた気力が竜の体に充満し、全身に硬直と溜めの動きが浮かび上がる。残るすべての力を使って、竜は最大の敵に激突する構えだった。
その前に片をつけるため、夏が駆け出す。
抜きんでているのは、単に脚力や筋力に限らない。持ち主にとって決して本意ではない、それでも類まれなセンスは、武術家やプロスポーツ選手が長年の鍛錬でつかみ取る肉体操作の感覚を、この短時間の決戦で少女にも身につけさせていた。
だからこそ、衝撃波を引き起こすほどの速度で移動しながら、床に散乱した肉片によって転倒しても、夏は軽い打ち身で済んだのだ。
ああっ、と、誰かが悲鳴を漏らした。同時に竜が突進し、倒れ伏した夏めがけて猛進する。
その勢いを、蚕の糸が押しとどめた。まるで壁にでも激突したかのように、竜の巨躯が弾む。いつの間にか竜の体に張り巡らされていた糸は幾本の線はその後方へと伸び、そこで一人の手に握られている。
真田ユーリは竜の体重を一身に受け止め、全身の筋肉を総動員しながら、なんとか夏が踏みつぶされることを防いでいた。竜が暴れるたび、ずりずりとその足が地面を滑るものの、ユーリは手のひらを裂かれようとも糸を手放さず、砕けそうなほどに食いしばった奥歯の間から、絶叫した。
「さわむらああぁっ!」
囲む人々をかき分け、茶髪が飛び出す。
緊張と恐怖で涙を流しながら、それでも地面を蹴飛ばし、前に進んだ出穂は、右の拳を大きく振りかぶった。
「うわあああああっ」
雷を
ユーリに力を貸そうとそちらに走り始めた人々が、首だけで振り返り、叫ぶ。
「及川ぁー!!」
呼ばれるまでもなく、夏は跳んでいた。
竜の頭上まで跳躍し見下ろすと、剣をかざし、力を籠め、空を蹴る。
剣刃は彗星と化して降り立ち、標的を胴体で割った。
「でばばばでばばでばばばでばばばばでっでばばばでばばでばばばでばばばばでっばばー」
やったか、と、確かめるまでもない調子はずれの音を耳にした人々が、武器を放り投げた。鬨の声が爆発する。
「やったぞ!!」
「討伐だ!!」
涙を流して抱き合う人々を他所に、もう動かなくなった竜の傍で座り込む夏に向かって、出穂が駆け寄ってきた。
「ぜんばああああ」
「……おま、顔きったな……」
液体を垂れ流して顔中をぐしゃぐしゃにしながら、出穂は夏に抱き着いてそのままわんわん泣き始めた。
「ちょ、青っぱながつくて、拭けて」
「うああああああ」
「あたしで拭くな!」
平手で頭をぐいぐい押しても出穂はしがみついて離れようとしなかった。仕返しによだれを垂らしてやっている夏に、上から声がかかる。
「もうそれは離していいんじゃないですか?」
近寄ってきたユーリを見上げた夏は、
「いや、でもこいつ、まだ動くかもしれないんでしょ」
出穂がびくりと震える。ユーリは笑って首を振った。
「レベルアップをした時点で討伐は完了していますよ。向こうもやってくれたみたいです」
「……そっか」
南北二体の竜を制限時間内にどちらも倒さなければ復活してしまう、という話だった。戦いが終わったのなら、それは遊子たちもうまくいったということだ。
ほっと息をつき、ユーリの血だらけの手を目にしてしまった夏は、この人にはちょっときつくあたってしまったかもしれない、と、少しだけ思った。
こんなにやる気のないやつの手綱を任せられて、この人も大変だったろうに。
「なんかごめんね。真田ちゃん」
「……ん? なにがですか? あとその呼び方は上層部のオヤジ集団と同じですよ? 前から思ってたんですけど、及川さんって結構オヤジ臭いところがありますね。しゃべり方とか」
「おいケツだせよ。時代錯誤のセクハラしてやるから」
「条件が満たされました。碧竜シメサバ、出現します」
突然激震が走り、部屋の中心にいた何人かが吹き飛ばされた。
「ひっ!」
「え!?」
聞き覚えのないアナウンス音への混乱によってざわめいた人々は、いつの間にかフロアの真ん中に座っていた翼竜の姿に固まった。
今度のそれは輝く青い鱗を身にまとい、両翼に大口径の大筒を装着していた。
「うぁ……」
出穂がそう呻いたとき、竜が夏たちのほうを向き、口を開いた。極度の緊張のあとの弛緩で動けないでいる出穂と夏は、二人の背中をつかんだユーリに力任せに投げ飛ばされた。宙を飛ぶ夏の背を、炎の息吹が過ぎ去った。
受け身をとれずに床を転がった夏がなんとか立ち上がると、さきほどまで座っていた空間は焼け焦げていて、炭化したシャリの半身と横に転がる何か黒っぽいものが見えた。
危険度の高いダンジョンでは、侵入者の人数、レベル合計や、殺傷したモンスターの総合数が閾値に達するまで、主が現れないことがある。
座学の知識が頭を流れ、シャリは主ではなかった、という結論が虚脱状態の脳に浮かんだ。
部隊は戦闘集団としての機能を失った。生き残った半数以上が見方を押しのけながら出口へ向かって走り、そして竜の翼から放たれる砲撃に焼かれ、絶叫した。
出穂は気絶して転がっていた。
夏は、黙って立ちあがった。投げ飛ばされても掴んでいた大剣を、唯一の武器を、もう一度引き寄せた。刃は白熱し、耐用限界に近い。そしてそれは夏も同じ。
視界は眩み、呼吸は乱れている。なぜか心臓は狂ったように鼓動し、熱だけが湧いてくる。
力を流し込む、というより、もはや吸い取られていると形容すべき剣を、やはり、それでも、夏は握った。
砲筒がこちらを向いた。
「上等だ……」
出穂の片足はなくなっていた。
「何回でも」
黒こげのなにかは人の半分ほどだった。
「ぶっ殺してやる……!」
そこで膝が崩れ落ち、夏は唐突に動けなくなった。
「……!?」
絶え間ない脈動が全身に血を駆け巡らせているというのに、指の先まで熱を持っているというのに、それらは蝋のように、体から切り離されていると夏は感じた。力の抜けてだらりと垂れさがった腕は、なぜか、まだ剣をつかんでいる。
初めて背中を汗が伝った。
これはなんだ? 敵を焼き人を焼き、あげくに己が身までも焼き焦がそうとするこの熱は、一体なぜそれほどまでの力を持っている?
自分が便利使いしていたこれは、人の身で制御できる代物だったのか?
そして、まるで由来の知れないこれを、どうして自分は扱えると思っていた?
得体のしれない存在を軽々しく扱った馬鹿者は、どんな昔話でも同じ顛末をたどるというのに。
竜の舌先で炎が躍る。夏は動けない。
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