第19話 リアナ・クルーセルと執事レイン

 リアナ・クルーセルは疲れていた。

 大人たちに混じり、領主間の親睦や交渉の場といった難しい話ばかりが続く日々に──。


 他領のご子息も参加しているとはいえ、親睦など表向きのことだ。

 

 会合が終わればスッと表情は冷え切る。

 あの場にいるのは、すっかり大人たちに毒された子供達だけだ。


 こうして、レインと二人で喧騒から離れた場所にいるほうがリアナにとっては気が楽だった。


 それに今は、果たさねばならない目的がある……。


 「リアナ様、よろしいのですか? せっかくのパーティーですよ?」


 「ええ、よいのです、レイン。ここのところ、審議に懇親会、この間は誕生パーティーでしたね。今のままでは体が鈍ってしまいます。それにそろそろ、私に倒されてはもらえませんか?」

 

 「フフッ、ご冗談がお上手になりましたね。私も堅苦しいパーティーよりもこちらのほうが性に合っておりますゆえ、お相手するのは構いません。ですが、あまり長く席を外していてはルゼルア様に失礼になります。今日は早めに終わらせましょう」


 ここはフィットリアの東に隣接する【ドーランマクナ領】。


 領主ルゼルアが主催する社交パーティーが行われる中、リアナはレインと二人、魔闘館と呼ばれる魔法の訓練施設を訪れていた。


 「じゃあ、レイン。さっそく始めましょう」


 「はい、リアナ様。でもここは──凄いですよね? とても屋内とは思えません! 空は青く、風に乗った草木の匂い、それにこの岩も土埃も……ん? ほ~なるほど!あの壁に埋め込まれた魔法石で環境を変えているのですね。そうですか、そうですか。ということは、あれは合成されたもの……合成魔法石。噂には聞いていましたが、一体、どういった配合なのでしょうか?」


 「ふぅ……」


 魔闘館の設計に興奮し、心躍らせるレインの声に、無関心なリアナから漏れ出た溜息が合わさる。


 気づいたレインは緩んだ口元を結び直し、真剣な眼差しで彼女を見た。

 

 「……申し訳ございません、少々長話が過ぎたようです。ではリアナ様、失礼して──風よ吹け、茨の如き刃を舞いて、彼の者を突き刺せ! 風棘刃ゲイルスピネージ」 


 クルーセル家の執事レイン・ルックウッド。

 レインの仕事はダルヴァンテの予定管理や身の回りの世話のみに非ず──。


 エルフの出であり、風の魔力に長けた彼女は、次代の領主であるリアナを守る盾としての役割も担っている。


 「まったく、容赦がないですね。初っ端から上位魔法とは……。ですが、レインらしくて私は好きです」


 リアナの言葉に、レインが笑みで応える。


 魔法は知識と感覚の融合。

 歴史ある魔法書に綴られた古代文字を読み解き、各々が思い描いた詠唱によって発動する──そして、術者の目の前に現れる幾何学的文字の羅列、魔法陣。


 その文字の一つ一つに神経を研ぎ澄ませ、解放された魔力を注ぎ込むことで、大いなる力を発現させる。


 レインの周囲を吹き荒ぶ深緑の魔力が、あらゆる方向から吹き込む風となりて互いを研磨し、薔薇の棘のように細かな風刃を無数に生み出している。

 

 まるで命の息吹すらも感じられる数多の棘が、レインの姿を覆いつくすと、その尖端全てをリアナへと向けた。


 そして、標的捕捉ロックオンの合図と言わんばかりに一斉に襲い掛かる。


 「さぁ、リアナ様、鬼ごっこのお時間ですよ。少々、鬼の数が多いですが、お気になさらずに」


 「……」


 放たれた魔法の奥から聞こえるレインの声に応じることなく、リアナは口を閉じたまま、その場を微動だにしなかった。 


 眼前に迫る棘の群れを、ただ見つめるだけの彼女の姿にレインは違和感を覚えた。


 (どこか前回と様子が……)


 レインは自身の放った魔法を追って距離を詰めると、眉をひそめて目を凝らした。


 「違う、魔法陣はすでに展開されてる、あれはまさか……」


 彼女の視線の先にあるのは、憂いすらも感じさせる冷ややかな瞳に浮かんだ、小さな魔法陣。


 瞳孔を一周するように青白い光が宿ると、リアナの前面が一瞬にして凍りついた。


 レインが放った数多の風刃は彼女の瞳で凍てつき、氷の中に閉じ込められた。


 その光景を前にレインは、


 「無詠唱魔法……ありえない……。リアナ様はまだ7歳ですよ? それも私の上位魔法を、こんなにも容易く止めるなんて……」

 

 と、声を震わせ、驚愕に満ちた目で彼女を見た。


 そこへリアナも視線をぶつけ、流れるように反撃に出た。


 レインに向けて右手をかざすと、


 「──氷結槍スピアルフリーレン

 

 と呟いた。


 眼前の凍てついた大気は彼女の言葉で渦を巻き、ドリルのように回転を始めると、天をも穿つほどに巨大な氷槍へと形を変えた。


 その様子に、レインは慌てて両足に風を纏って体を浮かせると、すぐに横へ飛んで回避した。


 ザシューン!


 鼓膜を突き破るような甲高く激しい音とともに、大地へと突き刺さった氷の槍。

 

 その巨大な氷槍から溢れ出す冷気は、大地を這うようにして広範囲を侵食していった。


 「くっ、まずいわね……」


 これで終わりではない──そう感じたレインは回避速度をさらに上げた。


 地中から芽吹く新たな氷槍が、竹槍のように次々と突き上げ、執拗に彼女の後を追い始めた。


 「……はぁ、まったくですよ。容赦がないのはリアナ様のほうです。少し汗を流すだけのつもりが……。私でなければとっくにあの世行きですからね!」


 不満を口にしながらも、右に左に、時には上空へと跳び、リアナを中心に華麗なステップで避け続けるレイン。


 ようやく凍結範囲を抜けた彼女の顏には、再び、笑みが戻った。


 「リアナ様、貴方の宿した属性は私よりも遥かに強い。ですが、魔力量の面ではまだまだこちらに分があります。ダルヴァンテ様より仰せつかった貴方の盾としての役目も、ここで膝を折るようでは果たせなくなってしまいます。それに私は、貴方専属の家庭教師でもあるのですからね」


 リアナは深く息を吐き、周囲を見渡した。


 「ふぅ~、やっぱり。私の魔法を引きつけながら避けていたのもわざとですね?」


 「さて、どうでしょう? 何故そう思われるのですか?」


 レインはただ答えることはせず、彼女の考えを引き出すための質問を返した。


 リアナは悩むことなく、即座に答えた。


 「簡単なことです。あなたなら風魔法ですぐにでも遠くへ退避できたはず──ですが、レインはさすがです。私の魔法が魔力を消費し続けるタイプだと直ぐに見抜いた。その上で、敢えてこちらの死角に回り込むように避けながら圧をかけ続けたのでしょう? 結果、私は魔法の止め時を見失ってしまった……」


 「──ええ、リアナ様。あなたこそ流石です。しっかりと自己分析が出来ておられますね。では、ここからいかがなされますか?」


 レインは質問を投げかけながら両手を広げると、その場でクルっと回転し、自信漲る笑顔を二人きりの空間に振りまいた。


 対するリアナは構えを解き、ポーカーフェイスに悔しさを滲ませた。


 「今日こそは勝てたと思いましたのに、また負けましたわ。このような魔法トラップまで仕掛けていたとは……。まさに予想外、完敗です」

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